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魔人譚  作者: クロイワケ
1.溝鼠の孤独
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1-5溝鼠の孤独

 魔術「泥竜鱗(でいりゅうりん)」は、マハクが得意とする最大級の魔術の一つである。その特徴は、何と言っても攻性魔術では無いということだ。


 無論、刃の様に鋭く磨き上げられた無数の鱗が群体となり、竜の形状となって敵を葬り去ることは可能である。つまり、十分な攻撃性能を持っているし、一般的な認識においても単純な攻性魔術である。


 しかし、「泥竜鱗」の真の権能は、全く異なる点にあった。それは、土の精霊素子(エレメント)をそのまま保持して魔術を使用できることである。


 この効果に、マハクが最初に気がついたのは、魔術同士の相互左右を研究していたことがきっかけだ。かつて、ガルドがよく用いた、魔術の組み合わせによって効果を発揮する一種のコンビネーションを探っていた時のことである。


 そもそも、デフルドらが受け継いできた魔術の原型は、キリギスの黒魔術と呼ばれるものであった。現代では暗がりの魔術と呼ばれる、邪悪な魔術体系から、四元素説を基にした四素精霊術式による魔術管理に分岐したものが、現在のデフルドたちが用いる魔術である。

 要は、火・土・水・風という4つの属性によって、全てを構成する魔術である。そのうちマハクが得意とする魔術は土と水の魔術式であった。


 四素精霊術式の発動には、大気中の術式に対応する精霊素子が必要である。ただし、魔術として用いた炎などからは火の精霊素子は失われ、再利用が不可能となってしまう。

 極一部の魔術を除いて、精霊素子をそのまま利用することは、不可能なのである。


 そして、その極一部の魔術こそが、「泥竜鱗」であった。


 その効果に目をつけたマハクは、自らの持ちうる最大の切り札として、必殺の魔術として「泥竜鱗」を磨き上げたのである。




 マハクは、細心の注意を払って針に糸を通す様な集中力の中、魔力を絞り出していた。


 泥人形で奮闘しているが、もうあと数分も持つまい。それまでに、この作業(・・・・)を終わらせなければ、マハクに勝機はない。


「……濁った水と、醜悪なる香りを捧げよう』、ハァ、ハァ……」


 あと一度だ。

 呼吸を整えながら、心の中でマハクは呟く。


 マハクが行おうとしている術式制御は、簡易詠唱(ショートカット)でも、完全詠唱(フル・コントロール)でもなく、三重詠唱(トリプル・ギア)と呼ばれるものであった。


 利点は、完全詠唱よりも、高密度の術式をより制度が高く設定できる。欠点は、単純に3倍以上に伸びる詠唱時間である。


 今まさにマハクの詠唱は、三巡目を唱えようとしていた。しかし、ガルドの相手をしていた泥人形は、もういつとどめを刺されてもおかしくない。


 複数の魔術を同時に行使する行為は、得てして左右の手で異なる絵を描く行為に例えられる。


 しかし、マハクは今、泥人形を操作し、ガルドの魔術に対応する術式を起動し、そして「泥竜鱗」の詠唱を行なっている。


 術式制御の実力だけならば、すでにマハクは大魔術師と呼ばれても十分であった。


 だがそれ以上に、これほどまでに複雑かつ膨大な魔力を隠し通せる魔術「溝鼠(どぶねずみ)」こそ、驚嘆に値するのだが。


「……『泥より生まれ、泥に沈む腐の竜よ。その爛れた鱗を……」


 マハクは、最後の詠唱を始めた。

 しかし、ついに泥人形がガルドの魔術によって砕かれる瞬間が訪れた。


「貫け! 『火柱(ひばしら)』!」


 降りかかる石の雨をすり抜けて、炎の槍がマハクの泥人形へ投げられたのである。マハクの泥人形は、とっさに両腕を交差して防御の姿勢をとるが、槍はスルリと土の身体を通過した。


