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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第67章―死んだ人間とダンスは出来ない―

 あの時の事を思い出すと、今でも自分に悔しい気持ちがよみがえる。どうしてあんな風に萌を問い詰めてしまったのか。どうして大人の男らしく、

「大丈夫だよ。」

と言ってあげられなかったのか。

 鮮明に思い出す。萌の、恐怖に怯えた顔。救いを求める瞳。

俺は気付かなかった。自分の気持ちを押し付けるばかりで、彼女の本心を信じようとしなかった。いや、多分信じようとはしたんだろうけど足りなかった。不安の方が勝っていたからだ。

 あんなに俺の腕の中で幸せそうに笑っていた萌に、俺以外の男がいるんじゃないかって、どうして思ってしまったのか今ではわからない。そんな女じゃないと知ってるつもりだったのに。 時間が短すぎた。それは否めない。お互いの全てを分かり合うには余りに足りない。でも、それだけじゃなかったのに。二人が出逢って僅か数ヶ月。ほとんどお互い一目惚れの様なものだった。俺が入院した日は、今思うとあまり印象がない(とにかく腹の痛みで他の事は目に入ってなかった)けど、朝にわざわざ俺の様子を見に来てくれた時、久しぶりに女の子の存在を意識した。それまでは、あんなに大きかった知沙さんへの想いが、時間とともに薄らいでいくのが怖かった。

 知沙さんを、本当に愛していた。彼女を幸せにするのが俺の人生だと思ってた。そうすることで俺自身が男としての責任を果たせると思っていた。俺の為に彼女は嫁ぎ先でも辛い思いをし、()いては自分の実家でも居場所を失くすことになってしまったのだ。せめて贅沢はできなくても、つつましく生活できればと思っていた。でも会えないどころか、顔を見ることもかなわない日々が続いて、出張で色んな地方へ飛ぶ生活になったら、自分の視野がどんどん広がっていった。恋愛だけが人生じゃないと思い始めた。

 断言できる。暁星萌と出逢わなければ、俺は少なくともあの時点では、誰とも恋に落ちなかった。正直女に惚れるのは遠ざけたかった。そうしないと知沙さんに申し訳なかった。知沙さんは俺を庇って俺に会おうとしないんだろうと思っていたから。でもそれも俺の“そうであって欲しい“という妄想に過ぎなかったから、もしかしたら知沙さんに新しい恋人ができていても不思議じゃないという思いもあった。どちらにしろ、萌を意識するまで、俺はあえて知沙さんへの恋心を貫こうと思っていた。でも実際、萌を意識し始めたら、忘れてた恋愛の温かみが膨らんでいった。その波は俺の孤独を刺した。ずっと行き場所の無い想いを抱えていたから、本当に久しぶりに誰かと一緒にいたいという気持ちを自覚して、それを抑えられなかった。知沙さんを想う時間より、萌の姿を追いかける時間が増えていった。出勤してないとわかった日は(出勤日は必ず俺の点滴をしてくれてた)、もしかしたらデートしてるのかななんて、見知らぬ誰かに嫉妬してた。

 この気持ちは恋なんだと自分に認めてからは、もう知沙さんから遠ざかっても仕方ないと思った。俺はそれなりにやれる事はやったし、出せる誠意は精一杯見せてきた。もう知沙さんから卒業しても、誰に(とが)められることはなかろうと思った。だから萌も俺の事を意識してくれてるとわかった時、ああこれで本当に孤独から抜け出せると思った。この()となら幸せになれるんじゃないかと思った。もう自分には訪れないと思っていた優しい時間を、この()となら築けると。

 それくらい萌は俺にとって全てになりうる女性だった。今でもそうだと思う。だから萌から

「婚約を白紙にしたい。時間が欲しい。」

と言われた時、お先真っ暗の気分になった。しかも知沙さんが俺とやり直したいと突然連絡をよこしたから、本当に俺は八方塞がりになった。正直気持ちが揺れた。萌が夜勤の日、会社の前で俺を待ってる知沙さんを見た時、この車に乗ってしまったら萌とのトラブルは避けられないと思ったけど、知沙さんの涙に負けてしまった。

