第17章ー観覧車その2−
観覧車はゆっくり昇っている。…ような感じがするけれど、本当は案外早い。あれだけ待ったことを考えると、2周くらい乗せてくれてもいいのではないだろうかと思う。(賢い方は気がつきましたよね。2周回したら待ち時間も2倍ですよね(^^ゞ)
私たちは最初向かい合う形で座っていた。でも、ゴンドラから下の景色が少し小さくなってきたところで志生が隣に移動してきた。
「やっと乗ってもすぐ終わっちゃうね。」
「うん。」
海が目の前に見える。人がどんどん小さくなっていく。自然に私たちは指をつないでいる。二人とも外を見ながら黙っていて、でも、お互いの存在を何よりも近くに感じていた。少なくとも私はそうだった。
ついこの前まで見知らぬ他人で、ただの(言い方が悪いけれど)患者さんで・・・でも今こうしていて。私は、自分は絶対患者とだけは恋に堕ちないを思っていた。看護婦の中には、医者や金持ちと結婚するために看護婦になった人もいる。これを読んでいる人にちょっとがっかりさせてしまうかもしれないが、病気の人をいたわってあげたくて看護婦を目指す人、もしくは、自分が優しくされた経験から看護婦のなろうと思ったなんて経歴の持ち主は現実は少ない。私が看護婦になった理由は・・、これを話すとストーリーが逸れてしまうのでまたいづれ。
とにかく、人間の出会いなんて本当にどこでどうなるかわからないのだなと思う。志生だって多分そう思ってるだろう。あの日お腹が痛くならなければ病院に来ることだってなかったのだろうし。仮に病院に来たとしても、うちの病棟に来なければ二人が出会う可能性はかなり低くなる。そう考えると二人の出会いも、運命的と言えない訳ではないかもしれない・・でも、ただの偶然だけだったりして。それはそれで面白いかも。あまりこういうことに叙情的になりたくない。そういう考えに、昔さんざん振り回されたのだから。
「萌・・」
小さく彼が囁く。いつの間にか私の指にいた彼の指は、私の首筋に置かれている。そのまま私は目を閉じる。次の瞬間、彼の温かい唇が私の口をふさぐ。おそらく、どこのゴンドラでもカップルなら同じことをするだろう。誰かに見られるかもしれないギリギリのところでするキスは、まるで、親に嘘を言って夜遊びをしているかのような感覚だ。少しだけ、悪い遊びをしているかのような錯覚。
でも、今の私は、むしろ誰かに見られても構わないくらいの気分だ。大きな大きな波に揺られているような、どこまでもどこまでも海原を飛んでいく鳥のような、暖かな太陽の光を全身に浴びているようなおおらかな気分だった。・・ああ、だれにも遠慮の要らない恋とは何て素敵なことだろう・・。なんてしあわせなことかしら・・・。
彼の柔らかい唇の感触を味わいながら、私は文字通り、身も心も溶けていった。
やがて私たちのゴンドラは観覧車の天辺に差しかかって、ますます遠くの景色が見渡せた。少し歩いた公園には、遊覧船やディナークルーズをやっているフェリーも見える。そして港を象徴しているタワーもあった。私は志生の肩にもたれながら、目に映るものをただ受け入れていた。
「天辺に来たね。」
「あっという間だよ。」
あっという間と志生は言う。でも、このわずかな時間にもあなたに対する自分の気持ちが深くなっていって、今この瞬間も、きっとかけがえのない思い出になっていくのよ。・・と心の中で呟く。どうか、どうか、ずっとこの人の隣にいられますように。
「下り始めたね。」
観覧車に乗るたびに思うのだが、ゴンドラが下りに入るとまるでスピードが上がったかのような気がするのは私だけだろうか?昇るときと同じスピードのはずなのだが、頭でわかっていても納得できない。
「もう終わっちゃう。」
ロマンチックな時間が名残惜しい。でも志生は冷静というか、現実的だった。
「乗った瞬間から終わりの始まりだよ、こんなもん。」
「つまんない。」
志生はくすくす笑いながら
「じゃあ、気分を変えよう。次はどこいこっか。」
と、私の肩を抱きながら言った。げんきんな私はその言葉でもう機嫌が良くなった。そしてゴンドラが真下にきて、係りの人がドアを開けた。早く出て、とでも言いたげに。