 ずぶ、と音がして泥人形は、ただの土塊にかえる。瞬間、ガルドは自らが相手だっていたものが単なる泥人形であることを察知し、探知結界の範囲を押し広げた。


 拡張されたガルドの知覚に、物陰に隠れていたマハクが炙り出された。


「マハク! 貴様ァア!!」


 と、時を同じくしてマハクは詠唱を言い切る。


「……授けたまえ。濁った水と、醜悪なる香りを捧げよう』」

「『火焔(かえん)』!」


 咄嗟にガルドは手を突き出し、魔術を放った。その腕から魔術の炎が吹き荒れ、大地に手を伏せるマハクに向かう。その余波だけで爛れかねない熱量が、夜の屋敷を赤く染める。


 マハクはその炎を避けなかった。

 否、避けられなかったという表現が正しいか。彼はすでに、全精力を使い果たしていたのである。三重の詠唱は、見かけ以上にマハクから体力と魔力を奪い去っていた。


 単なるヒト種であるマハクが、鉄をも溶かしかねない高温に晒された時点で死は確定していた。


 だが、その炎の嵐を掻き消して、掌ほどの泥の塊が突如噴き出した。薄く磨かれた様な泥は、群体となり、規則性を持って螺旋状に回転を続けている。


 その中心に、満身創痍のマハクが居た。ローブはズタズタに切り裂かれ、肌のあちこちに火傷の跡がある。だが、無事であった。


「相変わらず。相変わらずだなぁ、貴様は。こそこそと、隠れ、罠を貼り、策を弄し……」


 苛立ちからか、ガルドは詰る様な言葉をかける。

 マハクは気にした様子も見せず、その瞳には明らかに憐れみがうかんでいた。


「その目をやめろ! きさ、貴様はっ!」

「ガルド。また、僕の勝ちだ。もう君に勝ち目はない。断言するよ」


 しばらく、ガルドは言葉の意味を理解することに時間を費やした。マハクは詰まらなそうに溜息をついて、大きく深呼吸を2回した。


 そして、ガルドの怒りが爆発した。


「死ね。『業火(ごうか)』」


 ガルドの純粋な殺意が、魔力に乗って放たれた。先ほどマハクに放った炎の、数倍近い塊が射出される。術式を用いたガルド自身の手にも多少の反動が生まれるほどの一撃である。


「来い、泥竜鱗。『土壁(つちかべ)』」


 対するマハクは、余裕をもってポツリと言葉を漏らした。途端に、無為にマハクの周囲を旋回して居た一部の泥の鱗たちが、彼を守るべく移動した。


 そして、継ぎ接ぎだらけの鱗の塊が、マハクの魔術によって強固な壁に変化する。分厚く冷たい土の壁にぶつかった炎は、その表面を消炭へと炙ったが、それだけであった。


 マハクには、熱すら届かない。

 全力の一撃を軽々しく受け止められ、しばしガルドは瞬きすらできなかった。


「次は、こっちの番だ。いけ、泥竜鱗」


 マハクの言葉に呼応して、先ほどと同様に旋回する鱗が、列をなしてガルドに放たれた。


 腕を振り払い、無詠唱の魔術「火焔」が幾つか生み出し迎撃に向かうが、数が足りない。


 何度も、何度も炎を放つがその度に泥の竜鱗は復活し、数を増し、襲い掛かってくる。


 やがて途切れない竜鱗は、竜巻となってガルドの周囲を取り巻いた。


「『石時雨(いししぐれ)』……竜の巣」


 そしてマハクは、魔術を構築する。


 「石時雨・竜の巣」は、マハクが独自で生み出した魔術の組み合わせによる必殺術であった。


 先ず、泥竜鱗が対象を螺旋の渦に閉じ込める。そして、中心の対象に向けて何十という石の礫が鱗の一枚一枚より射出される。その連鎖は止まることなく、対象が死に絶えるまで決して獲物を逃さない。


 まさに必殺の魔術と言える。


「くそがっ! 『火柱』、『火焔』、『灼噛(しゃくごう)


 持ちうる魔術を使い対抗するガルドだが、じわりじわりと、削り取られていく。


 三重詠唱(トリプル・ギア)によってさらに強化された魔術を、簡単に突破することはできなかった。


 泥の竜鱗が、魔術を放っていない左腕に絡みつく。振り解こうと炎を生み出すが、途端に掻き消されてしまう。さらに、左足、右足、そして右腕を制圧されガルドは完全に支配下におかれた。


 冷え切った目つきで一部始終を見つめて居たマハクは、動けなくなったガルドを確認するとゆっくり近づいて行く。


「くそ、こんな。こんな魔術をっ! くそ!」


 マハクとガルド、2人の実力を分けたのは、結局のところ真っ当な研鑽の差であった。やはり師デフルドは偉大な魔術師であり、その濃密な魔導の継承をマハクは授かったのである。


