第4話 アヴレイン学院長
旭から連絡が来たのは、それから三日後のことだった。
午後の柔らかな陽射しが事務所の窓から差し込み、机の上の書類を白く照らしている。
終司は椅子の背にもたれたまま、鳴り始めた端末を手に取った。
「もしもし、橘守です」
『あ……霧城です』
少しだけ緊張した声だった。
「こんにちは、霧城さん。どうしたの?」
『あの……学院長先生との面会が、決まりました』
終司は軽く眉を上げた。
「ありがとう。それで、いつかな?」
『橘守さんの都合に合わせるとのことでした。いつでも大丈夫だと思います』
数秒だけ沈黙が落ちる。
「なるほど、随分と話が早いな」
終司は小さく息を吐いた。
「なら、早速だけど今日にしようか」
『え?』
「今から準備してそっちにいくよ。そうだな……一時間後に学院の正門でいいかな?」
『あ、はい……! では、お待ちしています』
「了解」
通話が切れる。
終司は端末を机に置き、天井を見上げる。やがて椅子から立ち上がり、そのままコートを手に取った。
「さて、どうなるかな」
終司は静かに事務所の扉を閉めた。
◇
フロリス魔法学院の正門前には、すでに旭の姿があった。
制服姿の小柄な少女は、終司の姿を見つけるとほっとしたように息をついた。
「ごめん、流石にいきなり過ぎたかな?」
「いえ、私としても早い方が助かりますから。あ、これ来客用のパスだそうです。首から下げておいてください」
「了解。それじゃ、入ろうか」
終司が首にパスを通すのを見て、旭が守衛に声をかける。
すると、その巨大な鉄門がゆっくりと開き始めた。
同時に、皮膚の奥に触れるような感覚が走る。
結界。
学院全体を覆う魔法の膜が、わずかに揺らいでいる。
二人はそのまま門をくぐった。
中は、外から想像していたよりも広かった。
芝生の茂る広い中庭。そこでは、何人かの生徒が魔法の練習をしている。
集中しているのだろう、こちらには全く気づいていないようだった。
「このまま真っ直ぐ、一番奥の校舎へ向かいます」
「なるほど、あそこだね」
校舎群の中で一際大きな建物に視線を送る。
「お姉さんはやっぱり、ここでも有名なのかな?」
終司が何気なく聞く。
「そうですね……四耀の一人でもありますから」
「四耀?」
「フロリスの特級序列四位以内の生徒の呼び名です。姉は第三位なんですよ」
旭は少しだけ誇らしげだった。
「結界魔法が使えるほどだから、それもそうか」
建物の前で、旭が足を止めた。
「学院長室は、この上です」
階段を上がり、長い廊下を進む。やがて、大きな扉の前に辿り着いた。
旭が軽くノックをする。
「失礼します。霧城旭です」
『どうぞ』
中から穏やかな声が返ってきた。
扉が開く。
室内は広く、天井まで届く本棚が並んでいた。
その中央の机の向こうに、一人の男が座っている。
銀髪で穏やかな眼差しに、優しげな微笑み。そしてその整った顔立ち。
四十半ばの年齢にしては、まだまだ若々しく見える。
フロリス魔法学院。学院長のアヴレイン・フラウレスその人だ。
「よく来てくれたね」
その視線が、ゆっくりと終司へ向けられる。
「終司くん」
終司は一瞬だけ目を細めた。
「……ええ、お久しぶりです。師匠」
旭が小さく息を呑む。
「え……?」
「本当に久しぶりだ。会えて嬉しいよ」
終司はわずかに眉を上げた。
「……自分がここに来るのを確信していたみたいですね?」
アヴレインは穏やかな笑みを崩さない。
「君は困っている人間を見捨てるような子ではなかったからね」
旭が戸惑った視線を終司へ向ける。
「橘守さん……学院長とお知り合いなんですか?」
終司は軽く肩をすくめた。
「……まだ俺が小さかった頃に、魔法を教えてくれた人だよ」
「彼は私の弟子の一人だった。とても優秀なね」
「昔の話ですよ」
終司は小さく息を吐く。
旭は驚いたように二人を見比べていたが、やがて慌てて背筋を伸ばした。
「昔話はまたの機会にしませんか? 今日来たのは……」
「夕緋くんの件だね」
旭の表情が引き締まる。
「まだ、姉は寮に戻っていません……そろそろ二週間になります」
「前にも言ったが、学術祭が近いからね」
アヴレインは指を顎に当て少し考える素振りを見せる。
