与えた希望
勇者育成機関では時折、遠征が行われる。魔獣被害が著しい地域へと現役勇者や、それに拮抗する実力を持った冒険者、王国兵士、様々な戦士が送られ、その中に勇者育成機関の成績優秀者三十名が組み込まれる。
三年に一度選ばれる勇者は実質この中から選ばれるとされており、実力をつけ、人気も得たユートがこの選抜に選ばれることは半ば必然であった。
「それではこれより遠征先、イグナ地域に向かう! 準備は良いか!」
『おおおおおおおおお!』
剣を掲げ、声高らかに叫ぶ兵士たち。その中には勇者候補生たちもおり、ここで戦果を挙げることが出来れば華やかな生活に近づく、そんな不純な、だがほとんどの人間が憧れる人生を動機に戦地へと赴く。
目的地は魔族の侵攻により転移陣はかき消されている。徒歩で行くしかない。
兵士たちは足並みを揃え、一定のリズムで歩み、目的地まで進む。一糸乱れぬとはこのことを言うのだろう。
さすがは歴戦の兵士、自分はこの距離を歩くだけでも困難なのに……そうユートは考えていたのだが、意気揚々と歩いていたのは国から視認されなくなるまでの数キロのみ。それ以降は馬車を使っての移動となった。
(まあ、戦うのに体力は残しておかなきゃだしね)
憧れた直後のこの行いに若干拍子抜けしたものの、合理的な判断ゆえの戦士たちの行いを特に疑問にも思わない。むしろ当然のことであると、自らも馬車に乗り込む。
馬車内の雰囲気は、ユートをまたも拍子抜けにさせた。
「今回の戦闘、報酬はかなりもらえるみたいだぜ」
「しかも倒したモンスターによっては特別報酬も出る。腕が鳴るぜ」
みな一様に報酬についての話題で持ちきりだ。戦士の相棒とも呼べる武器をそこらへんにほっぽって。
誰一人としてその地域に住む住民たちの心配はしないのか、戦いに備えて武器の手入れを行わなくていいのかと、やるべきことをやらない戦士たちに疑惑の目を向ける。
ユートとしては現役勇者たちと同じ馬車に乗り、是非とも武勇伝を聞きたいと思っていたのだが、それとは全く正反対の、緊張感の欠片もない戦闘前の戦士たちを見て、いら立ちが募る。
ユートだけがイグナ地域の状況を心から心配し、これから始まる戦闘に緊張しているのだが、馬鹿らしくなるほどの空気だ。
やがて馬車はイグナ地域近くまでたどり着いた。
準備は万端だ。初めに指示された通り、現役勇者と王国兵士と冒険者たちは魔族を倒すために剣を持ち、ユートたち勇者候補生は剣を鞘に納め、住民の保護に動く。
のだが、ガナ王国から出立する時の整頓された動きとは違い、それぞれが勝手に動き、まるで統制が取れていない。一番槍は自分だと、報酬のために出来るだけ魔族を倒そうと、紳士的に討伐に赴いている人間はユートの目には映っていなかった。
魔族討伐組だけでなく住民を保護する勇者候補生たちも、さっさと保護し、自分たちも魔族討伐に赴こうと躍起になっており、雑な手際で住民を救出している。
ユートはその行いにまたもいら立った。
魔族に襲われ心に傷を負っているだろう住民たちに、なぜ声をかけてあげない。なぜこの状況を作りだした魔族に怒りの顔を向けない。なぜ喜んでる。
そんなに金が欲しいのか。稼げればそれでいいのか。
そんないら立ちを抱えながらも、ユートは前線に赴きはしない。救いを求める住民がいる。まずはこの人たちを救出してからだ。
それにユートが魔族に立ち向かわずとも、状況は変わらない。いくら動機が不純な戦士であろうとも実力は折り紙付きだ。誰もがユートを超える実力を持ち、圧倒的な力量を誇っている。
これが候補生と実践を積んできた戦士たちとの差なんだとユートは実感し、いら立ちながらも尊敬の念は抱いている。
実際にあれが人を救出する行いではある。動機が不純であろうとも結果はついて行っている。
もしかしたらあれも正しい形なのかもしれないと考えている。
だからといって自分がそうなろうとは思っていない。自分には自分の目指す理想像がある。結果だけでなく過程も重視する勇者を目指しているのだ。憧れようともなろうとは思わない。認めようともまねようとは思わない。今この時は先人たちの力のみを学ぼう。
そう思い、住民たちを救出し、やさしい言葉を投げかけ親身に接することも忘れず、余裕ができれば勇者や冒険者たちの動きを観察し、自らの力の糧とする。
モヤモヤを感じることはあったとしても、ユートにとっては中々に身になる遠征ではあった。