 ガルドが撒き散らした魔術の炎が、にわかに消えていく。


「ガルド。僕は君を殺さなくてはならない」


 マハクは努めて、淡々とした口調を意識した。ガルドは、憎々しく睨みつけるだけである。その目つきに不安を覚えつつも、用意しておいた手錠をガルドの前へと放り投げた。


「だが、一度は同じ門弟であったよしみだ。この魔力封じを受け入れるならば、命だけは」

「いらぬ、殺せ。……貴様に、俺が殺せるのならな」


 魔力封じと呼ばれる特殊な手錠を、一瞥もせずガルドは切り捨てた。四肢を魔術で固定され、両膝を土につけた敗北者とはとても思えない啖呵である。


 その姿は、どこか手負いの魔獣を思わせた。

 仕留め方を誤れば、こちらがやられてしまう。


「ガルド、君は」

「貴様も、もう限界であろう。殺すか、殺されるか。二つに一つよ」


 そして、ガルドは完全にマハクの思惑を把握しているようであった。


 戦いに決着がついてみれば、初手こそ意表を突かれたものの終始マハクが優位に進めた印象を受けるかもしれない。

 だが、実際は常に紙一重の戦いであった。


 戦術的には、泥人形による撹乱と三重詠唱という隠し技の作戦が見事ハマったと言える。5年の研鑽において、デフルドの教えを受けられたマハクが、技術としてガルドの上に立ったカタチだ。だが、本質的な2人のポテンシャルとしては、圧倒的にガルドに軍配があがる。


 ガルドは、いやしくも脈々と受け継がれてきた魔術師の家系をもつ。言い換えれば、天才的な魔術師たちのサラブレッドなのである。対するマハクは、どこぞとしれぬ平民の子供でしかない。多少は平均よりも多い魔力を保持しているが、それだけなのだ。


 魔術の出力も、魔力の量も、魔術師として生まれたガルドには遥かに及ばないのである。


 そして今、マハクの魔力は尽きんとしていた。精巧な泥人形を二体、そして三重詠唱による「泥竜鱗」は、マハクがもつ魔力のほとんどを消費したのだった。


 つまり、ガルドを捉えてはいるものの、そのまま捕縛し続けることは難しい。魔術は間も無く切れてしまう。また、この不安定な状態で無理に捕縛を敢行すれば、それこそ手負いの獣に喉元を喰い千切られてしまうだろう。


 マハクには、またしても、選択肢はなかった。


「……出来れば、殺したくないんだ」

「俺には、見世物小屋の猿となることの方が堪え難いのだ。とく、殺せ。俺は貴様を殺すぞ」


 マハクは大きく溜息をついた。

 その間に、ガルドが心変わりをしてくれないかと祈ったが、彼の目は真っ直ぐマハクを捉えて動かない。


 マハクは最後の魔力を、練り上げて魔術を起動する。


「『鋼礫(こうれき)』……。もう一度だけ聞くぞ」

「くどい」


 ガルドは、食い気味に言葉を絶った。

 マハクの簡易詠唱に制御され、土の竜鱗が硬い鋼へと変化していく。それらは、組み合わさり巨大な塊へと変化をしていく。


 巨大な翼に、穿つ様な鋭い嘴、つるりとした鋼の表皮。紛れもなく、その姿は一匹の巨大な亜竜であった。


「残念だ、ガルド。本当に」

「俺もだよ、マハク。お前らを殺し損ねた」

「……竜星」


短い一言とともに、マハクは手を振り上げ、そして一息にガルドを指差した。


 僅かな振動が起こったかと思うと、鋼鉄の亜竜は空へ登り、降下した。翼が風切り音を轟かし、竜は一閃の星となってガルドに向かう。


 触れるだけで、脆いヒト種の肉体など粉微塵に吹き飛ぶ一撃が……あたる、その寸前、


「待てっ! マハクッ!」


 放たれた亜竜とガルドの間を、遮る人影がある。マハクは、全身の魔力を泥竜鱗に込めた。

 膨大な質量と魔力をふんだんに盛り込んだ鋼の塊が、止まった。


 無理矢理に起動しかけた魔術を制止した反動で、体中から脂汗を流しながら、マハクは叫ぶ。


「何故っ?! ここにいるんですか、師よ!!」


2人の間に入ったのは、老いた魔術師であった。御髪は少なく、白くなり、その肌には艶が失われていた。弱々しく骨ばった両腕を精一杯に広げ、ガルドを守るように立ち塞がる。その姿は、偉大なる魔術師などではなく、ただの1人の父親であった。


