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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第71章―茨の重い鎖その2―

 結局二人ともちゃんと起きたのは昼近かった。本当に、昨日のという日が消えてしまったかのように、志生は何もその事について触れる事はなかった。私は何度も迷った。こっちから何か言うべきか。謝った方がいいんだろうか。ずっと黙っていた事だけでも。・・・結果、私は何も言わない事にした。せっかく志生が多分気を遣って何も訊かないのに、こっちからほじくり返す理由がない。

 交代でシャワーを浴びた。先に志生が使って私が後だった。シャワーを浴びる時、何気に触った身体のあちこちが少しだけぬるついた。志生の唾液。それさえも愛おしかった。もう、私がする事は何もないのかもしれない。少なくとも今は思いつかない。全部志生に知られてしまったのだ。隠してる事はもう何もない。この先の行方は志生に委ねればいい。

 それでも“ハイ、スッキリ!”とは当然出来ない。仮に志生が私の事情もすべて飲み込んだ上で(昨夜からの様子からいっておそらくそうだろうけど)、結婚の話を持ち返されたとしても、今は無理だと思う。私が囚われているのは何より自分が1番よくわかっていることだし、とてもすぐに脱せそうにない。それは誰のせいでもない。志生は多分、今までと同じように惜しみない愛情を私に注いでくれるだろう。(富田さんの事があるけれど、今はそれは置いといたとして。)でもそういう問題ではない。そんな風に簡単に足し算引き算が出来たのなら、こんなに苦しくない。

 死んだ人に対してどんなに誠意を見せたくても、永遠に届く事はないし、終わりが来る事もない。万に一つ、昨夜私が思ったようにあの人が何処かで魂だけとなって私を見ているとしても、そして私のこの気持ちをわかって満足したとしても、彼から私にそれを伝える事は出来ない。私にはそんな人並みはずれた能力はない。永遠の、無限に続く一方通行。わかっているのはもうこの先、生きていても死んだとしても、私とあの人は身体どころか心までも交わう事はないのだ。


 志生と外に出た。

「1度家に行ってくれない?」

と志生が言うので、彼の実家に向かう。私はバツが悪い気がした。結婚どころか婚約もきちんとしていないのに、もう何度も志生をうちに泊めてしまっているのだ。私がそういう女(あえて説明することじゃないけど、つまり、独身で一人暮らしをしていて、その部屋に男を泊めて・・やる事はやってしまうという女)であると、志生の両親(特に母親)は思っているだろう。しかも私は志生の婚約の白紙を頼んでいる。志生はもう話したのだろうか。だとしたら尚更バツが悪い事だ。私は運転しながら、口の中でさんざん舌を噛んでいた。どうしよう。志生の両親に挨拶するべきか。もうとっくに1度会っているのだから知らん顔も変だろうし。志生の家までの道中それで頭が一杯になり、志生が話しかけても適当に返事をし、でも自分の言いたい事は言いあぐねていた。あと2、3分で着いてしまう辺りまで来た時、志生が訊いた。

「萌、なんか変だよ。何考えてるの?」

さすが志生。侮れない。でも多分志生は昨日の事を気にしている。もちろんそれも気になる。でもそれより目先の問題が先。

「うん、いや、あの、あのね。」

どうも私はこういう時、どもってしまう。どうもどもる。ダジャレを言ってる場合じゃないし。

「ほら、私はどうしたらいいのかなって・・。志生のご両親に・・。」

察しのいい志生はそれだけで私の言いたい事がピンときたようだ。

「ああ、なんだ。そういうことか。」

「なんだはないでしょ。」

「ゴメン。婚約延期の話はしてないよ。」

「え、そうなの?」

「だって、もともと親にはすぐ結婚したいなんて言ってないよ。結婚を前提に付き合ってるコがいるから会ってくれって言っただけで。」

「そうだったの?」

「だってそういうのは女の子の親の気持ちも大事でしょうが。貰う方が勝手に決めていい事じゃないよ。もちろん1番優先すべきは俺たちの気持ちだけど。」

私は力が抜けてしまった。一人でどたばたしてたのか。

「そうだったんだ・・。」

「うちの親はそれでよかったけど、萌のご両親にはそういうわけにはいかないでしょ。だからそっちの家ではちゃんと話したけどね。だから、俺にしてみれば俺んちの事より、萌んちでどう思われるかと思うとその方が気になってるわけだ。」

