第37章―過去までの距離その12―
萌、久しぶり!元気か?携帯変えたのか?俺もそろそろ替えたいんだよな。そう言えばずいぶん話もしてないけど、あのいいなあと言ってた男とはどうなった?俺の方は彼女と順調だよ。たまにはあって飲もうよ。
これを読んでくれている人はあるいは”ええ?萌さんの親友って男性なの?”と思われるかもしれない。もちろん私には女性の親友だっている。でもこの潤哉という彼は、私の青春というか、人生に欠かすことのできない大切な友人だ。彼とは高校で同じクラスになってからの付き合いなのだが、ずっといい友達として私を見守って来てくれた。他の男性には訊けないことも彼には大っぴらに訊くことができた。彼も多分他の女性なら言いにくいことも私には話せたと思う。それもこれも、理由は何と言っても互いに恋愛感情が入らずに来たこと。なかなか有り得ない話だと思うけど(皆さんだってそう思う方が多いでしょうね)、最初から最後まで友情だけで培える男女関係も世の中にはあるのだ。
私は潤哉になら今の話を聞いてもらってもいいんじゃないかと思った。私は彼に志生のことを伝えていた。まだその時は私だけの片想いかと思っていて、メールで“いい感じの人がいるんだけど気持ちだけでも言えないかなあ”というような内容を送ったと思う。医師の彼との付き合いも知ってる。潤哉はずいぶん心配して別れた方がいいと何度も私に言ってくれていた。というか、それを知ってた友人のたいていが同じことを言ってたのだが。でも、愚かで自分の感情のままに動いていた私はあまりひとの忠告を受け入れなかった。その結果、今奈落の底にいるのだ。
私は何人かにメールで返事をした。そして潤哉にはこう書いた。
「実は携帯変えたのは大ワケありで・・。できれば時間作ってほしいな。」
送信。便利な世の中だなあ。昔は口で言えないことは手紙だった。手紙は相手に届くまでに時間がかかる上に書く字が相手に見られるので、相手が親しい親しくないにかかわらず緊張したものだった。それにはそれなりにいいこともあったけど。でも、メルアドを交換というか、訊くのに勇気がいるのも事実かもしれない。訊くということは”メール送る”ことを前提にしているし、ということはそこに理由なり必要性なり、親しさがなければ成り立たない。話が逸れた。悪い癖。
潤哉からはすぐに返事が来た。
「何かあったんだ?じゃあやっぱり飲みに行くか。いつがいい?週末はダメ。」
・・・ありがたいなあと思う。
水曜日の夕方に私たちは待ち合わせをした。潤哉の住む所は私の暮らす街より2つばかり離れた市街だが、彼は気を使って私の家に近い街まで出てきてくれた。その日も私は日勤で明日とは休みだったが、潤哉は志生と同じ週末休みの仕事だ。駅ビルの書店で待っていると、志生を迎えに来たことを思い出した。あの時、自分たちがもう夫婦になったような気がしたんだっけ。志生のスーツ姿や、大きなスーツケースを引いて歩く姿が浮かぶ。もうあんなことはないんだな・・。さすがの志生も怒っているだろう。携帯を変えたことに気がつかないはずがない。明後日は金曜日。私は日勤。土曜日が夜勤。志生から逃げることはまず不可能だろうけど、今回のことで志生も決心がついてるかもしれない。何しろ自分との連絡を取れないように一切断ったのだから。もちろん私だって平気なわけなかった。一昨日携帯ショップでデータを移してもらう時、店員から
「電話帳もこのままでよろしいですね?」
と言われ、最初はいと言ったのだが、一瞬考えて
「ちょっと待って下さい。」
と、私は志生のデータだけ全部消去したのだ。名前を見るだけで辛かったし、彼と同じストレスを自分にも科さなければ不公平に感じたからだ。
あの迎えに来た日がこんなに早く思い出になってしまうなんて。この先ずっと、駅に来る度にあの日のことを思い出すんだろうな。はあ・・。思わずため息。
「おい、俺と会うのにため息つくってどういうことだよ。」
ドキ。横を向くと潤哉だった。
「違うよ、疲れただけだよ。3日連続で日勤だったから。」
と言い訳。そのまま店を出て繁華街に向かう。
「ごめんね、出てきてもらって。忙しいんでしょ?」
「忙しいのはお互い様だろ?」
「まあね。でもこんなに早く時間作ってくれると思わなかったからさ。」
「週末は彼女と旅行に行くんだ。」
「へえ、いいねえ。どこ行くの?1泊?」
「京都。金曜日に新幹線で行くから2泊かな。」
とりとめない話をしながら、適当に目についた居酒屋に入る。席に案内されると店員がいきなり伝票を持って言う。
「先にお飲み物を。」
「俺は生。」
と潤哉。こういう時、ビールが飲めるのは便利だと思う。実は私はビールが苦手なのだ。飲めと言われれば飲めなくはないのだが、コップ1杯はいらない。そうなるととりあえずメニューを見てから決めたいのだが、こういう時の店員は客が”生ビール”と言うに決まっているかのように振舞っているような気がする。現に私がメニューを見ようとすると”メニュー見るんだ”みたいな視線が一瞬見受けられる時が多い。・・気がする。(ここを読んで賛同してくれる人がいたら嬉しいな:作者)私は素早く飲み物の一覧を見て、目についたものを頼む。
「チューハイのライム。」
「はい、ただいま。お飲み物が来る間メニューをご覧ください。」
他に何を見ろと言うのだ。・・いかんいかん、またもや悪い癖。
「何食べよっか。」
「何にしよ?」
志生と飲みに出かけると、たいがい食べるものは志生にまかせていた。志生がお金を全部払ってくれるのでなんとなく言いにくくて。最近は食べたいものをやっと言えるようになってきてたのだけど。今夜はそういう気遣いは要らない。潤哉とはワリカン(でもいつも彼が多めに払ってくれているけど)と決まっているから。お互い食べたいものを適当に決めているとビールとチューハイが来た。つまみを注文し、店員が行くと私たちはジョッキを持って乾杯した。
「おつかれー。」
最初のひと口が喉を通っていく。こうして私たちのささやかな宴会が始まった。