「すまぬ。すまぬ、マハクよ。儂が間違っていた。儂が誤っておった。貴様には、どれほど言葉を尽くしても足りぬだろうが、しかし、やはり儂には選べぬ」

「貴方がっ! いや、……貴方は知っていたのですね。ガルドを、あの日の後の日々を」


 老人は答えなかった。代わりに、首を縦に振り、それからガルドの方に向き直った。


「ガルドよ。我が息子よ。儂が間違っておったのだ」

「親父……」


 マハクに用いた言葉を、再びデフルドは繰り返した。それ以外の言葉を失ってしまったように、デフルドは謝罪を尽くす。


「あの日の儂の決断は、誤っておった。誰も彼もが不幸となった。魔導の欲に、儂は目が眩んだのだ」

「親父……。親父、あんた」


 ガルドは、笑みをこぼした。


「あんた、老いぼれたな」


 火の剣がデフルドの胸元から背中を貫いた。人肉が焼ける臭いが辺りに広がる。


「ごふっ」

「デフルド様っ?!」


 デフルドは血を吐き、前向きに倒れこむ。その肩を掴み、ガルドは口角を釣り上げた。


「これで、形勢逆転……だな。随分と今日まで苦しめられたが、最後にこいつは父親としての責を果たしたよ」


 炎の剣を抜き取り、代わりにその首を掴む。刺し抜かれた傷跡は、火で焼かれすでに塞がっている。


「ありがたい、俺の人質だ」


 笑い声が、静まり返った屋敷に響く。

 いつの間にか、この場所以外の戦闘は終わっていたようであった。


「デフルド様は、君の御尊父だぞ」

「だからなんだと言うのだ。この老いぼれが行ったように、俺も、俺の目的のために切り捨てたのだ。……だが、貴様には選べまい。この老いぼれを切り捨てることは、できない」


 ガルドの言葉は当たっていた。デフルドの首を掴まれ、なお動くことができないマハクの行動が、それを証明していた。


「何故なら、お前は孤独(ひとり)だからだ。お前の力の源は孤独なのだ。生まれながらの孤独。孤独故に、貴様は強かった」


 無理矢理に魔術を止めたせいか、「泥竜鱗」は崩壊し、魔術式としての体をなしていない。僅かな魔力を練ろうとするが、それすら今のマハクには難しい。


「一方、俺はどうだろう。俺は、全てを持っていた。だからこそ失う恐怖を知っていたのだ。それが、敗北へと繋がった。……だが、今では俺も孤独を知った。」


 ガルドの言葉を聞き流して、マハクは考察を進める。デフルドが間に割って入った時も、ガルドへの警戒は緩めていなかった。簡易詠唱は当然として、無詠唱の魔術すら使った形跡はない。

 考えられるとしたら、ガルドはマハクの知り得ない魔術を用いたという予測のみ。


「孤独より生まれ、全てを手に入れた者と、全てを持っていながら全てを失った者。お前は孤独を知るが故に、今更手放せない。師を、親父を見殺しにはできない! だから、お前は俺に勝てない! 絶対にだっ!」


 そして、ガルドは指先に魔力を集めた。それをLの字に動かし、丸で括る様にした。すると、その軌跡が宙に残り、そこから炎の剣が姿をあらわす。素手で掴むが、ガルドの手が焼けた様子はない。それは、魔術の炎であるようだった。


 今しがたガルドが用いた魔術は、デフルドの伝えてきた魔術とは全く法則を異にする、異国の魔術であった。


「刻印術という。俺の切り札さ」


 異様な邪気が生まれた。ガルドの指に、再び魔力が集まる。それを、童の雲遊びのように宙になぞらせる。やや、複雑な動きとともに、空間へ炎の槍が生み出された。


「西の、ホブルの街で知った。隣国の魔術師から奪ったのだ。しかし、なかなかどうして、学ぶところの多い魔術だ。我々の魔術ほど複雑かつ多彩な効能は得られないが、単純(シンプル)故の使いやすさがある」


