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まぼろしの跡  作者: 樹歩
116/141

第116章―絶句―

 お昼近くに志生が迎えに来た。志生の車も助手席もずいぶんご無沙汰だったので、なんだか初めて乗る車、初めて座る助手席のようにドキドキした。

「俺の車はちょっと久々だよね。」

「そうだね。」

「萌はぐっすり寝たんだ。俺、寝れなくって。」

「ゴメン、なんか久しぶりに寝れたのよ。」

「それはよかった。」

「志生は?何時間寝たの?」

「ああ、大丈夫だよ。それでも4〜5時間は寝てるよ。」

志生はハンドルを持って当たり前だが前を向いている。私からは志生の横顔だけが見える。こんなに真近に。

「どこ行こうか。何か食べよう。」

志生がそう言ったので、私はほぼ反射的に言った。

「あのね、美味しいサンドイッチの店があるの。」



 そうして私たちはあの喫茶店に行く。今日は一人じゃない。マスターびっくりするかもしれない・・、そんな事を思いながら少し頬が緩む。 

「いらっしゃいませ。」

その声を聞いた途端、えっ?と思う。マスターじゃない。女性の声。あっけにとられている私を志生が(いぶか)しげに見る。客も少しだが入っていた。私の知ってるこの店と違う。それでも気を取り直し、あの窓際のテーブルに座る。座ったものの私はきょろきょろし、マスターの姿を探してしまう。私の様子を見て志生が言う。

「どうしたの?変な顔して。」

「う、うん・・。いつもいるマスターがいないから。」

「マスター?」

「うん、初老のね、おじいさんとオジサンの中間みたいな。その人のサンドイッチが美味しいんだよ。」

「今日は休みじゃないの?」

「そうなのかな。いつもいたからてっきり一人でやってると思ってたんだけど。」

そこへさっきの女性がお冷とおしぼりを持ってやってきた。

「いらっしゃいませ。」

「あの、今日はマスターはいらっしゃらないんですか?」

「父のことですか?」

「あ、あの、いつもいらっしゃる・・。」

「父のことですね。実はちょっと体調を崩してしまって、先日から私が店を任されてます。」

「え?だいぶ悪いのですか?」

マスターの娘さん(35〜40歳くらいに見える)は私の動揺した顔を見てちょっと驚いたようだったが、やがて“あっ”という顔になり、

「あなたが父のサンドイッチを絶賛してくれた方ですね。」

と微笑んだ。

「あの、お父さんの具合は・・。」

私がそう言うと、彼女はちょっと困った顔をして「あとで」と小さく言った。そして私たちがサンドイッチを注文すると

「父のようにできるか分かりませんが・・。」

と遠慮がちな笑顔を浮かべた。

 しばらくして運ばれてきたサンドイッチはそれはそれでなかなかの美味しさだったが、あのマスターの味を知ってる私には“あと少し何かが足りない”といった感じだった。でも初めて食べる志生はひとくち口に入れた途端絶句した。

「なんだコレ?すっげえ美味いじゃんか。」

私は内心“そうだけど・・”と思いながらも、もちろん水を差すようなことを言うのは控えた。

「ね、美味しいでしょう?」

「うん。からしとバターのバランスがいいね。パンも美味い。」

あっという間に皿は空っぽになった。志生が一人ひと皿と言ったのだが、私がちょっと多いと言って二人でひと皿しか注文しなかった(それは建前でやはり味を疑ってしまった)。でもそれはそれで程ほど(志生にとっては絶品)の品で、結果ほとんど志生が食べたのだがやはり物足りないようだった。私たちはもうひと皿追加した。

「最初萌がサンドイッチと言った時、それは別に構わなかったんだけど、場所がちょっと遠いと思ったんだ。そこまで行く価値あるのかなって。」

「あったでしょ。」

「ゴメン、あった。これなら来る価値あるよ。店もいい雰囲気だ。どうして知ったの?」

「ふふ。ちょっとね。ここんとこずっと一人だったから時々ドライブしてて、それでたまたま入った店なのよ。」

私はそう言った。半分本当で半分嘘だ。この店に初めて来たのは富田さんの告別式の日。

「イイね、気にいったよ。でも萌はマスターがいないのが落ち着かないんだろう?」

「そう。志生にも会ってほしかったのに。」

「俺は女性の方が嬉しいから別にいいけどね。」

追加のサンドイッチが運ばれた時、マスターの娘さんが言った。

「私のでもお気に召したかしら?」

「とても美味しいです。」

「そう、よかった。父のを知ってる人は必ず“あとちょっと何か足りない”っておっしゃるから。・・どうぞごゆっくり。」

・・・さすが。よくわかってる。さすがはあのマスターの娘さんだ。

 私たちはそこで小1時間ほど過ごした。そして会計に向かった時娘さんが言った。

「・・せっかく父と仲良くして下さったのですが、もう父は店には出られないと思います。」

「え?そんなに悪いのですか?」

「・・末期癌で、先日緊急入院したんです。他のお客様には言ってませんが。」

「・・・。」

絶句。なんてこと。あの日、どん底の気分にいた私を救ってくれたマスターが癌。しかも末期とは。

「あの、どこの病院ですか。」

「それは・・、父から教えるのを止められていますので・・。」

「そうですか・・。ぜひもう一度お会いしたかったのに・・。残念です。」

思わずうなだれる。横で志生がそっと私の肩に手をおいてくれる。マスター・・、マスターにあの時恋人と別れたと言った。したのは内容も覚えていない世間話だった。でもマスターとマスターの作ったサンドイッチはあの時の私にとってはまさに砂漠のオアシスだった。

「・・特別にお教えします。」

「え?」

「病院・・。父に会ってあげて下さい。父もあなたのことを気にしてましたから。」

そうして彼女は小さなメモを私に手渡した。


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