第77章―茨の重い鎖その6「優先事項」―
カフェレストランを出ると、午後の日差しが降り注いでいた。
「これからどうしようか。」
「うん。」
私の問いに志生は「うん」と言って考えてる。
「萌は今日は自由だよね?明日の何時くらいまでならいい?」
「明日?夜勤だから・・、ちょっと寝たいけど、昼くらいまでなら。」
「そうか。じゃあいいか。」
何がいいのか?
「萌、一度アパート帰って荷造りして。」
「荷造り?どこ行くの?」
「いいから。」
志生がニコッと笑ったので、私は一瞬なんだかわからなかったが、その言葉に従って車を自分の家に向かわせた。
駐車場に到着。そう。最近駐車場が見えてくると、そこに誰かいないか確かめるのが癖になりつつある。いつ富田さんが来るかと。そして、心のどこかでいつかあの人の奥さんが来るんじゃないかと。誰もいないのを見てホッとする。
「俺、ここで待ってるから。簡単でいいけど、一晩困らないようにしてきて。」
「ここに戻らないって事?」
「うん。今夜はね。」
部屋へ一人で行き、夜勤用のバックを出す。中には洗顔道具やら、基礎化粧品が一式入っている。そこへ下着やらカットソーを入れ、とりあえず一晩OKの荷物が出来上がる。・・それにしても、どこ行くんだろ?もう2時過ぎてるからそんなに遠くには行けないと思うけど。まあ、いいや。部屋じゃ、どうしても昨日の事を思い出しちゃって滅入るもんな。志生もそう思ったんだ、きっと。
私が下に降りると志生は携帯を切っている所だった。どこかに電話していたようだった。
「お待たせ。」
バタン。ドアを思い切り閉める。誰に電話してたの?誰からかかかってきたの?そんなつまらない事を訊かない為。でももちろん志生はそんな女性の気持ちに気がつかない。“気づけよ。”
「・・さて。どこ行くの?」
ハンドルを握りながら訊く。
「駅。新幹線側。」
新幹線?どこ行くのだ、本当に?
「車じゃないの?」
「違うよ。それじゃ萌が疲れちゃうよ。そんな事俺しないよ。」
うっ。イイトコつく。ソンナコトオレシナイヨ。そして車は走り出す。
駅が近づくと志生が駐車場を指示した。会社所有の駐車場があるという。
「すごいね。こんな所に駐車場あるなんて。」
「正確に言うと所有と言っても契約で借りてるんだけど。ほら、俺みたいに完全に泊まりで出張行く奴もいるけど、中には日帰りの奴もいるから。そういう奴の為に確保してるんだよ。」
「ふうん。使っても大丈夫なの?」
「今日は土曜日だから使ってないと思うよ。本来は事前に総務に言っておくんだけど、今日は急だから、これを見える所に置いておけば。」
そう言って志生は自分の名刺を取り出した。
「名刺!すごい、志生そんなもの持ってるんだ?」
名刺というのを、病院で薬品メーカーの営業マンがドクターに渡す時しか見たこと無い私は、ちょっと興奮して見てしまった。
「別に大したもんじゃないよ。出張先で使うから持たされてるだけで。」
志生は少し照れた様子でそう言った。そして車のダッシュボードに目につきやすいように置いた。
車を停めて二人歩き出す。志生も小さなバックを持っている。だんだん小旅行にでも行くような気分になってきた。小旅行なんだけど。駅に着くと志生はまっすぐ切符の券売機に歩いて行く。眼で“ここにいて。”と言われた私は改札の近くで待っている。志生の後ろ姿を見る。なんだかドキドキ。後ろから走って行って抱きつきたい。もしかして私、後ろ姿フェチ?今まで思った事もないんだけど。(私は男性の後ろ姿フェチです。後ろ姿がカッコイイのは大事!もちろん正面も大事だけどね:作者)
「はい、切符。・・どうかした?」
「ん?ううん。ありがと。」
あなたに見とれていたとも言いにくい。酔っていれば別だけど。切符を受け取り志生の後ろをついて行く。新幹線のホームはほどほどの混み合い。
「観覧車行こう。夜の観覧車。」
「夜の観覧車?」
「うん、前は昼間だったからさ、暑かったし。」
「行くとこわかった!」
そんなに昔の事じゃないのに一気に懐かしさが溢れてくる。そうだ、夏真っ盛りの暑い日だった。初めて夜を一緒に過ごした次の日、確か日曜日。・・・・楽しかった。さっきもスパゲティ食べながら、あの日の事思い出したんだよね。
「さっきスパゲティ食べてた時に思いついたんだよ。」
「へ?」
「観覧車のあと食べたじゃんか、スパゲティ。サンドイッチと。」
キョトンとした顔で志生を見る。多分キョトンとしてると思う。マンガでいうと目が大きく開いて口が半開きになっている絵。・・・同じこと考えてたんだ。そう思ったら笑えてきた。
「ふふっ、くすくす・・」
「何?何笑ってんの?」
「ううん、何でもナイ。内緒。」
「なんだよ、変なの。」
・・同じこと考えてたんだよって言いたいけど、もったいなくて言えない。ただ嬉しい。志生と私に共通の思い出。私と志生の。私と志生だけの。
新幹線が入ってくる。ボーっとしている私の手を志生が後ろに引く。
「危ないよ。」
・・志生。ねえ、志生。私は本当にあなたと一緒にいていいの?こうして思い出を増やしてもいいの?二人の思い出が増えても・・、増えたら。増えていったら。別れるのが辛くなる。一人になった時辛くなる。昔、結婚を夢見た彼と別れた時、本当に本当にどうしていいかわからなかった。何年もの片想い、数ヶ月の蜜月、幾年もの遠距離恋愛。思い出はそれこそ満天の星の如くだった。この先も増えていく事はあっても途絶えることなんて思いもしなかった。それが途絶えた時。沢山の思い出を分かち合える唯一の存在を失った時。・・嫌だ。あんな思いは二度としたくない。
新幹線のドアが開く。志生が私に先に乗るよう促す。新幹線の中は結構混んでいたけど、私たちが選んだ号車は一番後ろだったので比較的空いていてすぐ座れた。
「観覧車乗って、夜景を見よう。」
志生は昨日の事も、今日実家であった事も忘れたかのような笑顔を見せる。私の一番好きなあの寝顔に負けないくらい、私のすべてを無条件に安心させる笑顔。・・・この笑顔まで遠い過去になってしまうんだろうか。私が何より辛いのは志生を失う事。でも、もし一人で生きてゆくなら・・思い出が沢山あった方が慰められるんじゃないだろうか。思い出は邪魔にならない。いや、やはり辛すぎる。思い出と実際の温もりではあまりにも違いすぎる。どうしたら私は私に納得できるのだ?新幹線の窓ガラスに映る自分に問う。・・・ねえ萌。あなたはどうしたいの?ドウスレバキガスムノ?ナニガイチバンユウセンジコウ?