 ひとしきり愉快げに笑った後、ガルドは槍の先端で、マハクが投げた手錠型の魔道具を拾い上げた。ジリジリと焼け付く音を気にせず、ソレを投げ返す。


「さて、そいつをつけてもらおうか」


 一種の死刑宣告に等しいものである。と言っても、実際はすでに、マハクは魔術を用いることができなかったが。


「……マハクよ。儂、もろともやってくれ。儂ごと、魔術で貫いてくれぃ」

「五月蝿いぞ、爺ィ。ガタガタと世迷言を」


 血だらけの口で、ごほごほとデフルドは呟く。感慨もなく、再びデフルドの身体に炎が差し込まれる。


「ぐぁぁあッ!」

「やめろ! これで、良いのだろう」


 弾かれたようにマハクは手錠を拾い、自らの腕にはめた。硬質な音ともに、マハクの魔力が失われる。一連の動作を確認し、ガルドはマハクの目の前まで歩み寄ってきた。

 後ろ手に引きずられるデフルドを見て、マハクは顔をしかめる。


 懐かしき旧友の顔は、互いに傷だらげで昔の面影はない。


「殴り飛ばしても良いが、趣味ではないしな。それよりは、さっさと殺してやりたくなる」

「僕を。……私を殺せば、師は解放してくれるか」

「今更優等生ぶるなよ。いや、それが貴様の本質か。ふむ、ひといきに殺してやろうと思っていたが、気が変わった」


 呟くと、デフルドの首から手を離し、代わりにマハクの頭部を鷲掴みにする。万力のような痛みが、マハクを襲った。抵抗する気など僅かにも生まれない。


 「貴様には、『降魔封印(こうまふういん)』が相応しい」


 ガルドは、掴んだ手はそのままに、もう片方の腕を上に伸ばすと、魔力を練り始めた。


「なぜだ! なぜ、お主がその魔術を知っておる」


 反応したのはデフルドであった。口元から血が垂れ、血溜まりの地面に這いつくばる老人の命は、そう長くない。身体の痛みを無視しても、デフルドはガルドに尋ねないわけにはいかなかった。

 魔術「降魔封印」は、デフルドが継承してきた魔術の中でも禁術に値するものであり、その継承はごく限られた人物にしか明かされていない魔術だったのだ。


「ふん。ずいぶんな魔術だよなぁ。非継承者に与える枷の一つだとか。知っておったか、マハクよ。この魔術を仕込まれたものは誰であれ、生涯あらゆる魔術が使えなくなるという」


 それは、まことに恐るべき秘術であった。思うに、魔術とはヒトの魂を用いて奇跡を発露する術である。「降魔封印」は、魂に蓋をすることで魔術そのものを生み出せなくするという。


 無論、術式の制御は果てし無く、詠唱も只管に長い。いかなる卓越した魔術師といえど戦闘に用いることはほぼ不可能であるといえよう。しかし、現在マハクは縛られており、身動きの取れない状態にある。まさしく、まな板の上の鯉であった。


「貴様にとっては唯一の財産だ。失うのは辛かろう。だからこそ、俺は貴様から奪うのだ」


 見れば異様なまでに赤く染まった眼である。それは悲願の達成を祈る男の顔なのか。


 そして、ガルドは魔術を唱え始めた。彼の魔力が火の粉となり、術式となり、空間を支配していく。彼を中心に描かれた炎の円が生まれ、広がってマハクと次いでデフルドを飲み込んだ。炎は縦に伸び、壁となって消える。熱気の結界が完成したのだ。


 構わず魔術を唱え続ける。一刻ほど経っても、まだガルドは呪いを紡いでいた。空には、幾重にも折り重なった阿弥陀状の術式が、目に見えるほどの密度で生み出されている。


「さて。準備は整った。マハクよ、ただの人へと戻る気持ちはどうだ」


 浅く笑う魔術師殺しに、マハクはいつも通りの無表情で返した。


「ガルド。君が思っているほど、僕は魔術には拘っていないのだ。失うことは残念だが、しかし、僕には勿体無いもの出会ったことも確かなのだ。願わくば、この身体一つで、君がデフルド様を許してくれることだけが僕の望みだ」


