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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第19章―いい男、運転手に褒められる―

 その日私がアパートについたのは夜の7時くらいだった。ドアを閉めるなりバックを放り、自分の身もベッドに放り投げる。ふぅ・・・・。なんて長くて短い1日だったのだろう・・。

 時計を見る。昨日、この時間はちょうど志生と待ち合わせて1軒目のお店に入ったころだ。彼のビールを飲み込むのど元の動きを思い出す・・・。笑顔の一つ一つ、言葉の一つ一つ、触れられた指の一つ一つ・・・志生のすべてが脳裏に浮かんでは流れていった。寝返りを打ち仰向けになった時、サボコに目がいった。

「サボコぉ・・。とうとう志生と寝ちゃったよ。」

サボコはどことなく不機嫌に見えた。仕事以外で部屋を空けることがないことと、今回は夜勤の次の日に外泊してしまったので、結果的に二晩サボコをひとりにしてしまった。

「サボコ、怒ってるの?」

・・・・・。沈黙。

「ごめんね、サボコ。」

私は素直に謝った。サボコは私の大切なルームメイトだ。志生がいつかここに来たらもちろん紹介するつもり。私はサボコを窓際からテーブルに降ろした。

「ホント、ごめん!」

今度は両手を合わせて謝った。心なしかサボコはさっきより落ち着いてきたようだ。

「・・サボコ、私、いま本当に幸せなの。」



 帰りの電車の中でも志生はずっと手を握ってくれていた。たまたま空いてたので座席に並んで座り、私は志生の肩にもたれて電車の揺れに身を任せていた。そして、今日の出来事を思い浮かべた。昼食のあと、結局私たちは港街をとりとめもなく歩いた。商店街をウィンドーショッピングし、坂道をどこまでも登り、そこの上から見下ろす海の眺めにときめき、ベンチでジュース(志生は甘いものが苦手だそうでお茶かウーロン茶だった)を飲んだ。その頃には、もうあの人との辛い思い出など遠い彼方に飛んでしまっていた。

 駅に着いた時、志生は私をアパートまで送ると言ってくれた。でも私は断った。まだ時間も早かったし、アパートまで来られたら別れがたくなってしまう。

「じゃ、タクシーで帰って。」

「まだバスあるわよ。」

「だめ。言うこと聞いて。」

彼が命令口調で言うときは絶対譲らないのがわかってきていたので、もう私は逆らわなかった。大切にされていることに慣れない。でも、大切に思ってくれているのが痛いほど伝わってくる。

「ありがと。」

タクシーに私を乗せ、運転手にいくらか渡し、

「また連絡する。おやすみ。」

と彼は言った。車が走り出す。振り返ると、次のタクシーに乗り込む彼の姿が隠れるところだった。

「いい男だね。」

運転手が声を出した。

「まだ若いのに女の子に金を出させない。しかもあんたじゃなくて俺に渡した。なかなかそこまでする男はいないね。」

「・・そうですね。ありがたいです。」

「婚約者?」

「いえいえ、まだそんな。」

「まだ、か。でもあの男はいいよ。大丈夫だ。」

何を根拠の、何が大丈夫なのかよくわからなかったが、志生を褒められているのがなんだか自分を褒められているような気がして、深い優越感に浸ってしまった。アパートの前に着いた時、運転手はお釣りを渡してくれた。

「彼氏は釣りはいらないと言ってくれたが、受け取れないや。」

私も自分のお金じゃないので一瞬戸惑ったが出してしまった手は引っ込みつかない。

「いつもならささやかな金もありがたく頂戴するよ。こういう時代だからね。でも、今日はいいもの見させてもらったからさ。」

私は改めて運転手の顔を見た。

「女を本当に大事に扱うってことを思い出させてくれた。この歳になるとそう言うのが疎くなるんだ。思っても素直に表せない。でも今の若いのは下手すりゃ平気で女に金を出させる。ここんとこそれが普通だった。」

「・・・・・。」

「あんたの男はいい奴だ。知らん奴だがいい男だ。大事にしなよ。大事にしてもらってさ。」

「・・ありがとうございます。」

そしてタクシーは小さくクラクションを鳴らして走り出した。



 「・・いい男、か・・・。」

ベッドに横たわり、サボコを見つめながらそこまで思い出し、私は目を閉じた。明日は日勤・・・。明日もお休みならよかったのに。あ、でも志生は仕事なんだ。もう少ししたらまた全国飛び回りとか言ってたなあ・・。淋しいなあ。ああお風呂入らなきゃ。下着取り替えたい・・。・・・・・・・・・。

肌寒さで目が覚めた時、時計は23:15だった。ありゃ。またやってしもた。私はふらふらと起き上がり、お風呂の蛇口を思い切りよくひねった。湯気がもうもうと上がりだした。







































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