他の勇者候補生と違って実績を残せず、次の勇者選抜に残る可能性は限りなく減ったが。
魔族の討伐は順調に進み、被害もほとんどなくイグナ地域を救ったと言えるだろう。
敵のいなくなったこの地域で、ついさっき倒した魔獣の肉で宴会が行われる。どんな事態を想定してなのか、馬車に詰まれた大量の酒類で。
ユートはその宴会には参加せず、救助した住民たちと談話をしていた。表情は暗く、いかに敵がいなくなったとしても心に刻まれた恐怖は中々に消えない。
それを取り除くことも勇者の務めであると、この地に赴いた戦士の中で唯一行っている。
少しぐらいは助けになっただろうか、なっているのならうれしい。
その考えで住民と接する。
やがて何時間か経過し、兵士たちの何人かも酔いつぶれて寝込んでしまい、静寂に包まれる。
つかの間の安息、というやつだ。さきほどまでのどんちゃん騒ぎが嘘のように静まり返った地域で、ユートは眠りについた住民たちの顔を見てつぶやく。
「勇者は、間違ってなんかないよね」
紛れもなく助けたのだ。その結果がある。どれだけモヤモヤを抱えさせられても、やはりその事実は揺るがない。
このような勇者の在り方も確かにありだと認めていた。
時間が経ち、遠征隊はガナ王国へと戻る。行きよりも遅く、のんびりとした帰還だ。
道中の街で酒を買いこんだり、魔獣を狩って飯を食べたり、ひどく緩和した状態だ。
そして行きの三倍以上の時間をかけてようやくガナ王国にたどり着く。
遠征隊の目に映る、悲惨な光景を宿すガナ王国に。
「なん……だ、これは?」
壊滅、とは言えない。だが数多くの建物は崩壊し、逃げ惑う住民の顔がユートの目に飛び込んでくる。 死の恐怖、それを皆が宿している。
反射的に、ユートは剣を持って街の中へと飛び込んでいった。
「魔獣はどこだ?」
住民が逃げる方向とは逆にユートは駆ける。この騒ぎの原因は魔獣と断定し、より騒がしい方向へと全速力で駆け抜ける。
遠征のための部隊により、この国の兵士の数は減っている。魔獣の進行を許したとなっては、相応の犠牲を払ったに違いない。
力強く歯を噛みしめ、ユートはようやく騒ぎの中心へとやってきた。
だがそこには兵士たちの死体が転がっているだけ、誰もいない。
死体を悲しみの表情で見つめ、再び走り出す。早くこの騒ぎを収めなければいけないと躍起になり、端から端まで街中を駆けずり回る。
すると国の入口方面から、とてつもない爆音が鳴り響く。
巨大な煙が上がり、それを目印にユートは一目散に走り抜ける。
ユートが行って何になるか……何にもならないだろう。
兵士を倒した魔獣だ。勇者候補生であるユートごときが行ったところで、他に戦う戦士たちの邪魔にしかならないだろう。
それでも向かう。勝てない存在だとしても逃げだすのは、それだけは絶対に間違っていると信じ、死地へと赴く。
時間にして五分ほどで城門にたどり着く。
そこの光景はユートにとって、信じられない物だった。
「う……うぅ……」
歴戦の兵士たちがうなり声を上げながら這いつくばっている。王国の兵士も、冒険者も、勇者候補生も、現役勇者も。
この場に立っているのはユートと、一人の少年だった。
「ま、まさか……魔人?」
人が魔に落ちた存在、魔人。絶大な魔力を保有し、破壊の限りを尽くす絶対的な悪、物語の中でしか見た事のない存在が、ユートの眼前にいる。
姿は禍々しい黒いオーラに包まれ、外観は少年であるということ以外は予想もつかない。分かるのは圧倒的な力を持っている、ということだけだ。
「それでも……やるしかない!」
己の正義に準じ、勝てない存在と知りつつも、刃を向けて走り出す。
死ぬだろう。自分に襲い来る死の運命、それを受け入れながら攻撃する。
恐怖を隠し切れないのか、切っ先はブレブレの素人同然の攻撃、こんなもので倒せるのは剣を習ったことのない人間だけだろう。数多の戦士を葬った魔人にかなう道理はない。
ユートも分かっていた。自分のこの情けない攻撃が最後の攻撃だということを。
魔人との距離が二メートルほどになった時……ユートは目を閉じた。
「……?」
ユートが目を閉じて一秒が経った。
死を覚悟した、なのに自分にまだ死は訪れていない。
疑問に思ったユートが目を開けると、そこには剣が突き刺さった魔人がいた。
「え?」
何が何だかわからない。自分よりも何倍も強い戦士たちが地に這っている。
この魔人の強さはユートが見た中でもピカイチだ。
