第2話 依頼人、霧城旭
「……失礼、します」
時刻は午前九時ちょうど。
控えめなノックのあと、事務所のドアが静かに開いた。
入ってきたのは、小柄な少女だった。
黒髪のボブカットに、少し大きめの学院制服。視線は低く、扉を閉める動作ひとつにも遠慮が滲んでいる。
「お電話いたしました、霧城旭と申します……。こちらが、橘守探偵事務所でお間違いないでしょうか?」
「ええ、間違いないですよ。どうぞ、入って」
終司は椅子から立ち上がり、できるだけ柔らかく声をかけた。
探偵としてというより、年上としての距離感を意識する。
旭は小さく息を吐き、来客用のソファに腰を下ろした。
そのとき、無意識にスカートの裾をぎゅっと掴んだのを、終司は見逃さなかった。
小動物のような仕草。
だが、それはただ怯えているだけではない。嵐の前で身を低くして耐えている――そんな印象だった。
「お茶、どうぞ。熱いから気をつけてね」
「あ、ありがとうございます……」
一口含み、旭は少しだけ目を見開く。
「……美味しいです」
「それはよかった」
終司は向かいの椅子に腰を下ろし、名刺を差し出した。
「橘守終司。この事務所の代表……って言うと大げさだけど、探偵をやっています」
「ありがとうございます。霧城旭です……すみません、名刺とかは持ってなくて」
「学生さんなんだから、そんなのは気にしなくていいよ」
旭の肩から、わずかに力が抜けた。
「さて、話を聞かせてもらえるかな?」
旭は一度、深く息を吸った。
「……姉が、いなくなりました」
短い言葉。
だが、その一文が持つ重さは十分すぎるほどだった。
「霧城夕緋さん、だね」
「……はい」
旭は視線を落とし、指先を絡める。
感情を零さないよう、必死に抑えているのが分かる。
「一週間、寮に戻っていません。連絡も……一切、なくて」
「一週間か……学院には相談した?」
「しました。でも……」
旭は一瞬、唇を噛んだ。
「“よくあること”だって。どこかで鍛錬に没頭してるだけだろうって」
終司は何も言わず、メモを取る。
「姉は……確かに努力家です。でも、私に何も言わずに姿を消す人じゃありません」
旭の声は震えていた。
「今までに、同じことは?」
「ありません」
即答だった。
「学院の敷地内で私が行けるところは全部探しました。学内で頼れそうな人にも……でも、皆さん今の時期はちょっと……」
「学術祭の準備、か」
「……はい」
終司はそこで深掘りしなかった。
重要なのは学院の事情より、旭の違和感だ。
「ご家族には?」
旭は一瞬、目を伏せた。
「……七年前の、魔女狩り事件で」
それだけで十分だった。
「分かった」
終司はペンを置き、視線を上げる。
「一つ聞いてもいいかな? どうして、俺のところに?」
旭は少しだけ戸惑った表情を見せたあと、ゆっくり口を開いた。
「最初は……探偵なんて、考えていませんでした」
膝の上で手を組み、指先に力を込める。
「でも、学院長先生にお会いして相談した時に……」
「学院長?」
「はい。アヴレイン学院長です」
その名を聞いた瞬間、終司は一度だけ瞬きをした。
だが、それに旭は気づかない。
「学院長は親身に話を聞いてくれました。ただ……学院としては、大ごとにはできない、と」
「そう言うだろうね」
「その代わりに、どうしても納得できないなら、外の人間に頼るのも一つの手だって」
旭はそこで、終司を見た。
「……その時に、名前を出されました」
「俺の?」
「はい。“魔法絡みの事件を専門にしている探偵がいる”って」
終司は小さく息を吐く。
「それで、ここに来たわけか」
「はい。正直……怖かったです。学院の外に出るのも久しぶりでしたし」
旭は苦笑した。
「でも、姉のことを考えたら、怖いとか言っていられなくて」
点と点が、静かに繋がる感覚があった。
「……その判断は、間違ってないよ」
終司は穏やかに頷く。
あの学院が外の人間の……ましてや探偵を頼れだなんて言い始めるなんておかしな話ではあるが。
「少なくとも、ここに来たこと自体はね?」
少し間を置いて、続けた。
「ただ、一つだけ覚悟してほしい。行方不明者の捜索は、必ずしも良い結果になるとは限らない。それでも、いいんだね?」
旭は顔を上げる。
「それでも、お願いします」
迷いのない声だった。
「このまま姉を放っておく方が……ずっと怖いです」
終司は、静かに息を吐いた。
「分かった。引き受けるよ」
「本当ですか……?」
「うん。ただし、依頼料はそれなりだけどね?」
「……ありがとうございます。宜しくお願いします……!」
深く頭を下げる旭に、終司は言った。
「じゃあ、まずは学院……いや、学院長からだな」
旭はきょとんとした顔をする。
「え?」
「君の話を聞いた限り、鍵を握ってるのはそこだから」
フロリス魔法学院。
そこに踏み込む理由が、ついに揃ったのだ。




