第17話 リトリの部屋
先ほどまでの会話が尾を引いたまま、しばらくは誰も口を開かなかった。
やがて、学院の中心部から外れ、人気の少ない区画へと入っていく。
建物の配置もまばらになり、周囲の空気がわずかに変わった。
踏みしめる足音だけが、やけに静かに響く。
「……この辺りも、探しに来たんですけどね。こんなのあったんだ」
旭が周囲を見回しながら言う。
木々の隙間を覗き込むように、視線が落ち着かない。
「存在を知ってる生徒の方が少ないから。簡単には見つからないし、入れない」
リトリは軽く肩をすくめた。
「誰でも入れる場所じゃないのか?」
終司が前を見たまま問う。
「うん。基本的には」
あっさりとした返答だった。
やがて、一棟の建物が見えてくる。
他の施設と比べて装飾は少ない。
だが、その分だけ余計なものを削ぎ落としたような、妙な静けさがあった。
終司は足を止め、わずかに目を細める。
「……ここか」
「そう。研究棟」
リトリは振り返らずに頷いた。
入口へと向かいながら、何気なく続ける。
「ここ、四耀の権限を使って用意して貰った私専用の施設なの」
「また四耀か……確か、夕緋さんもその四耀だったな」
終司が視線だけを横へ向ける。
「そういえば、先輩にはさらっと話しただけで詳しくは説明してませんでしたね」
旭が少しだけ身を乗り出す。
「あ、そうなんだ。なら、折角だし旭ちゃんが教えてあげて?」
軽く背中を押すように、リトリが言った。
「学院の生徒は全員、学年を問わずその知識と強さに応じて順位が与えられているんです」
旭は言葉を選びながら続ける。
「生徒は大体千人くらいで、その上位十名が"特級序列"です」
一拍、呼吸を整える。
「四耀は、その中でも一位から四位までの呼び名ですね」
「なるほど。だからあんなに騒いでいたのか……」
終司は小さく呟いた。
昨日のざわめきを思い出すように。
「一位がエリューシア・フラウレス先輩。二位がラルス・アングヴァルド先輩」
聞き慣れない名前が、さらりと混ざる。
「三位が私のお姉ちゃん……霧城夕緋」
ほんの一瞬だけ、旭の声がやわらいだ。
そして――
「四位が目の前にいる、リトリ・スルス先輩です」
言い切る。
その言葉の余韻の中で、終司はゆっくりと視線を横へ向けた。
隣を歩くリトリへ。
「……へぇ?」
短い一言。
だが、わずかに視線が細まる。
「あ、なんだか意外そうな顔してる」
リトリがくすっと笑う。
「いや」
終司は軽く肩をすくめる。
「頭の良さならまだしも、戦闘を含めての順位で上位だとは思わないだろ?」
「そういえば、私の魔法は見たことなかったね。戦ってるところも」
リトリはあっさりと返す。
「暴れる患者を抑えるのが上手いのは知ってる」
「あ、それって私を怪力女だと思ってるってこと? ひどいんだ」
わざとらしく頬を膨らませる。
だが、その目は楽しそうに細められていた。
「強さとかはどうでもいいの」
ふっと、表情が少しだけ落ち着く。
「必要だったから、その位置にいるってだけ。四耀になると、色々と融通が効くし」
淡々としているが、嘘のない声音だった。
終司は何も返さない。
「それじゃ、入ろっか」
入口の前で足を止める。
リトリは軽く手をかざした。
淡い光が走る。
――解除。
音もなく扉が開いた。
「私のお城へご案内」
軽く振り返って笑う。
その仕草のまま、先に中へと踏み込んだ。
終司と旭もそれに続く。
中に入った瞬間、空気が変わる。
外とは明らかに違う、静かで澄んだ感覚。
肌に触れる空気そのものが、整えられている。
「……なるほど」
終司が小さく呟く。
視線がゆっくりと空間をなぞる。
「この施設周囲の認識阻害魔法の核はここなのか」
「あ、分かる?」
リトリが少しだけ嬉しそうに振り返る。
「認識阻害?」
旭はきょとんとして、視線を二人の間で揺らす。
「旭はさっき、以前この辺りにも探しに来たって言ってたよな?」
「はい。学院内でいけるところはくまなく探しましたから当然ここにも」
すぐに頷く。
「その時、この"建物"は見つけられなかった」
「あ、そうです。ただ森の中を歩いただけで、何にも見つかりませんでした」
少し悔しそうに眉を寄せる。
「外からは見えない仕掛けが建物自体に仕込まれてるんだ。それも、極めて高度な」
終司の視線が、わずかにリトリへ向く。
「……学院レベルの設備じゃ、普通はここまで出来ない」
「普通はね」
リトリが軽く肩をすくめる。
「夕緋ちゃんみたいに結界魔法が使えたら話は早いんだけど、私には出来ないから」
「物理的ではなく、見えなくすることでここに人を近づけないようにしてるってことか」
「正解。実際はここの周りの森も、そんなに広いわけじゃないしね。広く感じるように錯覚させてるんだ」
「私、この辺りはほんとにただの森だと思ってました。まさか、こんな建物があるなんて」
「原理はマジックミラーみたいなものなんだけどね」
くるりと指を回す。
「どうしてそんな仕掛けをここに?」
終司の問い。
ほんの一瞬だけ、間が空いた。
リトリの視線が、わずかに逸れる。
「その話はあとでね」
リトリはさらりと流す。
やがて、建物の奥へと進み――
一つの扉の前で、リトリは足を止めた。
「ここが私の部屋だよ」
再び、手をかざす。
ロックが解除される。
扉が静かに開いた。
中へ足を踏み入れた瞬間――
視界に飛び込んできたのは、整然と並ぶ医療器具と資料。
中央には簡易ベッド。
その周囲には、複数の補助装置が配置されている。
無駄のない配置。
だが――
その一角。
床に積み上がる、異様な存在感。
簡易食品《インスタント麺》の山。
「リトリ先輩、これ……」
旭の声がわずかに引きつる。
「……相変わらずだな」
終司が淡々と続けた。
どれを指しているかは、言うまでもない。
「お、美味しいんだから仕方ないでしょ?」
わずかに頬を赤らめながら、リトリは慌ててそれを端へと寄せる。
ごそごそと山を崩し、視界から追い出す。
「はい、これでよし」
手を払うようにして振り返る。
何事もなかったかのように。
「適当にくつろいでいいよ」
どこでくつろげばいいんだと、終司と旭は顔を見合わせる。
そして、小さく笑った。




