第112章―あの人の言葉―
「ゲンザイツカワレテオリマセン」
え?かけ間違えた?と思う。志生の電話番号は登録してあるからボタン一つで表示されるし、間違えようはずはないのだが。もう一度穂村志生の表示を出す。発信ボタンを押す。
「オカケニナッタデンワバンゴウハ・・・。」
同じ声。感情のないアナウンス。一瞬頭が真っ白になる。志生と連絡が取れなくなるなんて、まったく考えたことなかった。志生。どうして?携帯変えたの?番号変えたの?なぜ私に知らせてくれないの?・・・もう、無関係ってこと?
私はしばらく茫然と携帯を眺めた。あと志生に連絡を取るためにできることは志生の実家に電話することくらいだった。志生の実家。お義母さん。富田さんが尋ねたのをしっかりと突っ撥ねてくれたお義母さん。私を嫁だと言ってくれたお義母さん・・・。それもずいぶん昔あったことのようだ。この数ヶ月のことだなんて。
結局私は志生の実家にまで電話しなかった。正確にいうと出来なかった。志生が私とのことや富田さんのことを正直に親に話したとは聞いているけど、具体的にどんなふうに伝えたのかはわからない。私が電話したことで何かその時の話が出ないとも限らない。そう思うと勇気が出なかった。
以前、私が志生に黙って携帯を変えた時は志生が病院まできたんだっけ・・。「こんな真似させないでくれ」って怒られたんだった。あの時の志生もこんな思いだったのかな。こんな気持ちにさせてしまったのかな。・・・だとしたら。私も耐えるしかないんだろうな。どこに志生を探せばいいのか、迎えに行ったらいいのか分からないなら。待ってるしかないんだろうな。それでも・・・。それでも、きっと私の気持ちは変わらないだろう。この先私たちが交わうことがなくても、そういうことではなくて、お互いの存在が生きてゆく上での支えになれるだろう。そう、生きていてくれてるだけで。この世に、この空の下に、お互いが生きているという事実だけで私たちは救われるはず。きっと志生もそれに気づいてる。そう感じる。電話が通じなくても、声が聞けなくても、根拠は何もないけれどそう感じる。信じられる。
次の休みの日、私はあの人とよく行った河原へ行った。この前来た時は遊歩道を造っていて、ただの砂利場が舗装されようとしているところだったが、もうすでに出来上がっていた。綺麗に舗装された遊歩道に小さな花壇が続いている。小さな子供と母親が散歩をしているのが見える。子供はまだよちよち歩きだ。母親が手招きをする方へ両腕を伸ばして一生懸命足を運んでいる。
ふと泣きなくなる。あの素直な心が。行きたい方へ、抱きしめてほしい人の方へまっすぐ手を伸ばしている無垢な心が。もう私にはできないあの仕草が。
あの人が沢山の大きなものを一人背負って私を守るために逝ってしまったことをずっと苦しかった。今でも苦しい。納得できない。でも、それでもあの人といた4年間を後悔だけにしたくない。私の人生の糧になってることに間違いないのだから。あの人なしでは私の人生は語れないのだから。
今も私の背中には重い重い十字架がある。一生これを背負って私は生きてゆく。あの人を忘れないように。ううん、忘れたくない。私を大切にしてくれたあの人の心を。そして富田さんのことも。あの女性も一途に人を愛することを教えてくれた。まっすぐに人を愛するという強さ。信念の深さ。
河の流れは昔と同じに見える。あの人と二人でさんざん眺めた河の水。私たちもただ正直に自分の気持ちに流されたいと何度も思った。でも人の心も、河の水も、一瞬たりとも同じ所に留まることはない。留まっているように見えても、ほんの少しでも進んでいる。昨日より今日、今日より明日に心が成長するように。心に羽根が広がって自由に飛んでいくように。
「ありがとう。」
私は今見えてるすべての風景に向かってつぶやいた。
ずっと考えていた。償いの意味を。生きてゆくことの柵を。人を愛するという意味を。本当に愛するということがどういうことで、ゆえにし愛しながら生きてゆくということは何を表すことなのか。自分の何を示すことが相手に一番伝わることなのか。
でも今はわかる。そんなのに明確な答えなどなくて、だから人は努力し続けてゆくし、愛そうとするし、歩こうとするのだと。前を見ようと。見えなくても見ようとする姿勢を保とうと。そしてそういうことも頭ですることじゃない。そもそも考えようとするのが間違っていた。そう、ただ感じればいい。自分の心に宿った愛おしいという気持ちをただ感じればいい。
人を愛することをやめようと思っていた。もう誰かを必要とする人生は求めなかろうと決めて。一人でいることであの人に寄り添えるのではないかって。
でもあの人が望んだことはそんなことじゃないってこともわかっていた。あの人は私のこれからの人生だけを心残りだったに違いない。ともすれば看護職さえできなくなることを懸念してたに違いない。それも当たってる。何度も仕事から逃げたくなった。看護婦をしている限りあの人を意識せずにはいられない。・・・でも、やはり私はこの仕事が好きだ。あの人から教えられた医療の世界が好きだ。そう、この仕事に関わってる時、私があの人を意識する時、あの人は私を見守っていてくれる。私が看護婦をしている限りあの人の医師としての理念は私の中で生き続け、それは私の看護姿勢となっていつまでも寄り添ってくれるはずだ。患者という人間を救う為に、より良い医療行為をする為に、いつもその時どきにベストな選択を見極めようとしていた彼。命そのものを見続けていた彼。
今になって思う。もしかしたらそんな彼だったから、本当は命を全うしなければいけないと思うその一方で、自分の命の終わりを誰かに託すことにいづれは疑問を覚えるであろうことを予測したのではないかと。
「患者に向かい合った時、この人にとってより良い人生とは何だろう?それを考えながら疾患と闘うんだ。」注;疾患・・病気のこと。
そう言っていたあの人。私の中で最も誇れる医師。その人に愛された私。大切にされた私。
河は流れる。一時と待つことなく。私も歩き始めたい。大切な思いを抱えながら。それはきっと私の中でまだまだ大きく育って、いつか人生という大きな花を咲かせるに違いない。
「萌。君は俺の人生に大きな花を咲かせてくれた。」
いつだったかあの人が言ってくれた言葉。最後までそう思っていたかはわからないけど、その言葉を信じていきたい。信じて歩き続けたい。人生という終わりのない道程を。・・・・穂村志生と。私はあの人の、志生は富田さんの残してくれた心を抱いて。
いつの間にかさっきの親子はいなくなってて、午後のやわらかな日差しに照らされた遊歩道には私だけしかいなくなっていた。私は風向きが変わるまで、その遊歩道にポツンとあったベンチに座って河の流れを見守っていた。そして風向きが変わり夕暮れがせまり始めた頃、私は家に向かってまた車を走らせた。
駐車場に車を停め、アパートの階段を上がる。さっきまでの夕焼けは、もうすっかり夜にまぎれようとしている。階段を上がる時、片手にぶら下げた買い物袋が音をたてる。そして階段を上がりきり、自分の家のある廊下に出ようとした時。
薄暗がりの中に人影が見えた。私の部屋の前。・・・・お帰りと言えばいいのかな。志生。