 多分女性は違うんだろうが、男は1度惚れた女が、例え別れてしまった後でも自分を頼ってこられたら、余程でなければ突き放すことはできない。男の方が、昔の恋愛(こい)を引きずる傾向が強いと思う。

俺には萌しかいないと、それだけは変えられないと思ったけど、知沙さんに自分を思い出してくれと泣かれた時、どうしてもう少し早くそれを言う勇気を持ってくれなかったのかと思った事も事実だ。眼の前で、あれだけ惚れた女に泣かれたら・・、たいがいの男は我を忘れて抱きしめてしまうだろう。実際彼女の部屋にはベッドがあったし、そうしてしまう事も出来た。でも済んでの所で俺は自分の自制心を保つことができた。それは女性には理解できないだろう、しんどいことだったが。だがそうしてしまったら、俺はまた同じ過ちを繰り返すだけだと思った。・・惚れた女に辛い思いだけさせること。もちろん知沙さんは俺にとって永遠に心に留まる存在だったけど、現在(いま)一番愛してて、大切な女は暁星萌だというのは紛れもない真実だったから。だから俺は知沙さんにひたすら謝った。待てなくて悪かったと。ずっと待っていられるほど、自分は強い男じゃなかったんだと。知沙さんは俺の胸に飛び込んできてずっと泣いてた。泣いて泣いて、“お願い、お願い”と懇願した。それは俺を苦しめた。一生守りたいと思った女を泣かしている事も、男としての本能の部分でも、とても辛かった。だけど、この辛さは今夜だけの事だと、今夜一晩我慢して、明日萌に逢って萌を抱いたら、通り過ぎただけの出来事になるんだと、俺は俺自身に言い聞かせた。そうして朝方になって、知沙さんが

「本当に終わりね。」

と言ってくれた時、俺の中で一つの区切りが出来た。知沙さんという幻影から、萌という現実だけを見つめられるという区切り。


 だから知沙さんが更に追いかけてきたことも予想外だったし、萌から婚約の白紙を言われるのはもっと想定外だった。また自分が心から欲した女性ひとを失ってしまうんじゃないかという不安が広がっていった。萌が原因を話さない事がその不安に拍車をかけた。今はわかる。言える話じゃないと。俺だって知沙さんとの不倫の事実をどうしても言えずに誤魔化したのだ。俺は怖かった。萌に“他人ひとものに手を出すようなことをしてきた男なのか”と思われる事が。そしてそれに対して最後まで責任をとらなかったのかと思われる事が。それだけで信用を失うんじゃないかと思った。男として、惚れた女から信頼されなくなったら終わりだと思った。

 それと同じように萌も苦しんでいた。俺を失いたくない、俺に軽蔑されたくない、俺と別れたくないと。でも真実を知ったからには“はい、死にましたか。そうですか。”と知らん顔を決め込むことも出来ない。どこかに突破口はないか、このまま先に進んでいいのか、誰に救いを求めたらいいのかと、日々苦しんでいたに違いない。

 萌のその状況を思うと、まだ知沙さんに謝る事の出来た俺の方がずっと恵まれてると言える。萌はそう思いなおしたから、最初の大ゲンカから一転、俺の事を理解しようとしたのだろう。なのに俺は、知らなかったとはいえ、萌を追いつめてしまった。知沙さんの言葉に便乗して、萌に詰め寄ってしまった。信じていると一言いってあげてたら、萌はどんなに楽だっただろう。

 あの怯えた顔をさせたのは俺だ。死んだ人間じゃない。そして死んだ人間には喧嘩を売る事も出来ない。萌を幸せにするからと、頭を下げる事も出来ない。

 でも、俺たちは生きている。俺も、萌も、この地球上に立っていて、今日を生きている。心臓が動き、命を刻んでいる。どういえば、それを萌に伝えられるのだろう。どうしたら、萌にそれを思い出させられるんだろう。死んだ人間と一生ダンスすることは出来ない。

 











































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