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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第89章―茨の重い鎖その18「富田さんは病気であってはならない」―

 スーパーから帰ってしばらくすると志生から電話がかかってきた。

「早く仕事が終わったんだ。今ホテルに帰ってきた。」

「お疲れ様。」

「昨日の話って何?何かあった?」

・・・ああ。富田さんの生霊の話か。そうだった、志生に話そうと思って・・。スーパーに行ってからすっかりあの人の奥さんで頭が一杯になってしまっていたので、志生から電話があるまで富田さんの事を忘れてしまっていた。両方の女性とも私にとって重要な存在であるのは間違いないのだけど、もともと好意的に受け入れたわけではない人達なので、両方一度に考える事が出来ない。正確にいうと、出来なくなってきたという方が近い。だんだん話がややこしくなってきて、もう私の手に余る状態になってきている。

 生霊なんて突拍子もない話を志生に言ってもいいものか。一瞬どうしようか迷う。それでも私は逃げることも出来ないし、放り出すことも出来ない。志生を愛している限り。志生と生きていく限り。気がつくのが遅くて、動くのが間に合わなくても、やらないわけにはいかない。そしてそれにはやっぱり志生が必要なのだ。

「あのね・・。」



 私は一昨日の夜にあった事を自分が記憶する限り正確に話した。なるべく個人的な印象の話はしなかった。志生を想って、その想いの強さから私の所へ来たと思っていることも言わなかった。こういう事があったという事柄だけを注意深く言葉を選んで、でも抽象的な言い方をしないで話した。志生は最初、私が語る話を訝しげに聞いていた。「うん、うん」と、とりあえず相槌をうっていたけど、その「うん」の中に明らかに“信じられない”というニュアンスがあった。無理もないと思ったので、それに対しては何も言わず私は話した。そして

「信じてもらえないでしょうけど、私も信じがたかったんだけど、その後富田さんが入院したって聞いたから。かなり具合悪そうだって話だったしね。」

と締めくくった。

 受話器の向こうからは返事がなかった。志生の息遣いはかすかに聞こえるのだが。

「・・志生?聞いてる?」

私の問いにようやく返事が返ってくる。

「聞いてるよ。・・・ちょっとにわかに信じがたいけど。」

「うん。そりゃそうよね。」

「俺にはそういうの見えたことないからさ。」

「私だってないわよ。あんなの初めてよ。」

「そうか。」

「でも、私がわざわざこんな話を作るわけないでしょ?私そんな暇人じゃないわ。」

「作り話とは思ってないよ。嘘だとも思ってない。」

「じゃあ信じてくれるのね。現実だって。」

「んー・・。どうだろ?」

「どうして?」

「・・最近の萌は精神的にかなり疲れているだろ?ほら、この前も・・」

志生が言いたいのはこの前のホテルでのことだ。私が志生の「富田さんをああしてしまったのは・・」という言葉に私があの人の自殺を絡めて反応してしまい、ちょっとの間だが錯乱状態に陥った。志生なりにショックだったのだろう。初めてあの人と私の事を話した時も、自分の言葉がきっかけで私が取り乱してしまった。志生はあれから私に充分すぎるくらい気を遣ってくれているが、ちょっとした事で私が自分でも抑えられないほど興奮してしまう。だから志生がこの話を、ひょっとしたら私が“思い込んでいる”話をしているのだと思っても無理もない事だった。

「ああ・・あれね。ごめんね、嫌な思いさせた。」

「いや、それはいいよ。無理ないさ。立ち直るには時間かかるよ。」

時間がかかる・・。時間をかければ立ち直れるのだろうか。そもそも私は何から立ち直らなければならないのだろうか。

「うん・・。でも、この前のは本当よ。本当に富田さんが来たのよ。」

「わかった。・・そういう事もあるんだろう。今週は夜勤あるの?」

私はカレンダーを見た。

「金曜日に。」

「俺が帰る日か。・・・とにかくまたそっちで逢った時話そう。それまでは余り色んなこと考えないように。富田さんの事も放っておけばいい。」

何を話すの?先に持って行きたくないから今日話したのに。色んなこと考えるなってどういう事?どうしてそんな事言えるの?・・・志生の曖昧な言い方が私のこめかみを刺激した。言われても仕方ないと思っても絡みたくなった。・・・でも我慢する。私が何かの拍子で混乱しやすいのは否定できない事だし、生霊なんて事もあまりに非現実的な話なのだし、少なくとも志生は私を心配して言ってくれてるというのはわかるから。ここで電話で喧嘩するのはお互いにとって何も生産性のない事だった。そして電話を切った。