 憤怒である。マハクの言は、彼は意図していないが、ガルドの痛点を殊更に抉るものであった。許せぬ。その怒りが、彼を想定外の行動へと導いた。


「ようやく理解した。貴様は何も分かっていなかったのだな。……魔術を失うことが痛くもないと言うのならば。嗚呼承知した。俺は貴様に溝鼠を味あわせてやろう」

「溝鼠?」

「俺の5年をくれてやろうと言うのだ。貴様から魔術は奪う。しかし、全てではない。醜く、生き汚く、滑稽で憐れな『溝鼠』の魔術のみを使えるようにしてやろうと言うのだ」


 なんと言う悪魔的奇想であろうか。あえて、全てを奪うのではなく、僅かにその魔術を残すと言うのだ。これには流石のマハクも驚きを隠せない。


「待ってくれ。如何して、かように惨めな思いをさせようとする。僕を役立たずにするのはいい。しかし、惨たらしく生き長らえさせるのは、やめてくれないか」

「それよ。その顔が見たかった。いいや、貴様の言は聞けぬ。さて、その頭を出してもらおうか」


 非情なるガルドが、一歩、また一歩と近づいてくる。嫌々首を振り避けようとするが、固定された身体では満足に逃げるのもできない。


 間も無く首根っこを掴まれて、マハクは頭にも魔術の腕を添えられてしまった。


「あはれ、見すぼらしき溝鼠よ。『降魔封印』」


 言葉とともに、紅色の閃光がはしった。触れられた指先から脳髄へと、魔力の司令が飛ばされ、その効果を実行する。脳が焼き切れるかのような痛みの中、マハクはガルドの腕を掴もうともがくが、すでにその行為に意味はなかった。


 白目を剥き、加減もなく倒れ込んだマハクは、死人の様相であった。ある意味において、ヒト種のマハクという魔術師は、このとき死んだと言える。


「ああ、惨たらしや。すまぬ、すまぬなぁ。儂が間違っておった。マハクよ、すまぬ」

「ふん。この老いぼれ爺め。次は貴様だ」


 すでに脅威ではないと判断し、ガルドはマハクから背を向け老人の方へ歩み寄った。人の肉が焼けるような臭いと、燃焼した魔力の煙が合わさり、しばしば図示される地獄のような光景が広がっている。


 土は赤く焦げ、建物は焼け果て。屋敷は既に壊滅状態にあった。盗賊団は傭兵隊に殲滅されたが、ガルドの戦いによって生じた余波が、あたりを崩壊させたのである。


「さて。父上にはどのような魔術のみを残してやろうか。どのようなものでも父上には、耐え難い苦痛であるだろう。あるいは、あの男以上の……」


 そのとき、ガルドは背筋が凍りつくような思いに駆られた。不可思議な不安が、心のうちより湧いて出て、しかし、寸刻もなく消え去ってしまったのだ。

 不安の正体すらつかめぬ不安。ええい、と首を振り、先ずは老人をと彼は目線を前にあげた。


 恐ろしさに歪んだ老人の顔は、皺がより深く樹木の根を思わせる。滑稽であった。この表情を望んでいた。


「ああ……。そんな、ああ……」


 かつては尊敬の対象であったが、見すぼらしく喚く今の姿を見れば、過去の思い出も吹き飛ぶというもの。ガルドは笑みを浮かべ、勝者の余裕を持って歩を進める。


 怯えた様なデフルドの眼。瞳孔は開き、左右に僅かにぶれている。だが不意に、その甚振り甲斐のある瞳の中に、ガルドは微かな喜びを見つけた。


 今にも自らの魔術を奪い去られるというのに、喜びとは。思わずその窪んだ双眸を覗き込む。そこで、ガルドはようやく視線が老人と交差していないことに気がついた。


 老いた目はガルドを超え、その背後に注がれている。戦慄が全身をはしった。彼は、未だ感じたことのない凄まじい魔力が背後から漂っていることに気がついたのだ。


 突如、彼は背後へはねとんだ。そして振り返り、魔術を放つが、


「燃えよっ! 『火焔』」


 簡易詠唱とともに、ガルドが捉えたのは一体の恐るべき魔力の塊であった。


 言うなれば、一種の災害とでもいうべき、果てしない魔力が渦巻いて、一つの形を作っている。それは、ヒト種によく似ているが、存在力が桁違いであり、魔術の炎なぞ触れる前に消し飛んでしまった。


「……なん、なんだ。貴様」

「ああ、なぜここに……魔人が」


 答えは這いつくばる老人の口から発せられた。そう、薄暗く膨大な魔力が渦巻く中心に、太々しく止まる超存在。これこそが、魔人。これこそが超越者なのである。


 そして、その正体は言うまでもなく、「降魔封印」を施され魔術師としての生に終わりを告げたはずの、マハク、その者であった。



-8-


 月がやや動いた。魔力が収縮し、魔人はその姿を露わにした。


 つるりとしたヒト種の表皮に、骨格から何まで変わった様子は見られない。ローブの胸元が弾け飛び、見える皮膚は血が通った生物であることを示している。だが、その腕にはめられていた魔力封じの手錠を打ち破るほどの魔力は、魔人と呼称するにふさわしいものであった。


 ああ、これぞ魔人! いかなる偉大な魔術師たちが研鑽を積もうと、ついぞ辿り着けぬ超越の存在よ!


