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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第24章―彼のスーツ姿―

その日新幹線で帰ってくる志生を、私は駅まで迎えに行った。金曜日。この前プロポーズを受けてから10日ちょっと経っていた。私の勤務とうちの父親の都合が合わず、全員が都合がいい週末がなかなかなくて、結局志生が戻ってくる金曜日の夜に会うことになったのだ。それも2〜3日前に急に話が決まり、志生に電話でうちの希望を伝える形になった。志生はあわてた様子もなく承知してくれた。ただ、いつも出張の時には自宅に車を置いてくるので1度自宅に帰る、少し遅くなるけど構わないかということだった。それで私が駅まで彼を迎えに行き、うちから自宅へ送ることになったのだ。

 改札口で彼を待っていると、なんだかもう夫婦になっているような気持ちになった。夫を待つ気持ちというのはこういうものだろうか。同じ待つでも昔あの人を待っていたのとは全然違う。必ず帰ってくる人を待つのなら多少遅くなっても待つ甲斐がある。

 向こうから志生の姿が見えた時、私は思わず手を挙げてしまった。まるでTVドラマのワンシーンのように。志生はすぐ気がついて目があったが、何もリアクションなく歩いてきた。

 次の瞬間私は志生の服装を見て驚いた。スーツだった。よく見れば周りのビジネスマンも多くはスーツを着ていた。でも志生もスーツを着ているとは思わなかったのでびっくりした。その姿はいつもの志生よりずっと大人っぽく見えた。そして手には大きめのキャスター付きのスーツケースを持っていた。

「ただいま。」

「お帰りなさい。びっくりした。スーツだから。それにしてもずい分大きなスーツケースねえ。」

「ああ、出張の移動の時はいつもそうだよ。・・俺もビックリしたよ。」

「?」

「あんな風に手を振られたのは初めてだからさ。迎えも初めてだったし。」

「あ・・、恥ずかしかった?ごめんね。」

「いや、嬉しかったよ。でも、同じ動作を返すのは俺には無理。」

「いいのよ、そんなの。」

志生が照れ屋なのはわかってる。私たちは並んで駐車場まで歩いた。

「スーツ、似合うね。」

「そお?」

「うん。一瞬うちの親に会うからかと思った。」

「ああ、そりゃあその時はこのカッコで行くつもりだったよ。」

「そうなんだ。」

「そりゃそうさ。普段着では失礼だろ?でも、迎えに来させて悪かったね。」

「ううん、そっちこそ仕事帰りで疲れてるのにごめんなさい。父のわがままで。」

「そんなことないよ。会いたくないって言われたら困るけど、会ってもらえるなら。」

「確かに複雑そうな顔はしてたけど。初めてだし。会ってほしい人がいるって言ったの。」

「そうか。」

そうか・・・のあとに言葉がない。ということは彼はこういうこと初めてじゃないんだ?そうだとしたら・・・軽くショック。確かめたくなるのをぐっとこらえる。過去がお互いあるのは仕方ないことだ。私だって言いたくない過去があるのだから、年上のこの人にも過去があってしかるべきなのだ。

 駐車場に着き、スーツケースをトランクに入れる。

「では、行きましょか。」

エンジンを入れる。実家まで30分くらいかかることを伝える。

「それくらいあれば緊張感も慣れるかな。」

「緊張してるの?」

「してるよ、充分。」

私にはゆとりがあるくらいに見えるのだが。




 外に出てきた時、頬に当たった空気が夏の割にひんやりしているのが気持ちよかった。志生は夜空に向かって大きく手を挙げ、身体を伸ばしていた。そのまま背中に翼があったら飛び立ってしまいそうだ。これから共に人生を歩む人が鳥になっては困る。思わず上着の裾をつかむ。彼は振り向いてその手を握ってくれた。

「第一関門突破だ。」

「・・疲れたでしょ。」

「でも、優しい親父さんじゃないか。」

先日実家に戻った時、あらかじめ志生の話はしておいた。もともとうちの両親は私のすることにあまり反対しない方(というより私が1度決めたら反対してもきかないから。今の職場にも実家から十分通勤圏内だったのだが、ひとり暮らしをどうしてもしたかった私は両親に話す前にアパートを契約してきてしまった。他にも多々あるが、つまりはすべて事後報告で済ませてきた。)なので取り立て心配はしてなかったのだが。

「会ってみないと結局わからないから、会うだけは会うよ。」

と父は言ってくれた。そして実際に会って、志生を多分、少なくとも気に入らなくはなかったようだ。

「次は私の番ね。ご両親に気にってもらえるといいんだけど。」

「うちは大丈夫だよ。俺の決めたことに口は出さないよ。もう30になるんだし。」

「それはそれよ。やっぱり嫌われるより気に入ってもらいたいわ。」

志生はそんなもんかね、とでも言いたそうに私を見た。私は彼を実家近くまで送った。彼の実家は私の職場に近い。家の前まで行こうとしたが、その手前にあるコンビニでいいと彼が言うのでそこで車を停めた。

「ほんとにここでいいの?ここから歩くの?」

「少し風に当たりながら歩いて帰りたいんだ。萌こそ早く帰らないとうちの人心配するだろ?疑われちゃうよ。」

私はその日は実家に泊まることになっていた。

「明日逢える?」

この“逢える?”という言葉は、私にとって少なからず勇気を必要とした。逢えないと言われたらどうしようと身構えてしまう癖がついていた。志生に対してはそんな必要がないとわかっていてもやっぱり緊張してしまう。ある意味、考え方にも人それぞれ癖があって、1度ついた癖は簡単には変えられないのだろう。

「もちろん。朝、メールするよ。」

もちろん。もちろんと言ってくれるんだ・・・。なんだか泣き出してしまいそうになった。ここで泣くのもはばかられたので

「うん、待ってる。」

と明るく言う。そして軽いキスをして彼は車を降りた。隣に停めていた車の運転手がちらっとこっちを見たがそんなのはどうでもよかった。

 ひとりでもと来た道を戻る。さっきまで隣にいた志生を思う。ひとつ、大きな壁を超えたかなと思う。そしてまた悩みも生じる。・・志生のうちに行く時、何を着て行こうかしら?と。









































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