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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第119章―マスターの長い話その3―

 ・・・えっと、それでなんでサンドイッチの話になったんだっけ?ああ、そうそう、君が初めて店に来た時サンドイッチを頼んでくれた話からか。

 うん?事情?事情って・・、ああ、君がね。どうして事情がある子かわかったかってことか。だからこの年になればわかるんだよ。他人ひとを見て何か抱えてるかどうかくらいはね。もしかしたら俺がこの商売をしてるからかもしれない。毎日いろんな人が来る、ということは毎日いろんな人間に会うっていうことだ。それを何年もやっている。もともと銀行マンだというのもあるかもしれない。あれは金が相手だと思われるけど、違うね。あれは人間が相手なんだ。金が動くのも動かないのも人間の気持ち次第なんだから。娘を育てたってのもあるかもしれない。女房が死んだとき高校生だったからもう特別俺が何か教えることもなかったけど、やはり何考えてるのか分からないこともあったから、それは俺なりに悩むこともあった。でもたいがい悩むのがバカバカしくなって、直接本人に訊いたけどな。時々怒られたりしたよ。デリカシーがないって。そうだ、仲良くなった常連の女の子に聞いたりもしたよ。若い子の考えてる事とか。でもいつもこう言って慰めてくれた。「自分のこと、親が心配しているんだな。」ってことが伝わっていれば、子供は大丈夫だよって。ありがたかったな。

 ああ、また話がそれちゃったな。とにかく君が何か重いものを抱えてうちの店に来たってことはわかったよ。まあ、多分何かの偶然でうちの店に来たんだろう。でもひと目見て顔色は悪いし、何だかぼおっとしてるし、おや、大丈夫かな、と思ったのは確かだったね。でも君はさらに何かの偶然でサンドイッチを選んだ。俺は一生懸命作ったよ。まさに心をこめて。いや、いつもだって心はこもってるよ。料理ってそういうもんだろう?しかも自分以外の人が食べるんだから、やっぱり美味しいものを食べてもらいたいじゃないか。さらに金まで貰ってるんだからさ。でも、君の時はもっと気持ちをこめた気がする。なんでかはよくわからないけど、この娘さんに本当に美味いものを食べさせたい、生きてるのも悪くないなって思ってもらえれば。そういう気持ちだった。

 俺は女房を早くに亡くしてしまったけど、うん、もう女房と暮らしていた時間より一人の方が長いね。でも俺は本当に幸せな人生だったと思うんだ。一人でも決して一人じゃなかった。娘がいたのももちろんそうだけど、それだけじゃなくて、なんていうか、うまく言えないけど、本当の孤独を味わったとは思わない。本当の孤独っていうのは一人でいる淋しさじゃないと俺は思ってるんだ。誰かと一緒にいて、例えば夫婦でいたとしても、心がつながってると感じれなければその方がよっぽど深い孤独だと思うんだ。その方が一人の淋しさより何倍も淋しい。自分のことをわかってほしい人がそばにいながら、それを伝えられずに自分の心の空洞を見つめるしかない・・・、それが本当の孤独だと俺は思ってるのね。まあ、孤独の定義なんて人それぞれだと思うよ。正しい、正しくないの問題じゃない。

 だから俺はきっと、伴侶に先立たれたほかの人間よりは淋しさを感じずに済んだと思うよ。まあ、男だからイイ女を見れば「おっ!」くらいは思う。でもそれだけ。どうにかしたいとか自分のそばに置きたいとか思うことはなかった。店にいればいつも女房と一緒だったわけだから。申し訳ないけど、あの時の君の方が俺よりずっと一人ぼっちに見えたね。全く行き場のない、八方塞の箱に閉じ込められてるような顔に見えたよ。でも初めて来た客で、しかも若い娘さんにだよ、初対面で「あんた何かあったのか?」なんて訊けるはずもないだろう?今日びそんな事を迂闊に言ったら変人かストーカーと思われるよ。少なくとも親切には思われない。でも縁あって俺の店に来てくれたんだ。そうなりゃ俺がしてあげられるのは美味いものを食べさせてあげることと、耳に負担にならない音楽を流すことくらい。そう、ジャズ。ジャズはいいよ、好きかい?・・・イイこと教えてやる。ジャズって音楽は、若い時に聴いてもいいもんだけど、年をとるともっと良く聴けるようになる。そういう耳になってゆくんだ。いや、耳を通して心で聴けるようになるって言った方が俺の言いたいことに近いな。クラシックだって演歌だって歌謡曲だって俺は聴くよ。普段はあんまり使わないけど、一応うちの店には有線だって入ってる。やっぱり音楽で店の雰囲気は変わるだろう?その時の客の様子で有線流すこともあるさ。でも一番いいのはジャズだ。何より邪魔にならないんだ。時々あるだろ?なんとなく音楽が邪魔になる時って。特に歌は否が応でも歌詞が頭に入ってしまう。それがいいってこともあると思うけど、俺はどちらかというと静かな、でもふっと心の琴線に響く音楽が好きなんだ。そうなるとジャズが一番いい。

 また話がそれた。まあそういうわけであの時ジャズをうんと小さな音で流した。君が気付くかどうかくらいだと思ったな。うん、そうだろ?音量絞ったんだよ。耳には届き、でも五月蝿くない。それくらいの音。耳に意識が集中したらせっかくのサンドイッチの味もぼやけちゃうしね。そうさ、サンドイッチの方が優先順位は高いよ、もちろん。そして君はサンドイッチを本当に美味そうに食べてくれた。帰る時の君の顔は来た時と全くとは言えないけど、少し覇気みたいなものが出てきていた。それで俺は安心した。ああこれなら大丈夫だなって思った。

 きっとまた来てくれると思っていたけど、思ってたより早く顔出したよね、2度目。そうそう、客がいない時。どういうわけか君が来た時は客がいなかった。滅多にそんなこと続かない。で、俺は「ひょっとしてこれは女房が悪戯してるのかな」って思った。まあ、それは俺の勝手な思い込みなんだけど。で、今度は君と話すことにした。君もカウンターに座ってくれた。だから「あ、この子も俺と話したいんだな」って。うん、そうだよね。俺も内容は覚えてないよ。他愛無い話だったよね。看護婦さんだって言ってたよね?あれは覚えてる。何せ自分が病気だからね。看護婦さんは身近な存在だよ。ここの看護婦もいい子ばっかりだ。しかもきちんと癌患者を看る教育と訓練がされてるから看護の質が高い。近くにこういう病院があったのも俺が恵まれてる証拠だよ。毎日本を読んだり映画を見たりしている。そして静かにあいつが迎えに来ることを待っている。何も怖くない。確かに今まで誰も見たことない世界に行くのだから不安だけど、でも怖くはないよ。これも女房のおかげだ。

 2度目の君は初めての時よりずっといい感じだと思った。生きてるっていう、ごく当たり前のエネルギーを感じた。最初の時はそんなのなかった。生きる屍とまでいかなくてもそれに近い感じだったよ。だから訊いたんだよ、彼氏は?って。でも別れたって言ってた。だから思ったよ。余程愛してた人だったんだろうって。本当に愛した人だったんだなって。だから今日娘から連絡が来て、「お父さんが気にしてた女の人だと思うけど、男の人と一緒だったよ。」って聞いた時、正直びっくりしたけど興味があった。あの子がこんなに早くほかの恋人を作るわけないって思ったから。そうなると普通はその別れた男かなって思うだろう?で、そうだったってわけだ。・・・本当に来てくれてありがとう。

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