第9章―深い意味の行方―
私の作品を読んで下さるすべてのかたに感謝しています。本当に本当にありがとうございます。樹歩
…恋は、唐突にやってきた。夕立のようになんの前触れもなく。私はその怒涛の雨粒に打たれながら、身体中が恋心でずぶ濡れになってゆくのを少し楽しんでいた。
穂村さんには毎日1本点滴があった。点滴は、日勤の看護婦みんなで廻る。だいたいひとりの看護婦が6〜7本くらいやる。
私は自然に、でもぬかりなく、穂村さんの点滴を狙っていた。
彼は尿管結石だから、これといった処置はない。点滴や水分で石を出しやすくするだけ。入院当初の検査で手術の適応からはずれていた。だから、彼に確実に会うためには点滴が1番手っ取り早い。言い換えれば、他のスタッフが行ってしまうと、よほどの用がなければ彼と直接の触れ合いが断たれてしまう。
"何とか今日もゲットしたぞp(^^)q" ―今日で彼が入院して一週間だった。点滴を持って彼の部屋をノックした。
「穂村さん…おはようございます。点滴ですよ。」
「おはようございます。お待ちしてました。」
彼が冗談ぽく返事をする。最初の頃と比べるとずいぶん慣れた。
「痛みはどう?」
「実は夜中にけっこう痛かたんだ。」
「夜中?」
そんな申し送りはきいていない。
「かなりの痛みでした?この前と同じ痛み方でしたか?ナースコールしました?」
「ちょっ…ちょっと待ってよ。いっぺんにそんなに言われても。」
「あ、ごめんなさい…。でも今朝の申し…打ち合わせではそんな話はなかったから…。」
「うん、コールはしなかった。それに石が出たんだ。そしたら痛みが…」
「石が出たぁ!?」
思わず大声をあげる。
「トイレにあるよ。」
その声が出た時には室内のトイレのドアを開け、蓄尿瓶を確かめていた。彼にはいつ石が出てもいいように尿を溜めてもらっていた。確かにそこにはごく小さな石があった。後ろから声が続いた。
「痛くてコールしようとした時トイレに行きたくなったんだ。そしたら出たもんで…、ちょっと尿に血も混じってたけど、とにかく痛みが治まっちゃったから寝ちまったんだよ。」
「…でも石が出たのならなおさら教えていただかないと。」
冷静を装って言ったが、内心は困惑していた。石が出たなら彼は退院してしまう…どうしよう…、とそこへ彼からびっくりする言葉が出た。
「だって君がいなかったんだもの。」
…?どういう事?一瞬言葉を失う。
「…え?」
「だから、君が夜勤じゃなかったから。…いい知らせだから君に報告したかったんだよ。」
……言葉が出てこない。
「入院初日からずっと心配してくれてたじゃない。君にしてみれば仕事の意味だけだろうけど、俺は嬉しかったんだよ。だから君に一番に知らせたかったんだ。あ、別に深い意味ないよ、気を悪くしないでくれよ。謝るよ。」
「深い意味ないんですか。」
…それを聞いた私は何も考えず言ってしまった。言ってしまってから思わず口を手で塞ぐ。
「す、スイマセン!あの、あの、と、とりあえず石を持って…」
しどろもどろになってしまう。バカバカ!恥ずかしさで身体の感覚がなくなる。耳まで赤くなっていく、顔が熱くなっていく。身の置き所のない私はトイレへ戻り、石を回収しようとした。
「…深い意味にしてもいいの?」
後ろから声が響く。展開のめまぐるしさに頭が回らない。すごく時間が長く感じる。回りの景色がすべて止まって見える。やっとの思いで振り向いた。
「…君さえよければ深い意味にする。」
…もしかして……もしかして…私だけでなくて……。
「俺だけかと思ったんだけど…違ってたかな。思い上がっていいのかな。」
やっぱり言葉が出てこない。
「何とか言って。俺だってこんなに急にこういう展開になるとは思わなかったんだぜ。」
「ご、ごめんなさい…」
思わずうつむく。胸が熱い。息さえできない。
「ちゃんと話をしよう。でもその前に点滴はどうしようか?」
「あ。」
私の手には忘れ去られた点滴が握りしめられていた。