第16章ー観覧車その1−
「観覧車乗りに行こうか。」
朝食を食べながら志生が言った。
「観覧車?」
かくして私たちはそのまま駅へ向かい、観光地の港を目指した。そこには何年か前は日本一だった観覧車がある。線路は海岸沿いを走っていて、電車の窓から海が見えた。志生は何も話そうとはせず、私も黙っていた。でも志生の右手は、ずっと私の左手を握ったままだった。それだけで私は満たされていた。
私は窓から見える海を眺めながら、夕べの夢を思い出していた。・・・あれはなんだったんだ?同じ夢だったと思う。でもちょっと違っていた気もする。あの声の人はだれなのだろう・・志生なのだろうか。でも以前見た夢の時はまだ志生と何の関係もなかった。・・あの人なのだろうか。それとも全く違う人なのか。考えても仕方ないか・・あ、なんか同じことを夢の中でも思った気がする。でも本当に仕方ないよね。結局夢は夢なんだもの、確かめようがない。
私はそれ以上夢について考えるのをやめた。そしてなんとなく隣の志生の顔を見ると、彼は眠っているようだった。ただ目を閉じているだけのようにも見えた。”相変わらず静かだなあ・・”でも彼の寝顔はどんなに見ていても見あきない気がした。とても穏やかな、落ち着いた気分になれた。この寝顔を守ってあげたい、彼の眠りを遮ろうとするすべてのものから守りたい・・そんな気にさせられた。
でもそんなことが可能なのはベッドの中だけで、実際は私が彼の眠りを遮ることになった。
「志生、志生。もうすぐ着くよ。」
彼がパッと目を開けたので安心した。キョロキョロ周りを見る。カワイイ。
「ゴメン、俺、寝ちゃった。」
「うん、寝てたみたいだね。」
彼は窓の外を見て目を細めた。いい天気。
「暑そうだね。」
「夏だものね。」
本当に外は眩しいような晴天だった。陽に焼けてしまうだろうな・・なんて思う。もう、太陽が怖くないなんて言える年ではない。日焼けは大敵。そんなことを考えているうちに駅に着いた。電車が止まると一斉に乗客が降り始めた。志生は私の手を引いてどんどん歩き出した。
観覧車の前は、わかっていたことだがすごい人だかりだった。いや、観覧車だけではなくて街全体がどこもかしこも人であふれていた。さすが日曜日。
「すごいね。」
志生は半ばあきれたように言った。
「日曜だし・・。」
そこへ遊園地のTシャツを着た男性が通ったので、どれくらいで乗車できるか訊いてみた。
「1時間くらいかな。まだいい方だよ。これから増えてくるから。」
と、そのお兄さんは言った。
私たちは目を合わせて”それじゃあ、待ちますか”とお互い合図した。
並び始めてすぐに飲み物を何も持っていないことを後悔した。暑い・・。7月に入って間がなかったが、もう梅雨明けしたかのような空だった。
「暑いね。」
と、声をかける。が、いない。志生がいない。”えっ?”周りを見回す。いついなくなったの?トイレかな?一言いってくれれば・・・と、急に頬に冷たいものが当たった。”うっ。”向くと志生がジュースの缶を持って立っていた。
「いやあ、暑くて我慢できなくて・・。これ飲めた?」
「あ、ありがとう。いついなくなったのかわからなかったよ。」
「ごめん。だってすぐそこだし。」
なるほど、彼が指をさした方には飲料水の自動販売機が見えた。
「でも、なかったんだよな。ビール。」
ビール?あれだけ飲んでまだ欲しいのか・・というより、昼間からも飲む人なのか・・。でもそれは言わずに(気持ちが解らない訳でもないので)、
「ビール飲みたかったんだ?」
にとどめた。志生は全く動じない様子で
「だって暑いじゃんか。」
と言った。そしてウーロン茶を飲んでいる。私にくれたのはリンゴのジュースだった。私も缶を開け、喉を潤した。美味しい。はあー、と息をつく。
「美味しい・・、ありがとう。」
「これだけ暑いと脱水が怖いからなあ。なあんて、看護婦さんに言うことじゃないか。」
志生は笑っていた。
「ううん、そのとおりよ。恥ずかしいわ。」
「俺は飲む人間だからさ、余計脱水しやすいし喉も渇くんだよ。」
「そうね。よく覚えておく・・ん?」
「何?」
私は彼の顔を見て言った。
「それだけわかっていて、なぜビールなの?余計脱水するじゃない。」
志生はエヘッとでもいうかのように苦笑いをした。カワイイ・・・。そして観覧車の順番がやっときた。並び始めてから50分経っていた。