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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第85章―茨の重い鎖その14「恋と愛、そして暗い迷路」―

 明かりをほんの最小限まで落とす。私たちは映画の中の幸せな恋人のように身も心も影までも重なる。遠い夕焼けが、瞬く星空が、橋を渡ってゆくヘッドライトが、港に休む船の照明が、眠らない街に今も輝くネオンが・・・どこまでも私たちから離れてゆく。恋人のようにじゃない。恋人だ。誰よりも私がこの人の恋人だ。恋人・・。なんて甘美な響きなんだろう。この甘さは“彼氏”や“愛人”や“夫婦”という言い方では出てこない。“恋する人”だからいい。“愛する人”も意味はほとんど一緒なんだけど、私の中では微妙に違う。愛するだと、二人称的な意味に感じる。お互いを想いあっているから愛。文字通り真ん中に“心”がある。もちろんそれは素晴らしいこと。その一方で“恋”は下に心があるので下心。つまり、一人称。相手を恋い慕っている中に自分がどうしたいかという欲求が覗く。どこかで愛という狎れ合い(慣れあいと書きたいけれど、だいたい狎れあいになっちゃうから書けない:作者)に寄りかからない姿勢がある。油断して相手を失わないようにする努力を伴う不安感があって、こうして身体を合わせる時にはその切なさから解放される。祈りが通じた気持になる。それがお互いがお互いを想ってそうだったら。相手も自分と同じように自分を想ってくれてたなら。きっと一層相手を愛しくなるだろうし、二人でいる一瞬一秒を大切にするだろう。どこまでもこの時間を胸に刻もうとするだろう。・・・だから私は、愛と恋、両方とも好きな人と長く付き合う上で必要なものだと思っている。片思いの時も、恋人やフィアンセの時も。もちろん夫婦になっても。少なくとも私はそういう眼で相手を見ていたい。それが私の定義する“恋愛”だ。相手にそれは求めないが。

 求めない。それが大切であり、最も難しい所。特に男には。求めればそれは執着や要求になってしまう。女はそこを勘違いしやすい。私もさんざん求めていた。あらゆるものを。でも男は物はくれるけど、心は無理。たいがいの男が自分の道に女を寄り添わせたがり、女の道に寄り添いたいと思う事は少ない。もともと男と女は当たり前なんだけど恋愛感情の表し方が根本から違う。だから自分の愛情がどんなに深くても同じ量を相手に欲しがってはいけない。まれに痛い思いをするからね。(こういうアドバイス、女性にしかできないなあ。自分が女だから仕方ないけど。)

 

 志生は恋人。私の恋人。・・・彼に抱かれて、全身を波打たせながら何度もそう思った。あなたが欲しい。身体だけじゃなくて心も欲しい。私だけのものにしてぎゅうぎゅうに縛りつけたい。富田さんのことも真っ白に忘れてしまって欲しい。言えばきっと志生は「わかった。君の好きなようにして。」と言ってくれる。「君に捧げよう」と言ってくれる。でも言えない。自分が出来ない事を志生に言えない。私は忘れられないもの。絶対下ろせないもの、この十字架を。ほら、きっと見てる。視線を感じる。あの人がどこかで私を見てる。志生にしがみついてる私を。あの人は恋人。私の恋人。私を恋人と思って逝ってしまった人。

 ひとしきり動いた後、二人天井を見ながらそれぞれの思いにふけっていた時も、私は恋人について考えていた。この甘い水の海に沈んでしまいたい。どんなに甘美な優しいことを思っていても、そのすぐ後には自虐的な気持ちが浮かぶ。すべてが一つの意味に留まらず、必ず暗いものと背中合わせになってしまう。そしてそういう自分にもいつのまにか慣れて、すっかり自分になってしまっている。