ああ、私って女は本当に自分の事ばかりでいつもどこか足りない。気がきかない、回らない。

「うちは・・、志生がもう30近いから早く結婚を進めたいって私が言っただけだから。でも、この前式場に行くとは言ったのよね。実際は行かなかったんだけど。」

「・・そうだね。」

あの日。志生が富田さんの所へ行ってしまった次の日。私たちは式場へ行って結婚式の日取りと結納まで計画する予定だった。志生がその晩富田さんの所から帰らず嘘をついたことで大ゲンカになり、結局式場には行かなかった。母は私の様子で何かあったのはわかった(母は結納も式場で出来るのか確認してきてと言っていた。)ようだが、それ以上は何も言わなかった。そしてあれからちょっと時間が経ってはいるが、何回か連絡は取っているけれどその話は出てこない。多分、私が何か言うまで放っておこうと思ってくれているのだろう。そういう親だ。それに親として、娘が嫁に行くのは仕方ないが、どんどんいかれてしまうよりは少しでも先に延びた方が嬉しいといったところか。

 この話は志生もいい気分しないはず。私もしたくない。

「うちはもともと私のする事には口出さないの。たまたま式場へ行くのが伸びてるだけだと思ってるわ。さすがに志生がアパートに泊まる事は言ってないけど。」

「そりゃそうだろ。」

志生も“さすがにそれはマズイ”という顔をする。

「大丈夫だよ。いきなり来るってことないもの。」

そんな事を言ってる間に志生の家に着いてしまった。どうしようという私の顔を見て、志生が言う。

「上がればいいじゃん。すぐ出るから。」



 心の準備がイマイチだったが、私も志生と一緒に車を降りた。降りながら、大事なことを訊いてない事に気がついた。全く私はいつもこうだ。

「ねえ、志生。」

どんどん玄関に向かう志生をあわてて引き止める。

「ん?」

「あ、あの、おうちの方は、志生が私んちに泊まってるって事・・。」

「ああ、知ってるよ。大丈夫だよ、そんな話出ないよ。」

そう言って志生は行ってしまう。それは以前(まえ)に聞いたから知っている。でも何回もそうなっているのをご存知なのか。それを聞きたいのに。これじゃ話半分だよ。・・・はあ・・。もういいや。私は半分開き直ったような気持ちで志生の後ろに着いて行った。

「ただいま。」

「こんにちは。」

玄関に入る。声に反応して志生のお母さんが出てくる。

「お帰り。あら、萌さん。いらっしゃい。」

お母さんは私を見てちょっと戸惑った顔をした。やっぱり・・。しょっ中、息子を泊める尻の軽い女と思われてるのかな。

「お久しぶりです。」

頭を下げる。なんとなく後ろめたくて、固い笑顔になっているのがわかる。

「ちょうどよかったと言っていいのかしら。」

「?」

「何?」

志生が訊く。母親は自分の息子と、一応息子の嫁になる予定になっている女の顔を交互に見てこう言った。

「・・・あなたたち、どうなってるの?」

いきなりの訊き方に志生が驚いた声を出した。私もビックリした。

「なんだよ、藪から棒に。」

そう言われた母親がもう1度、私を見る。言いにくそうに一瞬したが、あるいはそう見せただけのポーズだったかもしれない。彼女はこう言った。

「さっきまで来てたのよ。」

「誰が?」

志生が訊いたのと、私の脳裏にある人の顔が浮かんだのはほぼ同時だったと思う。

「富田さん。」

!やはり!ここまで来たか。その行動力、ここまでくればアッパレ!怖いものがなく、縛られるものもない女はどこまでも強い。多分、世界の果てまでも。



















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