第133章―もがき―
「まぼろしの跡」をお読みくださる皆様。更新が不安定で、しかも今回も大変遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます。どうかあたたかい目でお付き合いくださいますようお願い申し上げます。感想やメッセージもお待ちしております。必ずお返事させていただきます。よろしくお願いいたします。 樹歩
それから志生とばったり逢えなくなった。
私の同僚が週末の休みを希望したり(私たち看護師の勤務はたいていシフト制で、事前に休みたい日の希望の旨を師長(または主任)に伝え、受理されれば休める。上の人は部下の休みの希望やら職場の都合やらを考慮して、勤務表を作成する。)、退職願を出した人が有休消化の為に休むことになったので、土日の勤務が一気に増えたのだ。
志生とは2〜3日に1度はメールのやり取りをしていたが、すでに逢えずに3週間が過ぎていた。それでも一人で考える時間ができたと思えば、それはそれでよかったのかもしれない。
私はずっと守るべきものについて考えていた。
・・・私はあの人を守れなかった。いや、守るのはいつも男性で女性の自分はいつでも守られるものだと頭からそう思って、自分の考えに疑いの余地を入れることもなかった。一対の男女がいた時、女はいつも男という羽毛に包まれるものと、それは身の心も同じだと・・・。でも違う。男であろうと女であろうと心許す仲になったなら、互いが互いを守ろうとするのが本来あるべき形。そうすることで敷いては自分を守ることにもなる。もちろん時によっては間違いとわかっていても相手を傷つけることもある。いつでもお手手つないでご一緒に・・、というわけにはいかない。でもやはり、どちらか片方だけが必死に外敵や障害から相手を抱え込むのは間違っているし、それを当然だと思う方もおかしい。
私はそんなごく当たり前のことを知らずに愛情を語っていたのだ。私一人が悲しい思いをして、我慢ばかりしていると思い込んでいた。あの人は恋愛の美味しいところばかりをつついていると信じ込んでいた。
あの人の立場をわかっていたけれど、でもそれはやはり“立場”だけであって、彼の心情まで察していたかと問われると今は自信がない。私の、若さからゆえの浅はかな勘違いだった・・その方が当てはまる。でも私は私なりに我慢もしたのだ。我慢したと思うが・・・はたしてそれが彼を、彼の心を守ろうとしたと言えるだろうか?
志生からはいつも優しいメッセージが届いた。仕事も頑張っているようだった。
「ずっと萌と逢えないからお土産溜まっちゃったよ。届けに行けばいいんだろうけど・・。やっぱり逢えるならゆっくり逢いたいし。きっとこの次逢えた時、俺は季節外れのサンタクロースだよ。」
そんなあたたかい言葉が携帯の場面に並んだ。それを見ると私は嬉しくて切なくなった。そして強烈に志生に逢いたくなるのだった。・・・いつか結ばれる日がくるのだろうか?いつか二人で意味もなく笑っていた日のような笑みが、またこぼれる日が来るんだろうか?
どんなに志生を愛していても、どんなに志生に愛されても・・・どんなにお互いを必要としていてもきっと死人への負い目から解かれることはないだろう。いや、それを望んでいるわけじゃない。私は頭がだんだん混乱してきたのでそこで無理やり考えるのをやめた。そして湯を沸かして温かな紅茶を作り、一人でそれをすすった。熱い液体がのどから奥へ流れてゆく・・そのことだけに意識を集中しようとした。
これまでの自分。この気持ちは恋であり、愛でもあった。とても強く、でもあまりに拙い感情。まるで今にも水面に落ちそうなくらい低いところを飛んでゆく鳥のように頼りなく、それでいて決して溺れることはない。「もうこれ以上何も誰も失いたくない」という気持ちから「志生だけは失いたくない」という気持ちが、以前より一層強く、うねりのごとく前に出始めている事を私は確信していた。
でも志生は、話にも仕草にも何に触れることもないけれど、あの晩私を抱いた時でさえきっと富田さんを想わないでいたことはなかっただろう。私を抱いたことに後悔しなくても良心の呵責がなかったと言えば嘘になるだろう。
私とあの人の間にある死別と、志生と富田さんとの間の死別は全く違う。意味も形も、感情も、間柄も。 私は多分、志生の中にあの人を重ねて見ることはない。でも志生は?おそらく私の中に富田さんと重なることがあるのではないか?彼女はそれくらい大きな愛情を志生に注いでいたし、それは私も同じだから、志生にとって全く別物と出来ることは至難に近いはずだ。何より私が富田さんを認めている。富田さんの志生への慕情を自分が思ったことのように感じることができる。
でもそれと志生の感情のあり方が交差するかはわからない。志生は全てを背負った上で私と生きていきたいと思ってくれている。私もそう思っている。だけど、「そう思っている」ことが「実際そうできるか」は違う。
そこに守るべきものが生じる。守り、守られるべきもの。失えないものを見極め、手放してもいいものを解き放つこと。何が一番二人にとって大切なのか、何が一番二人にとってつらいことなのか。片方だけが重荷を背負うことなく生きてゆく術は何なのか。
私は考えれば考えるほど途方に暮れていた。その一方でその答えを見出す唯一の方法もわかっていた。志生に逢い、二人で話し合うこと。自分だけの定規で物事を測らないこと。
でもどこかでそれが怖かった。そしてそれはきっと志生もそうなのだと、二人で迷路をさまよっているのかもしれないと、それもわかっていた。