 だが、いかにしてマハクは魔人へと変貌を遂げたのか。その秘密は、デフルドが目指した魔術の研鑽と真逆に位置するものであった。


 しかし、その秘密を解き明かすには、やや剣呑な空気が流れていた。察するにそれは殺気である。気配を辿れば、憐れにも膝をつき涙を流すデフルドの前に立つガルドである。


「貴様、どこより現れた。いや、なんの目的で」


 支離滅裂に思えるガルドの言葉が、魔人へと投げかけられる。まるで見知らぬ他人へと投げかける様な、余所余所しい言葉である。果たして、魔人へと変わり魔力がほとばしるマハクの存在を、認めがたいが故であろうか。


「……ガルド。結局、僕は君が望んだ全てを手に入れてしまった」

「なんだと。……本当に貴様が魔人だと言うのか」


 ふっと、魔人の姿が消えた。ガルドは驚き、ほおを引きつらせ、だが咄嗟に背後へ拳を振るう。魔力を込めた一撃は、岩をも砕く。が、その腕は空を切った。視界の端に捉えた黒い影は、すぐさま背後へと跳びのき、気がつくとデフルドの姿が消えていた。


「さて、これで枷はなくなったな」


 魔人は呟いた。

 いつの間にやら元いた位置に立っている。腕の中にはデフルドがおり、その意識は失われているようであった。


「何を言っている。その老いぼれが、貴様の枷というのか。……なるほど、デフルドに雇われた傭兵か。魔人と言う輩も、随分所帯染みたことど」


 どうも何かしらの行き違いがあるらしい。マハクは首をかしげた。先程から、ガルドの反応が妙だ。というよりも、魔人へと成り上がってから、何もかもおかしいのである。


 魔力が枯渇していた身体には、瑞々しいエネルギーが脈々と流れている。筋肉も生まれ変わり、生命の波動に満ち満ちている。

 魔人と言うものが何かを全く知らなかったマハクではあるが、しかし成ると理解(わか)る。魔人の力強さである。


 そのきっかけは、紛れもなくガルドによって施された魔術「降魔封印」によるものであろう。マハクが極めたあらゆる魔術の殆どを封印され使えなくなってしまった。だからこそ、マハクは魔人へと至ったのである。


 ヒト種の魔術は、制御法こそ様々ではあるが、畢竟自らの魂を変化させ《世界》へと接続させることで発現するものである。魔術の種類によって一時的に魂の形は変わるものの、最後にはヒト種の魂の形へと戻る。さも無ければ様々な魔術を使いこなすことができないからだ。

 思うに、魔人の秘密とはただ一つ。たった一つの魔術を放つに相応しい魂に、自らを削り生まれ変わらせることであろう。


 魔人とは、()術を纏いし()なのだ。


 「溝鼠」以外の魔術を封印され奪われたことで、結果として、その魂は「溝鼠」そのものへと変化した。

 そうして、ここに1人の魔人《溝鼠》が誕生したのである。


 つまり、今のマハクはヒトではなく一種の魔術というべき存在なのだ。ともすれば、その満ち満ちた魔力や発達した肉体にも説明がつく。ヒトの細胞約37兆全てが、精霊素子によって生まれ変わっているのだ。魔人細胞とでもいうべき、魔力の収束が、彼の肉体を究極へと押し上げたのだ。


 魔人は、デフルドの身体をゆっくりと地面に横たわらせる。既に力量差は歴然としている。だが、ガルドがそれだけで諦めるとは思えなかった。


「ガルド。このまま引いてくれるなら。デフルド様を諦めてくれるのならば」

「馬鹿が! 『火焔』」


 するりとガルドは魔人の正面へ身体を滑らし、刻印術によって生み出した炎の剣をふるいながら、魔術を射出した。威力は引きほどよりも数段上の一撃である。


 魔人は、二つの攻撃を避けるでもなく、受け止めるでもなく、呆然と立ち尽くしたまま難なく乗り越えた。炎が身体を焼けないのである。代わりにローブの上半身は吹き飛んだが、いずれにせよその身体には焦げ跡すら見受けられない。


