第八話 悔しさの鬼と一つめの呪い (その1)
フェイは旅のための携帯食料を買いに来たらしい。
「この世界のお金も使えるの?」
「そりゃ、使えるんじゃないのか」
薫の言葉に俺は肩をすくめて言う。
なにしろ、この世界の通貨のほうが世に広く出回っている。むしろ、俺たちの世界のお金なんて、あまり意味が無いものだろう。
硬貨ならまだ金属故の希少性があるだろうが、お札なんぞ下手したらただの火付けのための種火にしかならないかもしれない。
今のところは、この町では使えるが製造はされなくなるだろう。
やがて、この世界の通貨のほうが流通するだろう。
そう思っていると、妙な壁紙が貼ってあった。
「なんだ? あれ?」
「ああ、通貨の説明ですね。ヨシキさんの所の通貨をこちらの通貨に買えた表が出ております」
と、フルーが見て説明してくれる。
そんな会話をしている間にも、薫とフェイは喧嘩をしている。
さすがに、店の中で殴り合いをしないと言う程度の良識は二人ともあるらしい。
とは言え、
「ふん。負け犬がなんと言おうと、武道では戦った者の意見が通る。
その程度の事が解らぬようでは、所詮は女子供の遊びと言う事だな」
「遊びじゃない!」
フェイの言葉に薫が反論する。
ぎりりと薫の怒りがさらに強まっているのが手に取るように解る。火に油を注ぐと言う諺はこの世界にないのだろうか?
「ふん。負け犬がなにを言おうが無意味だ」
そうフェイが言えば、
「……うるさい」
そう薫がそう行った瞬間だった。ぶわりと薫の体から黒い霧がわき上がっていく。それと、同時に薫の体にも変化が現れる。赤黒い紋様が体中へと広がっていくのだ。
「なんだ?」
「あれは!?」
俺が驚く中で、フルーが声を上げる。
「呪いです!」
「えっと……からだから霧が出て来て、赤黒い模様が浮かび上がる呪い?」
そりゃ、どんな呪いだ!? と、胸中で自分にツッコミを入れながらフルーの言葉に俺はそう言って尋ねるが、
「そんなわけのわからない呪いはありません!」
と、フルーが怒鳴る中で薫の姿が変わっていく。
有名なモンスターを捕まえてポケットにいれて、戦わせて育てるゲームがある。そのモンスターの大半は、進化と言って変化していく事がある。
大抵は光に包まれていくエフェクトなので、どう言うふうに変化していくかはわからない。だが、それはきっと実際に変化を見せたら不気味な者があるからなんだろうな。
と、俺はその光景を見ながらどこか冷めた部分でそう思った。
それは、ただの現実逃避だったのだろう。
肉から骨が飛び出て続いてその骨を中心に肉が纏わり付き、そして漆黒の肌が表れる。明るい中で見るから、漆黒の肌に赤い紋様があるのが解るが、暗闇の中でならそれは解らなかったのだろう。そんな事を思っている間に、薫は黒鬼へと変わっていった。
「……やっぱりかよ」
と、俺は舌打ちをしながら距離を取る。
出来る事なら違っていて欲しかった予測が的中した。
「なんで、テストの山勘は当たらないのに、こういうのだけ当たるんだよ!?」
「山勘はただの願望と希望があるからだと思われますが……」
俺の言葉にフルーが律儀に理由を説明する。
「余計なお世話だ。
おい、店員さん」
と、俺は近くで腰を抜かしている……と、思われるクラゲの店員を見る。
くたりとしているのは、転けたのか腰が抜けたのか……それとも、力が抜けたからただああなっているのかは解らない。
そもそも、クラゲに腰があるのか? と、思いながら、
「客を非難誘導してくれ。あと、……警察に」
と、俺は苦虫をかみつぶした気分で居ながら言う。
「ふん。化け物になるとは修行がなって居ないな」
「呪いと修行は関係無いだろ!」
