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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第18章ー箸使いについてー

 どこを見渡しても人、人、人・・・。そして空からは夏を待ちきれないと言わんばかりに太陽が燦々と輝いている。すれ違うカップル、家族連れ、友人同士のグループ・・。みんなたいがいはニコニコしていた。何度か子供の鳴き声も聞こえたが、それも大した問題ではなかった。私たちもその他大勢となって歩く。

 誰も私たちを見ることはない。ごく当たり前の、どこにでもいるようなカップル。

 以前、この街に来た時はあの人とだった。本当に久しぶりの遠出のデートで、私は必要以上に浮かれていた。嬉しくて嬉しくて、はしゃいでいた。今思えば子供だったのかもしれない。でも、いつも人の目を気にしながらのデートだったので、本当に嬉しかったのだ。その時のことを思い出すと、もうずいぶん前のことなのに今にも涙が出そうになる。

 浮かれた私は、些細な気持ちで彼の腕に手をまわした。いつもならそんなことはしない。できない。でもその時は軽い気持ちでそうした。自分たちの住む所から遠く離れた所なら許されると思った。普通の恋人のようなことをしても許されると思ってしまったのだ。そして拒絶された。手が触れたか触れないかのところで、彼の腕はさっと遠のいた。

 ”えっ?”と思った。彼はそのまま私の前を歩いていった。鈍い私は、最初気がつかなかった。ううん、気がつきたくなかったのかもしれない。後ろからもう一度指先が触れようとした時、彼はおもむろに振り向き、

「誰が見てるかわからないから。」

と言った。

 そのあと、どう過ごしたか・・よく覚えていない。多分ものすごく傷ついたはずだが、臆病者の私はその時怒りをあらわにはできなかったと思う。せっかくの遠出のデートを台無しにするくらいなら、傷ついたことに気がつかないようにすればいいと思った。そして、そうすることが大人の女だと思った。

 でもそんなことは大人でも何でもない。耐える=大人ではない。少なくともその時の私は、結局いい顔をして自分の自尊心を守りたかったにすぎない。




 志生は歩いている間、ずっと私の手を引いていた。人混みでぶつかりそうになると、さっと肩を抱いてくれた。そういうささやかな優しさがどれだけ女を安心させ喜ばせているか、世の中の男性はあまり分かっていない。(もちろん、世の女性全部がそうだとは言えないが。)

 私は志生の後ろ姿や、横を歩いて見上げた時の志生の横顔にずいぶん安心した。そこにいてくれるだけで、何も入る隙間のない安堵感があった。そう。今の私はあの時の私じゃない。隣に私だけを守ってくれる人がいるのだから。

「お腹すかない?」

観覧車から見えた公園についたころ彼が言った。

「そうね。それに、喉渇いたね。脱水しちゃう。」

「俺も。じゃあ、なにか飲んで食べよう。何食べたい?」

「なんでもいいよ。志生の好きなもの。」

「萌。」

!!一瞬昨夜がフラッシュバック。

「・・そうじゃなくて!」

「はは、冗談。萌を食べたら俺が困る。」

 私たちは笑ってまた歩き出し、適当に目についたカフェに入った。落ち着いた感じの店だった。入って椅子に腰かけるなりウェートレスに彼は言った。

「お姉さん、ビールね。」

・・!この人には正しい水分の摂り方を教える必要があるらしい。

「志生。ビール飲むのは構わないけれど、それだけじゃだめよ。アルコールは水分にならないわ。余計脱水するわよ。」

「もちろん、水も飲むよ。」

屈託ない顔での返事。私はそれ以上言うのをやめた。私がそばにいて気をつけてあげればいい話だものね。そして私たちはミックスサンドとパスタ料理を注文し、適当に分けて食べた。

 前から思っていたことだが、志生は物の食べ方がとても綺麗だった。魚にしても、最小限の骨だけ残す以外は綺麗さっぱり食べる。私も別段汚い食べ方をする方とは思っていないが、彼のは群を抜いている。初めて食事(実際は飲みに・・だが)に行った時その箸使いの上手さに驚いた。それを褒めると

「うちはおふくろがそういうことに厳しかったんだ。」

と言った。私は途端に自分の食べ方が大丈夫か、とても気になりだした。しかも私は不器用で、箸使いも上手ではない。余談だが、手術の際もドクターに器具を渡すのも下手だ。あれは慣れの問題という人もいるけれど、私はいつまでたっても慣れないようだ。

”スパゲティとミックスサンドか・・油断できない。”私は取り皿に少しずつ取って食べた。少しでも綺麗に食べられた方がいいに決まっている。

 しかし気にすればするほど、緊張して上手くいかないというのも世の常だ。でも私はなんとか少しずつ口に運ぶことでその場を乗り切った。彼も当然綺麗に食べた。スパゲティもフォークにくるくると巻いて、途中で麺を切るなんてことはなかった。その指使いがとてもしなやかで、不器用な私はただただ見とれてしまっていた。食事をして一服してる時もつい彼の指に目が行ってしまう。

「さて、これからどうしようか。」

志生にそう言われてもすぐに返事できず視線が泳ぐ。

「んー・・・。どこでもいいよ。」

「行きたいとこない?」

「うーん、ここと言って・・。志生と歩ければいいかな。」

私は正直な気持ちで答えた。志生はちょっと照れたように微笑みながら

「ではとりあえず歩きますか。」

と、伝票を持って立ちあがった。そして、またあの暑い陽の下に出た。





















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