「もちろん、生徒の安全は最優先だ。だが、ここの学生なら鍛錬に明け暮れて数日姿を見せないことは珍しいことでもないと思うが」
終司は腕を組みながら静かに聞いていた。
「実の妹にも連絡を取らずにですよ?」
アヴレインは一瞬だけ視線を終司へ向ける。
「魔法の鍛錬とはそういうものだろう」
穏やかな声だった。
「夕緋くんは優秀な魔導師だ。多少の危険でどうこうなる子ではない」
旭の手がぎゅっと制服を握る。
「でも……姉は連絡を断ってまでそんなことをするような人じゃないんです」
部屋の空気が少しだけ静かになる。
アヴレインはしばらく旭を見つめてから、ゆっくりと頷いた。
そして視線を終司へ向ける。
「だからこそ、君に白羽の矢を立てたのだよ」
終司は軽く眉を動かす。
「つまり、学院側はこの件で動く気はない、と?」
「誤解しないでほしい」
アヴレインは静かに言う。
「内部でも確認は進めている。ただ、大事にするには時期尚早と言っているのだ」
「学術祭も控えている今、不祥事は避けたいということですか?」
「これは、手厳しいな。否定したいところだが、そういう側面があるということも認めざるを得まい」
学術祭。
学院が研究成果を世間へ披露する、大規模な催しだ。
そんな大事を控えてる中、学院内で生徒行方不明者事件が起きたなど知れれば、開催に影響が出る可能性もある。
学院側としては、今の期間は極力厄介ごとは避けたいのだろう。
「学院側の事情はさておき、夕緋さんについて何か情報は?」
「残念ながら、今のところは何も」
アヴレインは机の上で指を組んだ。
「ただ一つだけ言えることがある」
「何です?」
「彼女はここ最近、結界魔法の運用研究に没頭していた」
旭が驚いた顔をする。
「研究……?」
「ああ」
アヴレインは静かに続けた。
「既存の結界を改良するのではなく、まったく新しい構造を模索していたようでね」
終司の目がわずかに細くなる。
「新しい構造?」
「魔力の循環を利用した……少し特殊な理論だったよ。私も何度か相談を受けていた」
終司は少しの間黙っていた。
そして小さく息を吐く。
「……なるほど」
「何か気付いたかな?」
「いえ、これといってまだ。他には何か?」
「さしあたってはそれくらいだよ。いつもより張り切っていた……という印象だったな」
「なるほど」
終司は肩をすくめ、ゆっくり立ち上がった。
「今日はありがとうございました」
「おや、もう帰るのかな? 昔話に花を咲かせても良いと思っていたのだが」
「いえ、自分は彼女の依頼でこちらに来たまでですので。それはまた別の機会に」
終司はあっさりとその誘いを断った。
「それよりも、現場を見て回りたいですね。学院内での行動の自由を許可して貰いたいのですが」
「それなのだが、終司くんには学術祭に際して外部から私が呼んだ魔法使いという扱いで招き入れたい」
アヴレインの提案に、終司は少し考える素振りを見せた。
「外部の人間を学院に……ましてや探偵が学内で何かの調査をしてるなんて、知られるわけにはいかないでしょうね」
「その通りだ。だが、私推薦の魔法使いとして呼んだということならば、何も問題にはならない」
「学院長先生のお墨付きってことになりますしね」
旭もうんうんと納得の様子だ。
「調査するにしても、学内を見学しているという体にしてしまえば良い」
「分かりました。自分はそれで構いませんよ」
「ただ、これは君が学術祭が終わるまでの期間はフロリスの学生として過ごしてもらうということでもある」
「つまり、学術祭が終わるまでは学院の外へは出られない……と?」
「すまないが、これが私から君の調査を許す交換条件だと思ってくれ。旭くんも、構わないかな?」
「橘守さんさえよければ私は」
旭はそう言って頷いた。
「ありがとう」
アヴレインは穏やかに頷いた。
「とはいえ、正式な手続きには少し時間がかかる。こちらの用意が出来るのは数日後になるだろう」
「分かりました。では、今日は見学程度ということで」
「ああ、自由に見て行ってくれたまえ」
アヴレインは満足そうに微笑む。
「旭くん、学院を案内してあげてくれ」
「はい」
旭はすぐに返事をした。
「それでは終司くん、頼んだよ」
「ええ」
二人は学院長室を後にした。




