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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第108章―最後の伝言―

 野瀬さんは富田さんよりも少し年上に見えた。でもそれは多分、野瀬さんが年齢相応に見えるのであって、富田さんが若く見えたと言った方が正しいのだと思う。野瀬さんはおそらく結婚しているか、子供がいるかだろうと思った(私の中では結婚と出産は全く別物と認識しているので、こういう書き方をしました。鬱陶しくてすみません;作者)。

 彼女は私の前を歩いていた。お通夜の式場の駐車場。もう時間が時間なので、次々と車が入ってきていた。・・寒い。さっき式場に入った時、葬儀の案内をしていた女性に声をかけられコートを預けてしまった。

「暁星さん。」

「はい。」

「・・知紗子を許してくれる?」

「・・何に対してでしょう?」

言ってから、突っかかった言い方だったかと思う。悪い癖だ。そんなつもりないのに、緊張するとそういう癖が出る。野瀬さんが振り返った。私は慌てて、

「あ、あの、別にそういう意味じゃなくて・・。」

と言った。でも野瀬さんは

「わかってるわ。」

と微笑んで言った。そんなのはどうでもいいという感じだった。

 独特な雰囲気のある女性だな、と思った。でも決して他人(ひと)を不快にさせない。何かふんわりとしたものを(まと)っているイメージ。そしてやはり凛としている。しっかりとした意志を感じる。富田さんからも感じたイメージだ。女性も富田さんくらいの年齢になると、誰か他の人からの影響を受けないようになるのかもしれない。あくまでも自分の意志で、自分で動く。なにかあっても人のせいにしない。・・・そんな自立したイメージ。でも決して自分勝手じゃなくて、周りのことを考えるゆとりがある。そんなイメージ。



「知紗子が穂村君の結婚を知った時、私に電話がきた。すごく取り乱してたわ。もうこれで本当に彼に手が届かないと。泣いて泣いて…。私が知る限り、穂村君だけが知紗子が自分から愛した男性だったから、まあ、仕方ないかなって思った。」

「・・・。」

「でもこうも言ってたわ。穂村君が結婚を決めたくらいの女性だから、きっと素敵な人なんだろうって。」

「・・・それは・・わかりませんが・・。」

「で、その次の電話の時にはもう穂村君にどうしても会いたいって・・。それで・・。」

 彼女の言葉であの、辛い夜が蘇る。私の夜勤の日、志生は帰ってこなかった。知紗子さんの車に乗って行ってしまった・・。

「もういいです。過ぎたことです。」

私が絞り出すようにそう言ったのを聞いて、野瀬さんはそれ以上は何も言わなかった。

「あの、それで、富田さんは私に何・・・。」

「うん、それは・・。まあ、想像ついてるでしょうけど、穂村君のことなの。」

「志生の?」

「知紗子はわかってたの。穂村君が愛情よりも責任を取って自分のところに来たって。愛情は暁星さんにずっとあったはずだって。」

「そんなことないと思いますよ。志生はそんなに器用じゃありません。」

「それは知紗子も言ってたわ。穂村君は器用じゃないって。だからこそ自分を愛そうと努力してくれてたって。」

「・・確かに最初は努力かもしれません。でもすぐに努力は要らなくなったと思います。あの二人の姿を見た時、私は本当に入る隙がないって思いました。本当に夫婦でした。志生は本当に富田さんを・・・。」

「・・本当。」

「え?」

「本当に知紗子の言ってた通り。暁星さんっていい人だわ。」

「いい人って、私は別に・・。」

「自分で自分をいい人、なんて言う人いないわ。少なくともまともな人間なら言わないわ。でも知紗子と私にとってはいい人よ。」

「・・・。」

私はそれ以上何を言ってもしょうがないかなと思って、それ以上何も言わなかった。

「でね、知紗子からの伝言は・・。」

野瀬さんは私をまっすぐ見て、それは以前元気だった頃の富田さんを思い出させた。“穂村君を返して。”“私はあきらめないから。”あの、迷いのないにどれだけ射されたことだろう。 

「穂村君・・、志生をよろしくって。あなたに穂村君をお願いしたいって。」

「・・富田さんが?」

「予想できなかった?」

 野瀬さんは私の反応にちょっと驚いたようだった。確かに他に富田さんが私に言いたいことなどないかもしれない。でも私は本当にもう自分と志生は終わったと思っていて、それは富田さんの死で逆にしっかりと位置付けられたことだった。もう私と志生の距離が縮まることなど思いつくことはなかった。だが富田さんは私の事情は知らない。私の恋人だった男性が自殺したということを。志生がそれを富田さんにわざわざ話すことも考えられなかった。だとしたら・・・。だとしたら。


 だとしたら、富田さんはずっと志生といる間、私に対して罪悪感を抱いていたのかもしれない。病気を理由に自分が私と志生を無理やり別れさせたと思ったかもしれない。多分志生の言ってた富田さんの「もういい。」は、その気持ちの一端を表していたのではないか。

 ・・・・苦渋が広がる。富田さんがどれだけの気持ちを抱えていたのかと思うと。申し訳なかったとしか言いようがない。

「・・・。」

「暁星さん?」

「・・私と志生が別れたのは富田さんのことだけじゃないんです。だから、また私と志生がそういうふうになるかどうかは…。」

「・・でも少なくとも知紗子は、あなたと穂村君の幸せを本当に祈っていたのよ。」

「・・・。」

「あの女性ひとなら、穂村君は幸せになるって。穂村君が幸せになれば、自分もきっと幸せだと思えるって。そして暁星さんも幸せになって、()いては3人とも幸せになれるんだって。」

「野瀬さん・・、私は・・。」

つい口元から自分のおぞましい過去を言いそうになる。この苦渋。この重い鉛。私が誰かを幸せにすることで、他の人まで幸せになる?そして私も?幸せになることをとおに許されなくなった私も?

「・・あなたにもあなたの事情がきっとあるのでしょうね。」

「・・・。」

「でも、私もそう思うわ。少なくとも今の穂村君を支えてあげられるのはあなただけよ。」

「・・・。」

「私は知紗子の最後の伝言を伝えただけ。・・・あとはあなた次第、ううん、あなたと穂村君次第ね。」

 野瀬さんはそう言うと、式場の方へ足早に歩き出した。いつの間にか駐車場はお通夜に参列するための車でいっぱいだった。

私は夜風の寒さに小さく震えながら、野瀬さんの後姿を眺めていた。それしかなかった。


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