次の日、私は日勤での出勤だった。正直気が重い。富田さんにあってしまう確率はかなり高い。何といっても病棟が6つしかない(2、3、4階にそれぞれ西病棟、東病棟)。そして病院全体が小さくはないが大きくもない。一応救急もしてるし、設備もそこそこ整っている。だいたいの疾患に対応してはいるけど、大学病院や大きな総合病院と比べるとやや小さめ。だから一つの病棟の収容人数もそんなに大きくない。それでも看護婦は不足していて、働いてる方はキリキリしているのだが。

 だから私が病棟から出なければ会う可能性はずいぶん低くなるのだが、患者を検査室やレントゲンに連れていったり、売店やレストランなど、公共の場に出るとその確率はぐんと上がる。あとは彼女の具合によってだ。具合が思わしくなくベッド上安静のドクター指示なら、病棟内から出るのはないだろうが、頭痛が治まって気分が良ければ売店くらい行ってもおかしくないし、検査とかで移動する事もあるだろう。そうなるともう予測不可能だ。

 “今日が水曜日・・。月曜と火曜でカタがついて退院してるといいんだけど。”それが唯一の望みだった。頭痛の原因がわかって、例えば片頭痛とかだったら、入院の必要はなくなる。検査で“悪いもの”がなければすでに退院しててもおかしくない。逆に“悪いもの”・・もしくはその可能性の高いものを疑うのがあれば入院はかなり長引く。脳の検査は他の検査と比べて比較的容易にできるし、結果も早い。

 私は仕事柄、つい最悪の事を考えてしまう。富田さんが脳の病気で、しかも悪性のもの。でもそれは本当に仕事柄で、個人的にはそんな事があってはならないと思っていた。富田さんが病気であってはいけないし、それで命を落とすなんてことは間違っていると。確かに彼女と私は志生をめぐって恋敵だ。そして私は彼女に勝てる要素は若さしかないくらい、彼女は女性として惹かれるものが沢山ある。確かに強引な行動もあるけれど、志生・・好きな男の想うあまりの事と思うと、それだけ精一杯走ろうとする姿に心打たれるのも事実だ。

 私たちがこれからどうなってゆくのか、正直見当がつかない。私自身、最近やっと志生と歩いていけるんじゃないかと思ったけれど、絶対とは言い切れない。まだその気持ちはとても曖昧であやふやで不安定だ。あの人の奥さんの事も気になっている。つまり、

「富田さんも奥さんも幸せにならなければ私も幸せになりえない。」

というのが私の本心なのだと思う。綺麗事かもしれない。理想だけ追って現実が見えてないと言われるかもしれない。でもこれだけ感情に濃い時間を過ごすと、女性二人の行く末を願うのは普通じゃないかと思う。しかも二人の人生両方に私は深く関わりすぎている。もっとも奥さんはそれを知らないのだが。

 奥さんがもしホテルで会っていた男性と真剣に付き合って幸せになろうとしているのなら、それはそれでいいのではないか。どうしたってあの人はもう奥さんを抱きしめることだって出来ないのだ。あの人は淋しいかもしれない。でも暗闇を選んで逝ったのは当のあの人だし、あの人が奥さんの事を想わなかったわけがない。どうか幸せに。そう思ったに違いない。でもその一方でどうしてもホテルで見た二人の姿がしっくり思えなくて、どこかわだかまっているのも本音で。私はそれを確かめたい、どうしても。

 富田さんにはそこまで責任みたいなものは感じないけれど、やはり不幸にはなってほしくないという思いが強くある。何といっても同じ男を愛しているのだし、彼女の未来が明るいものでなかったら、私もそうだけど誰より志生が一番心を痛めるだろう。志生は私にとって世界で、いや宇宙で一番大切な人だ。だから志生が心痛めたら、私も痛いのだ。どんなにわかり合えない者同士でも、相手の不幸を祈るような人間になりたくない。どんな結果になっても納得できるようにしたい。だから・・彼女は悪い病気であってはならないのだ。

 “どちらにしろ、今日出勤すればわかる。”私はいつもより力をこめてエンジンキーを回して、勢いよく車を発進させた。




















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