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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第94章―新婚夫婦―

 どこかで何か鳴いている。キリンが歌を唄っているようだ(聴いたことないけど)。私は大きな木の上でその歌声を聴いている。風が吹いて、枝いっぱいの葉を騒がす。地平線はもうすぐ夕陽の果てに消えてゆく。そして、星一面の夜空がやってくる。・・・はずだった。

 いつの間にかキリンの歌が携帯の音に変わり、私は眼を開ける。そして気付く。キリンの歌が携帯の音になったわけじゃなくて、携帯の音が私の夢の中でキリンの歌声になってたのだと。私がいたのは木の上ではなくて、一人では広いと感じ始めたベッドの上なのだと。そして手を伸ばし、とりあえず携帯に出る。

「・・もしもし。」

私の眼はまだ半分しか開いてない。耳も何分の一かは閉じている。

「萌?俺だけど。」

・・そうだった!と一気に眼も耳も全開になった。

「ゴメン、寝ちゃってた。」

「いいよ、だって俺がこっちから連絡するって言ったんじゃんか。」

そうだ。志生が富田さんの家族と会うというメールを見て一時は眠気も飛んだのだが、30分もしない間にだるくなり、シャワーを浴びた後ベッドで横になりながら本を読んでいたのだ。そしてそのまま撃沈した。枕もとには途中でページが折れ曲がったままの本が置き去りにされていた。

「・・逢って話したいんだ。」

「うん。」

「今夜そこに泊まってもいい?」

「いつもそんなの訊かないじゃん。」

「そうだっけ?」

・・・なんとなく志生の様子がおかしい。奥歯にものが詰まった言い方というか、私の機嫌を窺っているような感じ。やっぱりそういう事かな、と思う。でも電話で訊く事じゃない。志生もそう思っているから今切り出さないのだろう。

「寿司でも取ろうよ。あとは何か買っていくよ。そっちに夕方6時くらいかな。」

時計を見る。午後の2時だった。

「じゃあお寿司は私が連絡しておくね。」

「じゃその時。」

電話が切れた。多分、今夜が志生と過ごす最後の夜になる。私の予想が正しかったら。

 


 6時を少し回った頃志生がビニール袋を提げてやってきた。

「呑むぞおー!」

「いつも呑んでるじゃん。」

「今日は特にだ!」

「ハイハイ。」

やたらハイになってる志生を見て、予感が的中する確率が99%だと思った。志生はいつもはしないのに、買ってきた飲み物を冷蔵庫にすすんで入れていた。

 ・・・大切にしよう。今夜という時間を大切にしよう。絶対忘れないようにしよう。またいつか、私たちの歯車が咬み合う日が来るかもしれない。来ないかもしれない。先の事はわからない。でも今夜は私たちはずっと一緒だ。志生は今夜は私の志生だ。私だけの志生だ。泣かない。絶対に。泣いたら志生が困るもの。絶対泣かない。



 注文した宅配寿司が届いた頃には、空きっ腹で飲んだビールや焼酎で“イイ感じ”になってきた所だった。志生が来る少し前にお風呂も準備しておいた。飲んだ後の志生の熱風呂はやはり心配だったからだ。冷蔵庫に飲み物を入れている志生にそれを伝えると最初はめんどくさがっていたが、結局素直に入った。志生がお風呂にいる間に買ってきてくれたつまみを用意し、冷蔵庫にあった残りもの(いつものことだが大したものはない。しば漬けとか。冷奴とか。調理が要らないものばかり)を出しておいた。そして志生がお風呂を済ませた後、自分も入った。

 宅配寿司が届いてお金を払う時、

「桶は玄関の外に置いてて下さい。あ、奥さん、桶は洗わなくていいので。家庭用のスポンジだとすぐ色が剥げちゃうんです。」

と言われた。奥さん?奥さんじゃないです、と言いそうになって止めた。奥さん。いいじゃない。

「あと、二人前以上取って下さった方に今キャンペーン中でこれ(それは私たちが絶対飲まない発泡酒というやつだった)一本サービスです。ご主人に。」

ご主人?ご主人も違います、でも言わない。ご主人、いいじゃない。

「それじゃ毎度。有難うございましたあ。」

毎度?初めてだと思うけど・・。まあいいや。なんでも。

 寿司を持って部屋へ行くと志生がちょっとニヤニヤして言った。

「奥さん?」

それを聞いて私も笑って言った。「ご主人?」

「あはははははは!」

二人とも爆笑した。確かにそうだよね、そう見えてもおかしくないよね、でもそんなに落ち着いてるように見えるのかな(笑)

「でも嬉しかった。」

志生がそう言った時、私は聞こえないふりをして笑い続けていた。涙が出そうになるのが怖いから。私だって嬉しかった。でも志生の言葉はまだ続いた。

「だってこういうのが俺の夢だったんだから。萌と生活するのがさ。」

言った瞬間志生は黙った。マズイと思ったらしい。“だったんだから。”もはやそれは過去形だった。私はそれさえも聞こえないふりをして、わざとオーバーに笑って

「何?何か言った?」

と訊いた。志生は曖昧な顔をして小さく首を振った。私がわざと聞こえないふりをしているのが分かったのかもしれない。

「さあ、食べましょ。ビール、持ってくるね。」

 私たちの宴会は遅くまで続いた。取りとめない話が終わった頃、ちょうどテレビで映画が始まった。コメディタッチのアクション映画で、二人ともケラケラ笑いながら見た。富田さんの話は一切出なかった。私も訊かなかった。私たちはどこにでもいる新婚の夫婦(結婚した事ないからわからないけど)のように、一つの食卓で同じものを食べて、安心しながら呑んで、食べるものを取り分ける時も箸の向きに気を遣わないで、時々ちょっとお互いに触れて軽くキスをした。そう、きっと今が、二人の夢だったのだ。こんな時間を永遠に過ごせることを、私たちは望んでいた。・・“だった”し、“いた”のだ。

 やがて映画が終わった。テーブルにはかなりのビールと焼酎の缶が並んでいた。もちろん全て空っぽだった。そして二人とも酔いに身を任せ寄り添い始めた頃、志生が静かに言った。

「萌、ゴメン。」



















































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