バカにするフィリに俺はそう怒鳴る。
そこに、
「それよりも、気をつけてください」
と、フルーが怒鳴る。
「あれは……」
「どんな呪いであろうと、女子供には負けない」
フルーが何かを言い終えるよりも先にフィリがそう言うと飛びかかる。
「おい。あの巨体に」
あの巨体に闇雲にぶつかってどうにかなるのか? と、言う俺の疑問はすぐに消える。 振り下ろされた手を逆に利用して黒鬼……もとい、薫をひっくり返したのだ。
「あれは……合気道のようなものか?」
と、俺は呟く。
武術の中には力で責め立てる技の他に相手の力を利用する合気道がある。俺もどちらかと言えば、合気道が得意だ。とは言え、あの巨体を吹っ飛ばすあたりはかなりの腕前だ。
性格は気に入らないが、あの腕前は誉めても良いかもしれない。そこに、
「はっ!」
と、倒れた背中に何度か拳をぶつける。
「しばらく麻痺をした。これで動けないだろう。
呪いの解呪屋を呼べば」
「いえ、駄目です」
フィリがそう言った瞬間にフルーがそう叫ぶ。そして、
「ぐごあああああ」
と、薫が叫ぶと同時に立ち上がる。
「バカな。麻痺させたはずだぞ」
「あれはただの呪いじゃありません」
フィリの言葉にフルーがそう叫ぶ中、突如として漆黒の霧が現れて俺たちを吹っ飛ばす衝撃波となる。衝撃波となった風は吹き荒れて、俺たちだけではなく商品や陳列されている棚までも吹っ飛ばす。
俺はとっさに近くに居たフルーを抱きかかえて守る。
どがらごしゃ!
と、言う音と共に背中に痛みが走る。
「ヨシキさん!? 大丈夫そうですね。頭から少し、血が流れている程度です」
それ、大丈夫と言うのか? と、俺はフルーの言葉に呆れながら目を開けた。
「頭から血が出ているのが大丈夫なのか?」
「脳みそが出て居るわけでも、頭が変形しているわけでもありません。それになにより、意識を失ってません。大丈夫です。
私は過去に頭の骨が砕けた事がありましたが、それでも大丈夫でした」
フルーの言葉にツッコミを入れれば、ヘビーな話が帰ってくる。
「あー。わかった」
過去に頭の骨が砕けて生きて居るのか? とか、なんで砕けた? と、言う疑問が脳裏に浮かぶが今はそれどころではない。
俺は、薫を見れば薫はフィリへと襲い掛かる。
「おい。ただの呪いじゃないとはどう言う意味だ?」
「あれは、九十九の呪いのうちの一つです」
俺の質問にフルーが言う。
「と、言うと……。
何とかの魔女王とかが使った俺たちがこの世界に来てしまった原因の呪いか?」
「はい。そうです……あの腐れぼけあばずれ女が作り出した、はた迷惑な遺産です」
俺の質問にフルーが真顔で毒舌を吐く。
こいつの性格は、やっぱり未だに良くわからないところがある。
「とにかく、あの呪いは特に何かをきっかけに強化しています。
おそらく、あれは……嫉妬の系列で悔しさをエネルギーにしています」
「悔しさ……」
その言葉に俺は納得する。
悔しいと言う思い。
それは、おそらくフィリに薫が負けてからだろう。いや、それだけではない。
薫は道場の後継者として、常に道場で鍛練をしていた。それは、嫌ではなかっただろう。だが、それでも格闘技の世界では女と言うのは基本的にバカにされている。
プロレスと言えば、男性がやっており勝負事の仲でも大抵は、男女に分けられており女性の場合は女子と言うのが頭に着く。
女なのに道場を継げるのか? と、言う言葉は常に薫にあった。
とは言え、薫の父親である師範が薫を無理に道場を継がせようとしていたわけではない。ただ、自分が親から教わってきたことを教えると言うのが、彼なりの娘とのふれあいだったのだろう。そして、母親を早くに無くした薫にとってその格闘技と言うのは、自分の全てであった。だから、父のよう格闘技の使い手として道場を継ぎたい。と、思った。
