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【短編小説】晩ごはん何食べる

 ぴい、ぴい、ぴい

「どうしたの?」

 ぴい、ぴい、ぴい

「……そっか」

 ぴい、ぴい、ぴい

 ぴい、ぴい、ぴい

 ぴい、ぷー


 全てが途切れた。

 その瞬間に見えた光がある。


 俺は君と食卓を囲んでいたんだ。

 君はやつれていたけど相変わらず綺麗で、短く切った髪は綺麗な金色に染められていた。

 テーブルに並んだ磁器には煮物や漬物が並んでいて、お椀には炊き立てのコメと味噌汁がそれぞれ湯気を立てている。

 ケの日の幸福そのものが、ハレの日の幸福に思える瞬間が目の前にあった。


 俺は幸福だった。

 それは君といられた時間にも、一緒に摂った食事にも言える。

 食べることは人生に於ける幸福だ。

 死に損ないのギリシア人が何と言ったかは知らないが、結局のところ生きるとはメシを食うことでしか無い。


 だがそれは夢だ。

 蝋燭が消える直前の光だ。

 俺は疲れていて、黒く染め直した髪の君も疲れていた。

 善く生きると言うのが粗悪なタンパク質と脂質によって成り立たない事はどうにか分かる。

 じゃあ仮に幸福を追求したニコスマス的ハンバーガーと言うものがあるとするならそれはどんなものだろうか?


 

「ヴィーガンバーガーかな?」

 君は笑って言うと、ローストビーフバーガーを口に押し込んだ。

「まさか、あれが理性から一番遠いのに」

 そう言う俺を見ている君の頬袋は膨らんで、薔薇科果実の様な赤らみを見せる。


「いつまでハンバーガーなんか食べていられるのかな」

 ジンジャーエールでローストビーフバーガーを流し込んだ君が俺に訊いた。

「それは肉体的に?それともご時世と言う意味で?」

「両方」

 ハインツのケチャップで赤くなったポテトがフォークに串刺されていく。


 そう言う光は確かにあった。

 それ以前は闇であったかと言われると分からない。別に闇だとは思わない。

 単に薄暗い、または薄明るいと言う感じでもない。

 ただ君がいなくなった後で、俺は善く生きる事だとか幸福な食事に対して興味を失った。

 皿も箸も何だって良くなった。

 でもそれは君の責任じゃない。俺が選んでそう生きているだけだ。


 生きるのに必要なエネルギーを摂る為の食事が続いた。

 何だって構わなかった。

 しかし蒸したブロッコリーと鶏ササミ肉が健康的なのか分からない。

 肥満だとか胸焼けだとかのストレスや体調不良を追放したその食事が、結果的な幸福を追求するニコスマスな晩餐なのかと問われると、塩分や脂質、糖質を渇望するプシュケーは反目する。


 でも別にそれは闇じゃない。

 いつものことだ。ケの日だ。

 君がいなくなってからずっとケの日だ。

 湯気の中のブロッコリーと鶏ササミ肉。

 死に損ないのギリシア人なら何と言うか。

 人間は考える何だっけ?

 俺は考えるから何だっけ?


 俺は考える事をやめた。

 晩飯を固定してしまえば、悩んだら考えたりする必要がなくなる。

 それは考えるストレスを排除したニコスマス的な食事と言えるんじゃないか?

 どうせこの世にある全ての料理を食べる事なんて出来やしない。

 プシュケーの渇望は満たされない。

 それなら最初からネグレクトな態度で死ぬまで過ごすのだって同じだろう。

 それをニコスマスと呼ぶのかは知らない。


 そうやって俺が最後に見た光が遠ざかる。


 インターホンが鳴る度に「もしかして」と思わざるを得ない。

 それが君では無いと言うことは分かっている。

 もし今夜、君が帰って来るとしたら何を食べたいだろうか?暖かいスープでも作ろうか?

「あなたが食べたいものが食べたい」

 きっと君はそう言うだろう。

 ブロッコリーと鶏ササミを蒸している俺を君は笑うだろうか。


 光の最後に見たのは現実の景色で、それはケの日だった。

 ロックしたバイクのリアタイヤは横に滑り、それでも車体は止まらずにコンクリートの柱に激突した。

 痛みはなかったけれど、プロテクタージャケットの隙間から入る風が厭に寒かった。


 ピンポーン

 インターホンが鳴る

 おかえり

 寒かったでしょう

 風呂沸いてるよ

 晩ごはん、なに食べる?


 ぴい、ぴい、ぴい

 しゅこー

 ぴい、ぴい、ぴい

 しゅこー

「自分でご飯を食べられなくなったら終わり、そう言ったのはあなたなのに」

 ぴい、ぴい、ぴい

 しゅこー

 ぷー

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