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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第54章―呑まれてゆく蟻その7―

 私は雨に濡れながら駐車場まで歩いた。しっかりと濡れてゆく自分を自覚しながら、それでも濡れていたかった。あの人の奥さんに会えたのは私にとって必要なことだったと思う。たとえ余計にしんどくなったとしても、私はもはや自分を救われたいとは思っていなかった。何とか自分の中で処理して、どんな形になっても自分の一部にしたかった。納得したいというのとはちょっと違う。納得などできない。どこまでいっても。本当に欲している答えはあの人に聞く以外に方法(みち)はなく、それは不可能だからだ。でも私は生きている。こうして生きているのだ。生きている限り忘れることはできないし、十字架を降ろすこともできない。たとえ世界中の人が、そして最愛の人が許してくれたとしても、私は私を許すことはできない。許すことを許せないし、許されない。だからこの苦しみを自分のものにしたい。自分の一部として懺悔を繰り返しながら生きてゆく。その覚悟が、あの人の奥さんに会うことで出来上がりつつあった。それはむしろホッとする感じだった。自分を追い詰め、逃げ場を徹底的に失くすことで、ようやく自分の身の置き場所を見つけられるような気がした。

 私は車に戻り、これからどうしようかと思った。まだ昼前だ。お腹も空かない。駐車場には警備員がいて、ずっとこうしているのもはばかられた。仕方なく私は車を出してあてもなく走りだした。あの人とも思い出を辿りたいような気がしたのだが、いざ辿ってみると行き先が本当に見当たらなかった。病院と自宅の中間のファミレス、先程の喫茶店、和食のおいしい食堂・・。食べるところばかり。あとは少し走った所にあるラブホテル。多分、本当はもう少しはあるのだろうが、ここという所が思いつかない。”情けないな”と思った。4年も付き合ってて思い出せるのが食べる所とラブホテル。食べるか寝るかしかなかったのか。・・もっとも思うように会えなかったのもあるのだが。

 ”あ、そうだ”。私はファミレスの近くにある河原を思い出した。時々、ご飯を食べた後、あと少しだけ時間がある時に行った所。河原と言っても河自体は大きくて、その端が土手のようになっていた。ちょっと広めだったので、行き場のない営業のサラリーマンが車を停めてぼーっと時間をつぶしたりしていた。私たちも時々そこへ車を停め、どちらかの車に二人になって話をしたり、気分によってはここに書くのが恥ずかしい、でも読んでるあなたが想像するようなこともした。 

 しかし、行ってみると河原の入り口には進入禁止の標示板があって入れなかった。どうしたのかと思って車から降りて土手を見てみると、ブルドーザーが河辺の土を掘り起こしているのが見えた。

「あんた、危ないよ。」

私に気づいたガードマンが叫んだ。私は訊いてみた。

「ここ、どうなるんですか。」

「どうって・・、舗装をして遊歩道になるんだ。まだ時間かかるけどね。」

ガードマンは“なんでそんなこと訊くんだ?”という顔をしていた。

 だんだん変わってゆくんだな・・。私は何となく、自分が昔埋めた宝物が他人によって掘り返されて隠されてしまったような気分になった。もうあの河原はないのだ。あの人と小さなおしゃべりをしたり、他愛のないキスをしたり、泣きながら喧嘩をした・・、そうだ。ここで最後別れたんだ。ここで私はあの人にさよならを言ったんだ。どうして今まで気がつかなかったんだろう。  それを思い出した途端、私はとても悲しくなった。どんなにあの人を想っているつもりでも、私の中ではそれは全て”思い出す”くらい、思い出になってしまっているのだ。遠くなってしまっているのだ。・・どんなに悲しいことも苦しかったことも、いづれは忘れてゆくし薄れてゆく。誰も時間には逆らえない。私は今までそれは(何度も言うようだけど本当にいるとして)神様が人間に贈ったプレゼントだと思っていた。そうでないと生きていくのが本当にしんどくなってしまうからだ。だけど今はそう思えない。薄れ、忘れたくてもそれが許されない記憶もあるのに、脳は平等に記憶を遠くへ追いやってゆく。私が知る限り、遠くへやらないための唯一の方法は、その記憶を繰り返ししょっ中思い出すことだ。志生と生きていったとしても毎日のようにあの人を思い出すこと。

 ”それもしんどいだろうな。”雨に濡れた工事現場の標示板を見ながら私は漠然とそう思った。



 結局私はそれ以上行くところも思いつかずに、適当に車を走らせていた。時計を見ると午後の1時だった。お腹も空かないので、適当に眼に入ったスーパーマーケットで買い物をして帰ろうと思った。”あ、そうだ。”この近くにこの辺ではちょっと珍しいスーパーマーケットがあるのを思い出した。そこは見た目にはごく普通のスーパーマーケットだが、売っているものが他の所とちょっと違っていて、輸入の商品や変わった野菜などを売っている。値段は全体的にやや高めだが、そこでしか手に入らない食材が数多くあるので人気がある。私もそのスーパーマーケットが好きで以前は時々行ってたのだが、大体あの人とのデートの帰りが多くて、だから別れてからは来ていなかった。私の家からけっこう離れているので、来る理由がないと文字通り来ない。

 スーパーマーケットに着いた頃には雨はほとんどやんでいた。どよんとした雲が空にあったが、ところどころ雲の切れ間から青い空が見え始めていた。私は車を降りて深呼吸をしてから入り口に向かって歩き出した。  店内に入るとまだ真昼間の時間帯なのであまり人がいなかった。私は野菜売り場からゆっくり見ていった。果物のコーナーで梨が出ているのを見た。今くらいの時期からが美味しいのよね、と眺めていると、

「あら?あなた・・」

と後ろから来た人に声をかけられた。というより、私に声をかけたと思わずに耳に入っていなかったら、本当に真後ろで声をかけられたのだ。

「え?私?」

振り向いた私は本当にびっくりした。こんなことってあるんだろうか。よっぽど縁があるとしか思えない。

「あ・・」

「そうよね。あなたよね。今朝びっくりしたわ。どうしてバスに乗らなかったの?」

・・あの人の奥さんだった。
























































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