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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第120章―許す―

 「・・・いささか喋りすぎたようだ。」

「いいお話をありがとうございました。」

私が言う前に志生がそう言った。マスターは志生の顔を見て小さく微笑んだ。

「お疲れになったのではありませんか?お部屋に戻りますか?」

「いや、大丈夫だよ。でも、部屋に行けば君に会わせたい人がいるな。」

「え、どなたかいらっしゃってたんですか?ごめんなさい、私・・」

「いやいや、大丈夫。まあ、来なさい。」

 ゆっくりとマスターは席を立った。パジャマがブカブカになっているのがわかる。ちょっとの間にずいぶん痩せてしまったようだ。

 マスターの部屋(病室)は思ってたより広かった。開放感を与える為もあるだろうが、急変時や終末期に沢山の医療機械を入れるスペースを確保する為が1番の目的だろう。そう思うと切なかった。そして意に反して誰もいなかった。

「おい、この前話してた彼女が来てくれたよ。」

マスターはそう言ってテーブルの上に置かれた写真盾を手に取った。・・・・奥様の写真。

「女房だ。」

マスターは少し恥ずかしそうにそれを私たちに差し出した。まるで宝ものを手にするように受け取る。そこにはおそらく30代だろう、美しい笑顔の女性が写っていた。そしてその横にはとても若いマスターの姿があった。とてもとても自然に寄り添っている写真だった。しばし私と志生は時間を忘れ、じっと写真を見入っていた。

「ところで君たちはよりが戻ったのかな?」

「・・・。」

私は返事が出来ない。志生も言葉に詰まったようだ。一瞬空気が変わった。マスターは黙って私たちを見ていた。マスターの立つ後ろの窓から西日が照らされていて、まるでマスターがそこへ吸い込まれていくんじゃないかという錯覚を受ける。やがて志生が、

「・・・これからそうなるといいと思います。」

と言った。え?っと思わず志生の横顔を見る。彼はまっすぐにマスターを見ていた。

「・・・そうか。」

マスターはにっこりと微笑んで同時に私の方へ優しい視線を向けた。そのは「よかった」と言っているように見えた。マスターはまた静かに語り出す。


「・・・人生、得るものもあるけど失うものもある。それは仕方ないことだ。誰でも明日のことはわからない。いや、今から1分後だってわからない。俺は女房の死でそれを学んだ。俺のすぐ隣で女房はその人生を終えた。静かに。眠ったまま。もしかして女房本人も自分が死んだことに気付かなかったんじゃないかと思う。自分が死んだことを受け入れるまであるいは悲しかったかもしれない。でもきっとそれよりも、俺が独りぼっちになることの方をあいつは悲しがってくれたと思う。先に逝ってゴメンねって。そう言っているあいつが容易に想像つく。」

「・・・。」

「俺はたとえ人生の何分かの一でも本当に心から愛する人と添い遂げることができた。その何分かの一で、あとの人生にずっと花が咲き続けた。何度も言うが一人じゃなかった。・・・君たちに何があったのかはわからない。でも別れたくて別れたわけじゃなかったんだろう?それはわかるよ。そう、それもわかるんだ。もし君たちが二人寄り添うことで例えば誰かが傷つくことになっても、仕方ないこともあるんだ。それが人生だ。仕方ないことの中で、どうやって仕方ないを減らしていくか。でもたとえそれを減らしたとしても、本心が嘘であったなら、それは続かない。欺瞞ぎまんからは結局何も生まれない。大切なのは本当に自分が一緒にいたいのは誰かということ。意味とか意義とかは要らない。理由も要らない。そんな瑣末なことを考えてると本心が見えなくなってしまう。ねえ、そういえば君はなんていう名前なんだ?僕は○○○というんだが。」

「穂村志生です。」

「暁星萌です。」

マスターは黙って頷く。「二人ともいい名前だ。」

「君たちには君たちの事情があるんだろう。二人でいられなかった理由が。でも本当にそうなのか?」

「・・・・正直、わかりません。どう言えばいいのかも。」

志生が小さく答える。

「・・でも、お互いを必要としている。とても深く。それだけは確かです。」

「それだけわかってるならおのずと先は見えてるはずだ。本当に生きてゆく上で大切な存在は誰か。本当に必要なものは何か。それが明確であるならば、絶対に手放してはならないよ。しかもお互いが同じ気持ちならね。片方だけならば話は違うけど。俺はずっと女房と生きてきた。たとえこの世に形はなくても。俺は幸せだった。でも君たちは違う。二人とも生きている。せっかく二人とも生きているのなら、多少、いやかなりのリスクを背負っても二人で生きる道を模索しなさい。素直に生きる。自分に素直に生きることを許すんだ。」

「許す・・・。」

「そうだよ。許すんだ。そして光が射している方を見るんだよ。」

マスターはそう言って窓の方へ眼を向けた。私たちも見た。そこにはすぐに迫る夕焼けを待ちながらも雲間から光を注ぐ空の姿が広がっていた。

マスターの名前をあえて決めませんでした。ここにはあなたが思う人の名前を入れて下さい。誰でも一人くらい、人生の道しるべを示して下さった方がいると思うので・・・。そして、今あなたが背負っている辛いことからあなたを許してあげてください。許すということは甘えたり、事実を流すことではありません。失敗したことそのものを受け入れるということです。受け入れて、生きてゆくことです。私はそう思います。樹歩

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