第29章―過去までの距離その4―
どんなに幸福の中にいても一瞬で城は崩れ落ちます。油断は大敵。自分で書きながら泣けました。樹歩
食事をしている間、私たちは今日会った仲人さんの話をしたり、次の二人共通の休みに式場へ行く話をした。
「萌は希望ある?」
「なんの?」
「ほら、女の人は6月がいいとか夏は暑いから嫌だとかあるじゃんか。」
「ああ・・。夏は確かに苦手かな。秋くらいがいいんじゃない?」
「じゃあ1年以上先!?」
志生はもっと早く結婚する気でいたようだ。別にそれは構わなかったのだが、先程の話がやはり引っ掛かっていた。すぐに結婚の話を進める気にならなくなってしまった。
志生のことは信じている。私のことしか考えてないことも本心だろう。でも・・あの女は又来る。きっと。確信めいたものが私の中に廻っていた。と同時に、彼女が何のために志生に会いに来たのか気になった。でも、思い立つ答えは一つ。彼女は志生とよりを戻すために現れたのだ・・・。そして事が起きた。
私が夜勤だったその日、志生は出張から帰る日だった。金曜日。そして明日の土曜日に私たちは初めて、結婚式場に足を運ぶ予定になっていた。
「お疲れ。今日は早めに着いたので、会社に顔出して帰る。明日てきとうに電話して。」
志生からの伝言を聞いたのが19時。会社に寄る。伝言時間は16時20分だった。会社規定で17時前に駅に着いたら出社するようになっていると以前聞いたことがあった。・・・胸騒ぎがした。でも、今日あの女性が来ているという保証もない。イラついてもしかたない。仕事はこなさなければならない。21時の消灯が過ぎ、雑用を終えると少しだけゆとりができた。志生の携帯にかけてみる。・・・・・・・出ない。途端に動悸が速くなる。”嫌だ、嫌だよ・・・。”私は思い切って彼の自宅にかけてみた。普段携帯で連絡を取り合っていて、自宅に電話することなどなかったのだが、この時はそんな余裕はなかった。電話には志生のお母さんが出た。
「あら、萌さん。こんばんは。・・志生?いいえ、帰ってないわよ。一緒じゃないの?」
私は礼を言い、電話を切った。志生のお母さんは
「昔から時々友達と会社帰りに飲みに行っちゃってたから。」
と息子をかばった。・・・昔はあのヒトのマンションに泊まってたわけね・・・。でもそれは私と出逢う前のこと。問題は今。今、志生が何処で誰といるのかが問題!もう1度携帯にかけてみる。出ない。さらにかけてみる。出ない。大至急連絡ほしいと伝言も入れてみる。来ない。…来ない!来ない!来ない!
私は確証した。あの女性と一緒なのだ…。や・ら・れ・た!!
その後も何度か携帯にかけてみたが、全く出る気配がなかった。嘘も、誤魔化しもできないのは勝手だけれど、こんなことをするならもっと上手にしてくれればいいのに!どうしてこんな目に私が合わなければならないの?結局夜中の2時を過ぎたころ、私は携帯にかけるのもあきらめた。彼女といることは明白だし(確認は取ってないが100%譲って事故にあったとしても実家に連絡が入れば私にも連絡が来るはず)、二人でどうしているのか考えただけで胸が張り裂けそうだった。どんなに他へ気を逸らそうとしてもこんな時ばかり想像力が追いかけてくる。もう2度と誰かに嫉妬するような恋はしない、しなくていいと思ったのに。穂村志生にはそんなことは有り得ないと思っていたのに。もう信じることはできない。ううん、彼も今頃私と別れる気でいるのかもしれない。きっとそうなのだろう、でなければこんなにあっけらかんと行方知れずになれる訳がない。人と人との歯車はこんなに脆かったかな、出会ってまだ短かったけど、それなりに絆を築いてきたつもりだったのに・・・。
仮眠の時間があっても、もちろん休める訳なかった。志生とあのひとが抱き合って眠っている姿しか脳裏に浮かばない。あの優しい腕が、指が、私じゃない人を慈しんでいる。どうして今日夜勤だったんだろう。でもよく考えたら、土日に時間を取りたくて金曜日の夜勤希望を出したのだ・・・。酷い、酷い、酷い・・・。あの女もずいぶんだけど、何よりついていった志生が憎い・・・。私だけだと言ったのは、私と生きてゆくと言ったのは・・、あの場限りの言葉だったの・・・。
結局私は机で30分くらいウトウトしただけで朝を迎えた。当たり前だが、両目とも涙で腫れ上がっていた。私は何も考えられなくなっていて、淡々と業務を進めていった。
7時くらいだった。突然携帯のメール音が鳴った。ビクッとする。・・・志生だ。今、帰ったのか・・・。
もはや志生との別れしか考えられなかった。私には許せない。許してあげたい。何も知らなかったことのにできればいいのに・・・。恐る恐る携帯を開け、メールを見る。
「昨夜は友達と飲んでそのまま寝てしまった。悪かった。家に着いたら連絡して。」
と書いてあった。・・・どうして今頃に嘘をつくのだろう。それを夕べ聞けたら私は何の疑いもなかったのに。私は怒りも悔しさも通り過ぎて、もはや何の感情も湧いてこなかった。このメールを信じてあげられたらどんなにいいだろう。そういうことにしてしまえたらどんなに楽だろう。・・・でも、これを読んでいる多くの女性にはわかってもらえると思う。どんなに相手がうまい言い訳をして騙そうとしても、わかる時にはわかってしまうのだ。できることなら騙されてあげたい。皆さんもそう思ったことでしょう。私もそうしたい。でもどうしてもそれができない。私は器の小さい女なのでしょうか?
私は返事を返せなかった。そのまま携帯をバックに放り込み、業務に戻った。検温の時も、投薬の時も患者さんの何人かが言った。
「看護婦さん、目が真っ赤だよ。ひどい顔色だ。よほど忙しかったんだね。」