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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第76章―茨の重い鎖その5―

 「俺、今日は萌んちに泊まるから。」

そう言って志生が出てきた。私は先に車にいて志生を待っていた。玄関にお母さんが立っているのが見える。カーウィンドーを下げて頭を下げるとお母さんもコクンと頷いてくれた。

「お待たせ。」

志生が車に乗り込む。彼も母親に向かい軽く手をあげる。ゆっくりをアクセルを踏んで発進。

「今日、うちに泊まるの?」

考えてなかったのでちょっと驚いた。

「ダメ?」

「そんな事無いけど、昨夜も泊まったから・・。お母さん、何も言わない?」

「言う訳ないじゃん。さっきも言ってたじゃんか。萌が俺の嫁だって。婚約者なんだから泊まったって文句言わないよ。」

嫁・・。なるのかわからないのに。婚約だって白紙にしたつもりなのにな・・。どのみち穂村家は志生が私といる分にはいいって事なんだなあ。

「・・何?俺が嫁とか言うのが気に入らない?」

私が返事もしないで黙っていたので志生は私が怒ったと思ったらしい。

「え?あ、ううん。違う違う。ちょっと考え事しちゃっただけ。そんな、気に入らないなんて事無いわよ。・・・ありがたいと思ってる。ホントよ。」

最後の方、私は本当に心底そう思ってそう言った。(ここの文章だけなんか早口言葉みたいだな:作者)・・・志生のお母さんがあんな風に私の事を言ってくれるとは思わなかった。仮にそれが富田さんに諦めさせる為だけの事だったとしても、私にとっては本当にありがたい言葉だった。富田さんには申し訳ないが、今回の事で、私と穂村家は今までよりずっと近くなった。・・いいか悪いかはわからないが。

「そっか。それなら良かった。」

私のその言葉を聞いて、志生は嬉しそうだった。その横顔の向こうから太陽の陽が射して、いつにも増して一層志生の輪郭が明るく見えた。ハンドルを握っている私がそれを見たのはほんの一瞬だったけど、胸を締め付けさせるのには充分だった。切ない。嬉しそうにしてくれるのがこんなに切ないなんて。

 結局志生のお母さんは私たちの付き合いが順調だとわかって安心したようだった。いつ結婚するんだとも言わなかった。まあ、今日は富田さんの事でびっくりしただろうから、私たちの顔を見てもそこまで思いつかなかったのかもしれない。

 

 私はどうして志生が今夜も私と一緒にいようとするのかわからなかった。多分昨日の私の話が引っ掛かっているのだろう。でも、志生がそばにいてもいなくても事態は同じこと。志生に何か言われて何かが変わるとは思えない。自分でも持て余しているのだから。できればその話には触れてほしくない。昨日のように何もなく済むのだろうか。

 志生と一緒にいたいという気持ちと、一緒にいる事で違和感のある空気が流れてしまったらどうしようという気持ちが交差した。・・・参っている。本当に、ペシャンコになってしまう如く参っている。

  

 私たちはそのまま街に出てお昼を取ることにした。駅ビルにあるカフェレストラン。ここは駅ビルのテナントにありながら、スパゲティがなかなかの絶品だった。志生は鶏肉とアスパラのトマトソース、私はサーモンとアスパラのクリームソースのスパゲティを注文した。

「ここに来るの久しぶりだ。」

と志生が言った。“誰と来たの?私とは初めてよ。”と思う。口にはしない。

「私もよ。」

土曜日の午後。あたりは高校生っぽいカップルでいっぱいだった。・・高校生か。まだ6〜7年前なのに、ずいぶん昔に感じる。この何年かで、高校生の時知らなかった事を沢山知った。知らなくていい事も。知って良かった事も。戻れるなら戻ってもう一度人生やり直したい。そうしたら今よりましな現在いまだったかな。・・・いや、どんな人生でも結局同じことを思うんだろうな。だって人間わざわざ後悔するってわかってる事に手出さないもんな。時にはそうする事もあるだろうけど。

「高校生、多いね。」

志生も同じこと思ったようだった。

「うん。土曜日だもんね。」

私たちは取りとめない会話をしながら、熱いスパゲティをゆっくり食べた。食べながら、志生と観覧車に乗りに行った日を思い出す。あの日もお昼にパスタを食べたのだ。箸使いがきれいな志生が気になり、カッコよく食べようと考えながら食べたのだ。今はずいぶん慣れた。慣れただけの時間がそれなりに流れたのだ。それから私の記憶は高校生の頃までさかのぼった。