なのに、ユートの剣が深々と刺さっている。魔人からは大量の血が流れ、肉に刺さる剣の感触が現実であることをユートに悟らせる。
「勝った? ハハ、ハハハハ……」
わけが分からないが、自分はこの強大な敵を倒した。その事実がユートに笑いをもたらした。
憧れの勇者に近づけた。憧れの存在に自分はなったとさえ錯覚し、目の前の勝利に歓喜する。
が、致命傷を負い、禍々しいオーラが霧散する魔人の姿を見た時、ユートは笑いを止めた。
「……君、は……」
知っている。ユートはこの魔人の正体を……知っている。
かつて休暇期間に助けた少年の一人に、この子がいた。
貧民街で腹を空かせていた少年と、その妹に、持ちうる限りの金を与えた。
その少年が魔人となって、ユートの目の前に立っている。
「ガフッ!」
口から大量の血を吹き、その場に跪く少年。
自分で傷つけたにもかかわらず、ユートはその少年を抱えた。
「……おにい……ちゃん……」
弱々しい声でユートを呼ぶ。
突然の事態に困惑したユートは声を出すことが出来ない。せめてと、少年を力の限り抱きしめる。
「なん……で、リラ、を……助けて、くれな……」
「……!」
その時、ユートは分かってしまった。
魔人が生まれたわけを。
「リラ……は、いい子……だったのに……」
「……ごめん」
この子を助けた時を思い出していた。
『もちろん。いい子にしていたら、僕は助けるし、周りの人も助けてくれるはずさ』
そう、少年と妹に言ってあげたのだ。
「……リラ、自分は、悪い子だったのかなって……それで……死んじゃった……」
「ごめん……!」
助けた気になっていた。少年に中途半端なやさしさを見せ、希望を与えてしまった。
魔人となる引き金、絶望は、自分が生み出してしまったものだと、ユートは知った。
助けてあげると言ったことが、この子たちにとってどれだけの希望になっただろう。
この子の妹が死んだとき、その希望がどれだけの絶望に変わったことだろう。
「ごめん! ごめん! ごめん!」
涙を流し、何度も謝るユート。少年を魔人に落としたのは自分のせいだと。真の意味で助けられないくせに、何も考えずに少年に手を差し伸べ、本当に手を差し伸べるべきに差し伸べなかった。
だが、ユートはどうすれば良かった?
あの場で飢えに苦しむ少年とその妹を見捨てればよかったのか? いずれ飢え死にすることが分かっているのに、見殺しにすればよかったのか?
……結果的に見れば、それが正解だったのだ。
もしユートが少年たちを助けなければ、少年の心に希望の種を植え付け、絶望の花を咲かせることはなかった。魔人に落ちることなく、妹と共に二人でひっそりと死んだだろう。
ユートが助けなければ二人は死に、今回犠牲になった大勢の人間は死なずに済んだ。
ユートが助けたから、少年は魔人に落ちるまで絶望し、大勢が死んだ。
その数は、ユートが過去に助けた人間の数を優に超えるだろう。
十人を助け、百人を死なせた。その百の中に、かつて助けた人もいたかもしれない。
それがユートのやったことだ。
「僕が、何もしなければ……」
「ゆ……しゃの……に……ちゃ……」
聞こえるか聞こえないかぐらいのか細い声が、ユートの耳に届いた。
「ごめん! 僕なんかのせいで君に、罪を犯させてしまった! 僕のせいで!」
必死の謝罪の言葉を少年にかけるユート。それでも、許してほしいとは思っていなかった。
この愚かな自分に、罵倒の声を浴びせてほしかった。心の底から非難してもらいたかった。自分のせいで傷ついたこの少年にはその権利があり、自分には傷つく義務があると。
死にかけの魔人となった少年は最後の力を振り絞り、ユートに言葉を送ろうとする。
どんな罵倒も受け入れる覚悟があった。死ねと言われたなら死ぬ覚悟もあった。
それほどの覚悟を胸に、全てを受け入れるためにまっすぐと少年の目を見る。
少年の最後の言葉は、
「…………」
何もなかった。
少年はすでに息絶え、言葉を発することはおろか、息を吐くことすらない。
溢れ出る血は少年から熱を奪い、生を奪った。
聞くはずだった、聞かなければいけない言葉もユートから奪い去った。
残ったものは何もない。あるとするならばそれは、過去に自らが犯した一つの間違い、少年に希望を与えたことによる後悔だった。
「うああああああああああああああああああああ!」
叫び声が、国中に響き渡った。




