第61章―彼女の逆襲その1―
「富田です。」
え?富田さん?ちょっと・・今何時?時計を見る。7:15だった。まだパジャマなのに。どうしよう。でもしかたない。
「お早うございます・・。」
恐る恐る少しドアを開ける。
「お早うございます。朝早くにすみません。」
確かに他人の家を訪ねる時間じゃない。言いたいのをぐっとこらえる。
「・・どうしました?何か?」
富田さんはすでに綺麗にお化粧まで済ませていた。いったい何時に起きてここまで来たんだ?もっとも家がどこかも知らないけど。
「本当にごめんなさい・・。でも暁星さんが今日お仕事だとこの時間しかなくて。・・お仕事ですよね?」
「ええ、まあ。」
予想はついている。今日、志生と会いたいと言うんだろう。志生に断られたからここまで来たのだ。
昨日の夜。
「今日、また富田さんから電話が来た。」
電話の向こうの志生は少し不機嫌そうだった。
「・・そう。」
「断ったから大丈夫だと思ってたけど、なんか、今日はくどくて。」
「そうでしょうね。」
「なあ、君とどんな・・、いや、やっぱ明日訊くよ。電話じゃよくない。」
「明日、何時頃に着くの?」
「愛媛からの飛行機が午後だから、羽田について、東京へ出て・・、夜っぽいかな。7時は過ぎると思う。」
「それ、富田さん知ってる?」
「何処にいるか訊かれたけど、言わなかった。」
「私、また駅に迎えに行ってもいい?」
「いいよ。来てくれれば助かるし、そのまま出かけよう。東京あたりでメール入れるよ。」
電話はそこで終わった。
「今日、穂村君と会いますか?」
富田さんは、この前よりさらに直球だった。完全に私に遠慮をするのをやめたようだ。
「・・どうして私に訊くんです?あなた、志生と連絡取ったんですよね?会社にまで電話して。」
「本当は暁星さんに訊きたかったんですけど、さすがに訊けなくて・・。」
「・・・。」
「それで、今日は穂村君に会うんですか?何処にいるのか知らないけど、出張だとは教えてくれたので。今日、戻ってくるんですよね?」
「ええ。でも、私との予定を富田さんに教える理由はないですよね。」
「そうとは思うんですけど、穂村君は私と会ってくれないんです。」
「そこまでは私は関知しません。あの時言いましたよね?あなたが志生と話したい気持ちは承知したって。でも、私が協力するのはお門違いですよ。伝えたはずです、すべて志生次第だと。」
「本当に申し訳ないと思ってます。自分でもなんて厚かましい人間だと思います。私があなただったら、こうして話す事さえできないでしょう。でも私も後がないんです。」
「後がないってどういう意味ですか?」
「・・父から見合いを勧められてます。」
「・・・。」
見合い、結構じゃないですか。と言いたかった。ここでもこらえる。でも返すべき言葉がない。
「志生と私の事をあなたにいちいち話す気はありません。私もあなたの事には口を出しませんから。お引き取り下さい。仕事に遅れますから。」
「暁星さんから言ってもらえませんか、私ともう1度話すように。」
「!!何言ってるんですか。無理です、そんなの。」
「無理を承知でお願いしてるんです。お願いします。」
彼女の切羽詰まった眼が私を射る。まるで自分が酷く意地悪をしている気分になる。
「富田さん・・・。」
「お願いします。」
深く下げた頭は、そのまま地面についてしまいそうだ。
「どうか頭を上げてください。そんなことされても困るんです。志生の気持ちは志生のものだし、私にも何か言う権利などありません。そもそも志生は、誰かの意見に惑わされません。それはあなたもわかってると思います。」
「・・・。」
頭を上げたその眼から涙がこぼれていた。化粧が少しぼやける。それでも富田さんはいい女に見えた。
「どうぞお引き取り下さい。」
私はそう言うのが精一杯だった。富田さんもさすがに難しいと思ったのか
「・・朝早くにすみませんでした。」
そう言って立ち去った。
部屋に戻り時計を見ると、7:23だった。もっと長く感じていたのに。ああ、もう食事する気にもならない。私は煙草に火をつけた。
駅の改札口は以前来た時より混雑して見えた。19:10。私は志生を迎えに来ていた。沢山の行き交うサラリーマン、学生、OL。みんなそれぞれに目的があって歩いているように見える。帰る人、出かける人。この全く知らない人たちの中に自分が1番愛する人が含まれているなんて、なんだか変な気がした。でも、ちゃんと含まれている。大勢の人波の中を歩いてくる志生を見た時それを実感した。5日ぶりに見る志生は、私がプレゼントしたネクタイをしていて、いつにも増してカッコよく見えた。じゃない、カッコよかった。
「お帰りなさい。」
「ただいま。」
それだけ言って歩き出す。特別話を探さなくてもいい距離。会話がなくても気にならない距離。横を軽く見上げると、そこに志生の横顔があって、“ああ、この人は私のフィアンセなんだ”、“この人の隣に私がいるのは当たり前の事なんだ”・・そういう事を思う。そして多分世の中のだいたいの女性は、それを嬉しくて、そんな自分を可愛く思う。
「今日、萌の所に泊まってもいい?」
「いいけど・・、お母さん心配しない?」
なんて言ってるけど、内心は嬉しくて仕方ない。昨日の夜、もしかしてと思って部屋を掃除しておいてよかった。
「心配なんかしないよ。一緒にいるってわかってるだろうし。」
「・・・。」
くすぐったい気持ち。誰にもはばからず、周りに認めてもらえてる恋愛が、こんなにあたたかいなんて。でも一瞬喜んでも、すぐあの人の影が入る。ひたすら隠すだけだった恋と比べても仕方ないのに。
「空弁買ってきたんだ。」
「空弁?」
「駅弁の飛行機バージョンだよ。なかなか美味いんだぜ。」
「ふーん。嬉しい。じゃあ、飲み物だけ買っていこうか。」
私たちはコンビニで買い物をして、私の家に向かった。
駐車場が見えた時、そこにもう1台車が停まっていた。
「やだ、困るわ。どなたのかしら。」
といったのと同時に志生が
「あ」
と言い、私も
「あ」
と気づいた。人が立っている。その行動力恐るべし、富田知紗子。