 私はその頃5年以上片想いした末やっと付き合えた彼氏がいた。小学校からの筋金入りの片想いだった。友達としてはそこそこ親しかったのだが、どうしてもその先が進展できなかった。私が想いを告げずにいたのもあったし、彼は私を女子の中では親しい友達と思っていてくれたけど、あくまでも友達でしかなかったから、他に彼女がいたりした。私が5年以上片想いしてる間に二人くらい彼女がいたと思う。今よりずっとずっと純粋だった私は、彼が幸せなら自分の気持ちが届かなくても構わないと本気で思っていた。だから彼が彼女と二人きりになる場所がないといえば、喜んで自分の部屋を提供した。ちょうど二人の家に中間に私の家があって、親が共働きで昼間誰もいないというのも好都合だった。二人が自分の部屋を使う時間、私は友達の家に行ったりして時間を潰した。私の気持ちを知っている友達は、そんな私の事を“何とかの上にさらに何とかがつく大バカだ”と言ったけど、私は彼が良ければ良かった。

 私と彼がやっと進展したのは私が田舎から今住んでる所へ転校が決まったころからだった。少女マンガのような展開で、たまたま彼女がいなかった彼が、私がそばからいなくなるとわかった途端「俺お前が好きなんだ」となった。だから私達が近くで一緒にいられたのは本当にわずかの間だけだった。でもその日々は、今でも心の中でキラキラと輝いている。遠距離恋愛になっても私たちはそれまでの付き合い自体が長かったから、淋しさはあったけどお互いを信頼し合うという点では全く曇りがなかった。私たちはバイトをしてお金をためて、親に嘘をついてホテルに泊まったりした。ホテル代より、お互いが会う場所へ行くための交通費の方がよっぽどかかった。でも頑張った。高校卒業したら私が彼のもと(田舎)へ戻るという約束を糧にして。でも、これを読んでいるあなたが想像ついた通り、話はそんなに簡単にいかなかった。私の親は私が働く所も少ない田舎に戻ることに反対した。彼の事はわかっていて認めてくれてはいたけど、一人っ子の私を遠くへ行かせるのも不安だったし、一人で行かせたら、それこそいつ妊娠して結婚だと騒いでもおかしくないだろうと踏んでいた。もう少しお互い社会に出て働いてからでもいいじゃないかというのがうちの親の言い分だった。私は最初、それこそ反抗して頑張ったが、彼と自分ならこの壁を乗り越えられるんじゃないかと思い始めた。もう離れ離れで二年以上頑張れたから。そして彼にそれを言った。彼は私が自分の近くに来るものと信じていたのでかなりショックを受けていたけど、結局承知した。でも運命は、あなたの想像通りに歯車を狂わせた。私が戻ってこないとわかった彼はちょっとした出来心で地元で知り合った女性と浮気をした。のちに彼は関係したのはほんの2〜3回だと言ってたが、つまりその女性が妊娠したのである。私と遠距離をもう少し続けると話したわずか二ヵ月後、彼は私に別れを告げた。まったく突然来たその手紙に当然私は納得できなかった。“好きな人が出来た。さよなら”。これだけ。妊娠の事が書かれておらず、それを知らなかった私はその手紙を信じられなかった。そして彼に会うべく田舎へ飛んだ。彼がいなくて、彼の親に詰め寄った私は、そこで初めて彼が浮気をし、相手が妊娠、責任を取って結婚するという話を聞いた。目の前が真っ暗になった。ここまで来た二人に道のりは何だったんだろうと。結局三日ほど田舎で彼と会うべく待ち続けたがとうとう連絡も取れず、彼も私が来ているのを知って実家に帰らなかった。私は傷心しきって帰ってきた。それから私は就職し、その後あの人と出会う。

 一度彼が田舎からこちらへ出て来た時、このカフェレストランに来た。彼は「田舎にはないレストランだな」と言っていた。・・・全く人の人生なんてあてにならない。あのまま親を説得して田舎に戻ってたら・・、彼が浮気をしなかったら・・、相手が妊娠しなかったら・・。私たちはおそらく結婚していただろう。そしたらあの人に会う事もなかった。会う理由がなければあの人が自殺する事もなかったかもしれない。私は自分が育ったところでのんびり暮らしている自分を、今でも容易く想像できる。冬は雪が多くて辛いが、彼と仲良く雪かきをしている自分をイメージすると、やはり私は幸せそうに笑っている。私の知らない所であの人が患者と向き合っているのも見える。二人の歩く道は全く違う方向を向いていて、交差する事は有り得ない。もちろんそうなると志生とも出会わなかっただろうが。志生と出会えないのはちょっと悲しいかもしれない。でもそれさえあり得ない話なら、悲しい事もないというか、もともとないものだから悲しいもすったもんだもない。こういう事は考えるとキリがないし、答えのない事だから意味を成さない。・・・でも考えてしまう。物事のすべてがあの人と自分に行きついて、あの人の人生を何とかしたかったという所に結び付く。それさえも意味を成さない事なのに、考えないわけにいかない。まるで強迫観念(どうしてもそうしないと済まない動作や考え方の事です。潔癖症の人が手から血が出るまででも洗わないと気が済まないとか。)になってしまったように。

 ちょっと前の自分なら、救いを求めてなくても出口を見つけようとしてた気がする。でもだんだんそれも出来なくなってきている。参っている。参っている事に慣れてきている。・・私はスパゲティを口に運びながら、志生が今夜その事に触れなければいいけど・・と願っていた。























 

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