第13章ー話さない過去、初めての夜、線香花火ー
それから私たちは会うたびに少しずつお互いを知り始めた。
志生はわりと名前の知られたメーカーのサラリーマンだった。そして長男で、両親と4歳年下の弟と暮らしているということだった。
「会社で仲のいい奴に萌の話をしたら、お前女を探すために入院したのかって言われるんだ。」
3度目のデートの時、彼は照れくさそうにそう言った。
「たまたま出会ったと言っても、まあ、それはみんなわかってるんだけど、なんせ看護婦さんだからさ、やっかまれるんだ。」
世間では、看護婦は女性のあこがれの仕事とされている。その反面、3Kとも6Kとも9Kともいわれる。また、男性には別の意味で見られることも慣れている。
「あ、別にみんな悪い連中じゃないんだ。口は悪いけどね。うらやましがられる。」
「でも実際つきあってみると、どう?別に普通の人とかわらないでしょ?」
「どうだろ・・、萌が看護婦だからつきあったわけじゃないし・・。萌だから好きになったんだと思うよ。職業は関係ないよ。」
「それなら良かった。」
胸が暖かくなる。この人は私自身をみようとしてくれている・・。でも、もし私が看護婦じゃなければ出会えなかったのかもしれない。人生、よほど特殊な生き方をしていない限り、そんなにたくさんの出会いは思うほどないからだ。
私も自分のことをなるべく正直に話した。雪国育ちであること、きょうだいがいないこと、数学が苦手なこと・・。でも、看護婦になった理由の話だけは言う気にならなかった。その話にはどうしてもあの人を避けられないからだ。あれからあの人は、本当に、ぴったりと、連絡をしてこなかった。あれだけはっきり言ったのだ・・あたりまえだ。奥さんと上手くいってないというのも多分私に気を使ってくれていたのだ・・。私はそう思っていた。そう思い、自分自身にストーリーを作り上げ、納得していた。
実はそののち、この思い込みに、私は奈落の底へ落とされることになる。
だが志生は、あんまり色んなことを聞いてこなかった。特に過去のことは自分もあまり触れてほしくないようだった。私もあまり聞かなかった。そんなことはどうでもいいことで、大切なのは、これから2人がどんなふうに歩いていくかだった。
その夜、私たちはなんとなく離れがたかった。金曜日だったからかもしれない。彼の会社は週休2日制だった。そして私は今日が夜勤明けで明日が休みだった。2人が付き合い始めて初めて時間に縛られずにいられた。2軒目を出た時、時計を見ると10:45だった。
「・・もう帰る?」
彼が何げなく聞く。
「・・どうしようか。」
もう一度聞く。・・離れたくない、まだ一緒にいたいよ、明日用事でもあるの?・・・色んな言葉が一度に浮かんできたけどどれも口を衝いて出てこない。
「・・・・・。」
後ろで彼が私の返事を待っていた。沈黙が続いた。やがて彼は後ろから私の肩に手をおいて、
「今夜はずっといようか。」
と小さい声で言った。途端に胸がぎゅっとなる。そしてくびを縦に振る。
そのまま志生は私の手を掴んで歩き始めた。黙って歩き始めた。少し歩くと、このあたりでは高級なホテルが見えてきた。彼は私を連れたまま(もちろんそうでなくては困るのだが)、まっすぐエントランスに入っていこうとした。
「ち、ちょっと待って。」
「だめ、もう帰さないよ。」
「違う、違う。ここ、高そうだもの。良かったら私のアパートに・・。」
私の言葉はここで遮られる。
「萌、今夜は初めて2人でいられる夜だよね。・・もちろん萌の部屋はいづれ行ってみたいよ。でもそうなれば君が気を使うことが目に見えてる。」
そう言う彼の眼を見てるだけで私は眩暈がしてくる。この人は・・、この人は・・・。
「今日はここにしよう。お金で解決できることは考えなくていい。・・2人で過ごすことだけに集中するんだ。」
そして私の返事を待たないまま、彼はエントランスを開けた。
この人は、本当に本当に、私を愛してくれている。私の中で今まで味わったことのない小爆発が起きていた。たくさんの線香花火をしているように。