けれど、女である事実が常に脚を引っ張っていた。
とは言え、それを努力と才能ではねのけてきた。
だが、それを女と言う事で否定してバカにするフィリ。圧倒的な強さでの敗北が悔しかったのだろう。そして、それは呪いによって爆発した。
おそらく当初はそれでも鍛練で培われた精神力で悔しさを抑え込んでいた。だが、眠っているときまではその悔しさを抑えられなかった。
そして、悔しさが爆発して鬼となって居た。
「黒鬼になるとどうなるんだ?」
「暴れます。悔しさの魂現……強さへの渇望がさらに力を求めて、強者を襲います。
まだ、呪いに完全に犯されていませんが……。完全に犯されたら、二度と元には戻らず強者を倒してその血肉を食らう本物の鬼になります」
「マジかよ。まさか、それでも大丈夫と言う分けじゃないよな」
フルーの解説に俺はゾッとしない気持ちを覚えながら尋ねれば、
「あいにくと、あまり大丈夫じゃありませんね。
完全な鬼……魔鬼になったら最後、もはや解呪することは出来ません。呪いは別の他者へと向かってしまいますし」
と、フルーは答えたのだった。
「マジかよ」
フルーの言葉に俺は顔をしかめる。
「ちなみに、聞くけれどよ。
その完全な魔鬼とやらになるのはあとどれくらいなんだ?」
と、俺はハリセンを持って呻くように尋ねる。
「おそらくですが、……あと数時間もありません」
「呪いを解呪する方法は?」
フルーの言葉に一筋の汗を流させて言う。
「魔鬼の精神、つまり悔しいと言う感情を忘れさせる事です。
そして自分の意志を取り戻させる事です。
そうすれば、呪いが取れやすくなります。それでも、呪いを解呪する事はあなたの持っている道具が必須です」
「本当に、これでどうにかなるのか?」
フルーの言葉に俺は背負っていたハリセンを手にして尋ねる。
ハリセンでどうなる? と、思うが、
「ですが、今のままでは無意味です。気をつけてください」
「気をつけて、どうにかなるのかね」
フルーの言葉に俺はそう言っている間に、薫がフィリへと襲い掛かる。
「なんで、あいつに?」
「おそらく悔しいと言う感情の矛先だからだと思います」
「なるほど」
フルーの言葉に心から納得する。
そもそも、あの事件が起きたのもフィリと戦って負けたのがきっかけだ。
フィリへの敗北の悔しさが呪いを発動させたのだろう。
そう思う中で薫の一撃がフィリを吹っ飛ばす。
「おい。あいつ、大丈夫か?」
確かに気にくわない人間だが、死んで欲しいと願っているわけではない。
誰かが目の前で殺される光景なんてゾッとしないし、そもそも友達が目の前で人を殺す。そんな光景を見たくない。
「大丈夫です!
彼女は魔闘技の使い手は魔法で自分の肉体を治癒をする事は基本中の基本です」
「珍しく、ちゃんと大丈夫だと確証を持てる台詞……」
だな。と、言い終えるより先にフィリが吐血する。
「おい。大丈夫か?」
と、俺は慌ててフィリの近くに寄って様子を見る。
衝撃で服が破れたらしい。
その破れた服から明らかとなった体。
その体から解るのは、
「女?」
俺が声を上げる。
サラシで胸を抑え込んでいる様子だが、それでも女性だと解る。
「くっ!」
「お前……さんざん、女を否定してバカにしていたのに……。
女だったのかよ」
「驚きましたね」
頬を染めて悔しげに呻くフィリに俺とフルーが驚きを露わとする。
女と言う事を否定して、武道の世界に女が入る事を拒絶する。
そして、女が持つ武道の強さを否定していたフィリが女だった。
その事に俺は予想外で驚きを覚えていたのだった。




