第124章―志生の心情その2―
知紗さんを愛している。私を愛している。知紗さんも愛している。私も愛している。・・・志生は私と富田さんを愛している。全く同じ重さで。全く同じ想いで。
「・・萌と生きていきたいと思う。おそらく萌も同じ気持ちでいてくれると思う。ゴメン、それくらいの自惚れはくれ。でないと俺はどこへも行けない。」
・・・どこへも行けない。その気持ちが痛いほどわかる。私もそうだから。私も心の居場所を探している。志生にそれを求めたくても二人を隔てる燻りがブレーキをかける。ずっとそうやって私たちは自分自身をすり減らしてきたのだ。
「俺の人生の中で、もう萌という存在を失くすことはできない。それは絶対。そういう意味では萌の方が知紗さんより俺にとって必要な人だ。それは知紗さんと結婚したとか、知紗さんがもういない人だからとかは関係ない。もし知紗さんがいてもこう言えたかと訊かれると答えに困るけど、少なくとも君を必要としてる気持ちは持っていたと思う。」
「・・・・。」
「だけど愛情となるとちょっと違ってくる。選べない。申し訳ないと思うけどそれが本当の今の気持ちだ。・・・これからもしかしたらまた萌だけを見れるようになるかもしれない。でも約束できない。もちろん萌が他の男を好きになってもそれは萌の自由だ。俺には何も言えないよ。だけど、君の人生から出来たら俺を排除しないでほしい。利用するだけでいいから俺とのかかわりを避けることはしないでほしいんだ。」
「・・・・。」
どう言えばいいか迷っていた。わかったといえば言いのか、でも志生を利用するなんてこと自体どういうことかもわからないのにわかったとは言えない。私も正直に自分の気持ちを言うのが一番いい気がした。
「志生の気持ちは理解できると思う。もし、富田さんをもう忘れたって言ったらその方が不信感だったと思うの。」
「萌。」
「私の気持ちもある意味志生と同じかもしれない。私もまだ死んだあの人のことを自分の中で消化しきれていない。一生未消化かもしれない。少なくとも今は一生消化不良だと思ってる。でもね、それとは別に志生といたい。志生という人が私から遠くに行って欲しくない。たとえほかの女性と恋に落ちてその人と生きていっても、私のことを友達でも知り合いくらいでもいいから志生の中で他人にしてほしくないの。・・・ね、似てるでしょう?あなたの言いたいことと私の言ってること。お互い切り離せない人がいるけれど、自分たちのつながりも否定したくないのよね。」
「・・・・。」
「・・・だからね、ある意味私たちは共に生きていけると思うの。ねえ、そう思わない?」
「・・・そう思っていいの?」
「うん。ぜひそう思って。でないと私があなたを待っていた時間が本当に意味のない時間になってしまう気がする。」
「・・よかった。」
「?」
「どう言えば萌にわかってもらえるか分からなかったんだ。多分どう言ってもそこに嘘があれば萌には気付かれてしまうと思って。それにやっぱり嘘をつきたくなかった。」
「志生。・・大丈夫だよ。」
「うん・・・。でも本当に不安だったんだ。君が離れていってしまったらどうしようって思った。すがりつくしかないのかなって。」
「ウソォ、それこそウソだァ」
笑った。思わず笑った。
「ホントだって、それくらい悩んだんだぜ。」
志生も冗談ぽく声を荒げる。それまでの深刻なムードが一転明るくなって、私たちはひと時笑いあって、お互いのグラスのアルコールをのどに流した。
他愛無い話をした。志生はまたマスターに会いたいと言った。そして志生はさらに旅で感じた事を話した。
「寒い方へ行くとね、空気が澄んでいるからだろうけど星がすごく綺麗なんだ。多くて綺麗なんだ。多さもちょっと気味悪いくらいの多さなんだよ。まさに夜空を埋め尽くすんだ。そこは海の近くで夜に海辺を散歩したりしたんだけど、なんか怖かったよ。」
「怖い?」
「砂浜で暗くて波の音だけしかしなくて、空には星だらけ。都会の海ならロマンチックだけど、田舎は明かりもネオンもない。本当の闇。空気の音と風の音が微妙に違うって初めて知ったよ。それくらい無なんだ。でも星はそんな孤独は知ったこっちゃないって感じで瞬いてる。怖かったというのが本音だね。」
私はそれを聞いてあの夢を思い出した。もうずいぶん見ていないが、あの夢は本当に怖かった。それは孤独に向き合った人間をさらに孤独の空洞に追い詰める恐怖だ。思いの行き場のない恐怖だ。それは・・・おそらくそれを味わった人にしかわからない種類の孤独であり恐怖なのだろう。でもその傍らで、私はもうあの夢はみないような気がしていた。もうあの頃の私じゃない。私はすべてを受け入れている。受け入れようとしている自分を受け入れている。とても素直に。河の流れに逆らわない木の葉のように。そして志生がいる。あんなに逢いたくて焦がれた志生と、形はどう変わっても一緒にこれからの人生を過ごして行ける。それだけでも充分私は孤独から遠く離れたのだ。
私たちは酔って店を出た。私はこのまま志生と別れたくなかった。でも志生はどんどん歩いてゆく。私の家の方へ。また志生は私を送って帰るんだろうか。私を一人残して。・・・ずるい私。さっきまでの潔い気持ちがしぼんでゆく。どんな形でも構わないのは本当だけど、志生のぬくもりが欲しいのも本当。本当なのに。
「どうした?」
先を歩いていた志生が振り向く。
「ううん。」
志生は私の気持ちに気づかない。いや、気づかない振りをしているのかもしれない。急に無口になった私に志生はそれ以上何も言わずにいた。やがて私のアパートが見えてきた。きっと志生は今夜もこのまま帰るんだ、仕方ないよね・・・。そう思っていると志生がまた振り向いた。
「今夜は一緒にいようか。」