「起きてる?」

志生が天井を見つめながら言ったので私の物思いはそこで止まった。

「起きてるよ。」

「・・なあ・・。」

「何?」

「・・・・・。」

言いにくい話なのか志生はしばらく黙っていた。私も何も言わずに沈黙にまかせていた。ゴクッ。志生が鳴らした喉の音がとても大きく聞こえた。

「・・萌・・。」

「ん?」

志生が緊張しているのが伝わってきて、こっちまで緊張モードになるけれど、それは出さないようにした。

「やっぱり結婚しよう。」

「!」

「萌の言いたいことも分かる。全部じゃないだろうけど、理解しようとしてる。でもやっぱり前に進みたい。」

「・・・。」

もっと違う話だと思っていた。でもこの状況じゃ逃げられない。

「富田さんは?」

「富田さんはもともと関係ないよ。」

「嘘。志生が一瞬でも迷ったのわかったよ。」

「迷ったのは、その・・、愛情じゃない。責任としてだよ。」

「責任?」

「彼女と昔もっとちゃんと話してから別れるべきだった。お互いが一方通行に気持ちを伝えて、その返事も訊かずに、ああ何も言ってこないから承知したってことだなって、勝手に解釈をして終わってしまった。お互い会うのが怖かったのかもしれない。でもそのせいで彼女はあんな考え方をするようになってしまった。」

「でも、富田さんだってずっと連絡してこなかったんでしょ?」

「そう。だけど、その間の時間の流れが同じとは限らない。俺は仕事や萌と出逢った事で急激に世界が広がったけど、むこうはそうじゃなかったわけだし。」

「でもそんなの志生に責任ないでしょう。終わったって思った後まで相手のこと考えないよ。それは普通でしょう。」

「本当はね。そうだと思う。俺が責任感じてるのは別れる時のことだよ。今言っただろ。ちゃんと会って話すべきだったんだ。自分以外の人間の気持ちなんてわかりっこないのにわかったつもりでいた。その、わかったつもりだった自分に責任を感じたんだ。」

「・・・。」

志生の話は以前の私なら理解できない話だった。でもあの人と別れた時の自分を後悔している今の私には理解できた。物事は最後までお互い納得した形で終わらせるべきだと志生は言っているのだ。それを放り投げた自分を無責任だったと。

「責任だけで迷ったの?あなた、それだけで私と富田さんを天秤にかけたの?」

「天秤なんてかけてないよ。そんなつもりはないよ。でも、彼女をああしてしまったのは自分にも原因がある。それをわかっていて知らん顔は俺にはできなかったよ。萌には悪いと思ったけど。」

カノジョヲアアシテシマッタノハジブンニモゲンインガアル。ああしてしまったのは・・・。ああしてしまったのは・・・。突如私の脳裏にあの人が浮かぶ。病院の階段、屋上出口、踊り場、白衣、ポケットには大量の薬・・・。

「ああああ・・・。」

「萌?」

「ああああ、私、私が・・あの人をああして・・」

「!!」

自分が抑えられない。自我が崩れる。手が震える。

「萌。萌!違う、今は俺の事話してる。君の事じゃない。もうやめよう。この話は。」

私には志生の声が聞こえない。私の眼には倒れて冷たくなろうとしているあの人がいる。見たわけじゃないのに私の脳裏には彼の死んだ場面がちゃんとビジョンになっている。

「ああああ・・、ゴメン・・、ごめんなさい・・。私・・」

志生が私を強く抱きしめて叫んだ。

「萌!しっかりしろ。俺の声が聞こえるか、萌!」

ハッ。

「志生・・。」

あの人が消えた。何だったのだろう、今のは?

「大丈夫か?何か聞こえたのか?」

「・・・。」

答えられない。呼吸(いき)をするのが辛い。

「俺の声が聞こえるか?」

コクン。私が頷くと志生はふうっと息をついて、私の髪を撫でた。

「少し眠ろう。」

志生は私を全身で抱きしめていた。私は自分に何が起きたのかわからずに怯えていた。何をどうしたら良いのか、どうしたら志生と前を見ていけるのか。今自分は一番どうしたいのか。暗い迷路に佇む私がそこにいた。

























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