第3話 フロリス魔法学院
探偵事務所を出たあと、二人は並んで歩いていた。
歓楽街から学院まではそう遠くない。舗装された緩やかな坂道を、終司は歩調を合わせて進む。
旭は小さな鞄を胸の前で抱え、時折ちらりとこちらを見上げてきた。
「……すみません。送っていただいて」
「いや、俺も学院を少し見ておきたかったから。それに、天気も悪くないしね?」
そう言って、終司は少しだけ歩幅を狭めた。
無意識だったが、相手が女の子であることを意識している自分に気づく。
急かす理由は、どこにもなかった。
「さて、もうそろそろかな?」
「はい、もう少しで……あ、あれです!」
旭が指差した先、坂の上に巨大な外壁が見え始めていた。
淡い灰色の石で組まれた壁は、まるで城塞のようだ。装飾は控えめだが、近づくほどに圧迫感が増していく。
――結界。
終司は歩きながらも、皮膚の内側にまとわりつくような感覚を覚えていた。
目に見えない膜が、この学院全体を覆っている。
物理的にも魔法的にも。
この学園の守りは、簡単に破れるものではない。
「……中に入らなくて、大丈夫ですか?」
「今日はここまででいいよ。今の俺はまだ、ただの部外者だからね」
終司は立ち止まり、壁を見上げる。
旭もそれに倣って足を止めた。
「俺も色々と準備しておくから、学院長との面会の件はお願いしてもいいかな?」
旭は一瞬だけ唇を噛み、それから小さく頷いた。
「……ありがとうございます。面会の話は戻ったらすぐにでも」
その声には、まだ消えきらない焦りが滲んでいた。
姉の件は学院側からは問題ないと言われている。けれど、だからこそ不安なのだろう。
終司はそれ以上踏み込まず、話題を変えた。
「それじゃ、次に会うのはまたここでかな」
「はい。面会の日程が決まったら連絡しますね」
「待ってるよ」
旭はぺこりと一礼し、そのまま外壁沿いの道を進んでいった。やがて姿が見えなくなる。
終司は一人、学院を見上げたまま動かなかった。
「こんな高い壁に周りを囲まれた施設が学校とはね」
独り言を呟いた直後、ポケットの中で携帯端末がピロピロと音を立て震え出す。
終司はそれを取り出し、画面を確認してから通話を開始した。
「……終わったぞ、冴鳴」
『お疲れさまです、兄さん』
数秒遅れて、端末越しに妹の声が返ってくる。落ち着いたいつもの調子だった。
「旭さんは学院に戻った。今、外から様子見してる」
『入れそうです? ほら、飛び越えたりとかは?』
「結界もあるし、壁自体も十メートルは軽く超えてるからなぁ……これは無理」
『何ごともトライアンドエラーですよ? 兄さんなら出来ます』
「軽率に犯罪行為を勧めてくるのやめような?」
『建造物侵入罪。試しただけで留置所行きは確定ですね』
「知ってるなら言うな」
くすり、と端末越しに冴鳴が小さく笑う気配がした。
『旭さんの様子はいかがでした?』
「……焦ってる。表に出さないようには気をつけてるみたいだけどね」
『それで、どうします?』
その問いに、終司は少しだけ笑った。
「どうするも何も、依頼は引き受けたからな」
即答だった。
「聞かなくても分かってただろ?」
『もちろん。でも、いつもより快諾するまで早かったですよね? 旭さんが可愛かったからです?』
「そんな理由じゃないことも知ってるだろ? あの子は……」
『魔女狩り事件の被害者だったから、ですよね?』
冴鳴が依頼人を事務所に通している時点で、それはもう全ての下調べが済んだ後ということだ。
だからこそ、この不毛なやり取りに意味はあるのかと終司は少し疑問を抱いていた。
もっとも、冴鳴にとってはこれも兄とのコミュニケーションの一環だと考えているのだが。
「全部知ってるんだから、わざわざ言う必要ないだろう?」
『そんなことはないですよ。言葉にするのは、大切なことです』
その言葉に終司は端末を耳から少し離し、外壁の一部に視線を走らせる。
この無機質な壁の向こうに、一体何があるのか。
「こんな形でここに入れる時が来るとはな……」
一瞬、冴鳴が黙った。
『……兄さん』
「分かってる。まずは様子見だけ……な」
心配をかけまいとできる限りの優しい声色で終司は返す。
『了解です』
それに冴鳴は短く応じた。
『では、旭さんからの連絡が来るまでに、情報を整理しておきます。データはまとめて端末へ送りますので』
「助かるよ」
もう一度だけ学院を見上げ、今度は意識的に視線を逸らす。
壁の向こうに何があるのか――
フロリス魔法学院。
七年前の魔女狩り事件の地の上に建った、この学院が無関係なはずがないのだから。
終司は踵を返し、来た道を歩き出した。




