第11章―派手なシャツ〜神様のご褒美〜―
「まぼろしの跡」休載のお詫び
「まぼろしの跡」をお読み下さっている皆様、いつもありがとうございます。実は私事ですが、体調不良の為しばらく執筆活動をお休みすることになりました。私自身大変残念ですが、早く回復して、また萌と志生に会いたいと思います。どうかご理解をよろしくお願いいたします。樹歩
…でね、サボコ、その瞬間にね…キ、キ、キスしちゃったの…、もう、頭真っ白になっちゃってね…、だけど、それよりも…。ねぇ、サボコ…信じられないの…、穂村さんが私の事を…。私ね、絶対彼女いると思ってたのよ。だってあの顔だもん…。あぁどうしよう、これから…。明日には検査が決まって…、退院しちゃうし…。サボコ、私、あの人の事なんにも知らないのよ…、カルテに書いてある事なんかちっとも役に立たない…。退院したら、ハイおしまい、なんてないよね…、信じてるけど…、何も根拠がないんだもの…。でも私、顔笑ってるよね…、緩みっぱなしだよね…。
あの初めてキスした夜、私はサボコにそんな話をしていた。そして私は今、あの時の悪い予感をなかった事にして、彼との待ち合わせ場所で彼を待っている。
あのあと穂村さんは検査で身体の石が排出されたことが確認された。痛みも治まり、検査の次の日には退院が決まった。私達はお互いの電話番号(もちろん携帯)を教え合い、今度はプライベートで会う事を約束した。多分、私達はあのキスした日から恋人なんだと思う。私達はお互い特別な言葉は交わしていない。好きだとも、つきあってくださいとも言っていない。
でも私は満たされている。深く、広く満たされている。今こうして彼を待っていても、昔のあの人を待っていた時とはまったく気分が違う。待つことがこんなに幸せな気持ちになるなんて…、私は俯きながら笑みがこぼれるのを我慢できなかった。
少し離れたバス停に人が降りて来ていた。初夏なので、どの人の服装も明るい感じがした。
遠目でそれを眺めながら自分の今日のスタイルを確認する。彼が白衣以外の私を見るのは今日が初めてだった。私は、オフホワイトの薄手のニットに、デニムのロングスカートを履いていた。いつも束ねた長い髪も今日はほどいている。私はもともとそんなに衣装持ちではないし、今日もクローゼットの前でさんざん迷ったのだ。そして結論は
「無理するのはよそう。今の私らしい服装でいこう。」
だった。と、そこへ
「ゴメン、待たせた?」
と声がした。彼だった。彼はさっきのバスの方面から歩いてきた。
「バスできたの?」
「そうだよ。」
私はちょっと面食らった。てっきり車で来ると思っていたから。それから彼の服装…。退院の時は白のポロシャツに綿パンだったが、今日はいくつもの色んなグリーンをちりばめたようなデザインシャツに、ダークグリーンのスラックスだった。そのデザインシャツは、一瞬幾何学模様を思わせ…つまり派手だった。
「じゃ行こうか。」
私の内心など全く関知ないように彼は歩き出した。
「は、はい。」
慌てて私も歩き出す。後ろから見る穂村さんはなんだか知らない男性のように見えた。
「やめたんだ。」
まだ服装のことを釈然としなく考えていたのを彼の声が遮った。
「は?」
「車さ。」
「あぁ…」
すっかり車のことなんて忘れていた。それくらい彼のシャツの方がインパクトが強くて…、いけないいけない、時々私はどうでもいい事を深く考えすぎる。
「できたら軽く呑めればと思って。」
振り返り彼は微笑んだ。
「!…え、ええ。」
一瞬頭がショートする。その笑顔を見た途端、さっきの思考が遠くへ飛ぶ。そう、今日は記念すべき穂村さん…ううん、志生との初めてのデートなんだ。服装なんかどうでもいい。大切なのはふたりの時間。
小さく俯き頬をゆるめる。そんな私に恋の神様はもうひとつご褒美をくださる。右手が暖かい。私は顔をあげる。彼はまっすぐ前を向いて歩いている。左手を私の右手につないで。