「溝鼠」


 魔人は既にその存在が魔術である。ゆえに簡易詠唱どころか、術式制御自体が必要ないが、ヒト種であった頃の癖として、マハクは呟いた。


 途端に、ガルドは目の前の魔人の姿を見失った。まだ目前に立ち尽くしているのにも関わらず、彼には魔人が消え失せたように感じたのである。


「ど、どこに消えたっ! 溝鼠だと。魔人ともあろうものが、そのような薄汚い魔術を」

「さらばだ、ガルド」


 狼狽えるガルドの腹部に、魔人は腕を通した。力強さは微塵もない、ただまっすぐに突き出しただけに見えた。しかし、その一撃は背まで貫通し、血と内臓が醜く吹き出した。


「ごふっ」


 魔力を込めただけの一撃が、しかしここまでとは。マハクは驚きながら、意外にも動揺していない自分に気がついていた。


 あるいは、すでに直感として理解していたのかもしれない。彼が、真の意味で、ついに孤独そのものへとなってしまっていたことに。


 魔人は、倒れゆくガルドを、どこか冷めた瞳で見ていた。うつ伏せになったガルドは、再び血反吐を撒き散らし、そして動かなくなった。心臓からは生命の鼓動が失われてしまった。


 呆気ない結末に、言葉を失ってマハクはデフルドの元へと向かう。老人は、鈍った頭を振りながらようやく立ち上がったところであった。


「師よ、私は」

「……なんということだ」


 マハクは、ガルドに手をかけたことを謝罪するべきだと考えた。だが事態はすでに、マハクの予想を遥かに超えて進行していた。


「何故だっ! 魔人よ! 何故、我が息子の命を奪った。ガルドが何をしたというのだ。ついに見つけた我が跡取りを。継承の魔術師を!」


 魔人の足へと縋ったデフルドは、狂気を目に宿し怒鳴りつけた。その言葉は、かつての弟子に投げかけるものではない。それは、マハクが魔人へと変貌したから、という理由だけではないはずだ。

 マハクは、はたと思い当たった。衝撃は体を駆け抜け、痺れるような恐怖がマハクを襲った。


 彼は今や、魔術「溝鼠」なのである。さすれば、その権能もまた。


「……デフルド様。私は」

「貴様な、なんだというのだ。儂は貴様なぞ知らぬ。とく去れ! 呪われてしまえ! 嗚呼、憐れなる我が息子よ! 我が魔術の結晶よ」


 デフルドは、気が狂ったように叫び続け、ボロボロとなった身体を引きずってガルドの方に向かう。


 ガルドが残した結界はすでに消えていた。魔人は居ても立っても居られなくなり、その場を後にした。


 屋敷の外に向かうと、傭兵長が疲れ切ったように座り込んでいる。声をかけようと近づくと、あからさまに警戒の構えとなり、後ろ手に剣の柄を握った。


「貴様は何者だ! 盗賊団の一味か」


 マハクは遂に理解した。

 彼は、再び1人となったのだ。孤独に生まれ、孤独に育ち。それでも漸く得られかけたつながりを、しかし、ついに永遠に失ってしまったのだ。


 魔術「溝鼠」は、その権能として存在が希釈される。覚えられず、認められず、繋がれず。彼は、まさしく孤独になったのだ。

 溝鼠の孤独である。


 マハクは一言も発さず、傭兵長の元をはなれた。魔力を込めると途端に漲る筋肉を活性化させ、数百メルを一息で駆け抜けた。


 魔人は、パッヅォに声をかけたい欲求に駆られたが、その結果はすでに予測できた。そして、それは、マハクをあまりにも惨めな気持ちにさせるのだ。


 空を飛び去りながら、魔人はガルドの言葉を思い出していた。


 マハクは、その強さの源に孤独があるという。なるほど確かにそうかもしれない。


 そして、一度手に入れたからこそ、失うことの恐ろしさもまた。


 夜明けの空に孤独な1人の魔人が消えていく。誰も彼の名を知らず、誰も彼の存在に覚えがない。

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