あえて根暗で不細工を装っていた美人令嬢が、本当の幸せをつかむまで
伯爵令嬢のアストリッド・ヌーヴィックは貴族学園でも一番の根暗で不細工だった。
目元まで隠れるほどに延ばした前髪、丸い瓶底眼鏡。
いつも背中を丸めて、人の視線を避けるように動いている。
彼女を馬鹿にする生徒は多い。
けれど、アストリッドは一切気にしていなかった。
アストリッドにとって、大切なのは婚約者である伯爵令息のサミュエルからの評価だけで、彼が「可愛い」と一言言ってくれるなら、他はどうでもよかったのだ。
だが、そんな彼女に転機が訪れる。
偶然立ち寄った学園の裏庭で、サミュエルが一人の子爵令嬢の腰を抱いていたのだ。
(……サミュエル様……?)
信じられない気持ちで、とっさに壁の影に隠れた。
そっと聞き耳を立てると、二人の話し声が風に乗ってかすかに聞こえてくる。
風魔法で違和感があまりないように風向きを操作すると、より鮮明に声は聞こえた。
「サミュエル様、アストリッド様に悪いわぁ」
「気にするな、あんなやつ。……昔はそれなりに可愛かったというのに、今では見る影もない。全く嘆かわしい」
アストリッドを蔑む言葉を口にしながら、くすくすと笑う。
そのうえ、二人のキスシーンまで目撃してしまった。
悪意に満ちた笑みを聞いて、アストリッドは額に手を当てる。
足元がぐらつく。どうして、と声にならない声が零れ落ちた。
(だって、私がこの外見をしているのは――)
昔、まだ学園に入学する前の幼い頃。
髪の毛を綺麗に整え、眼鏡だってかけていなかったアストリッドにサミュエルが言ったのだ。
『君は本当に可愛いから、他の男に奪われないか不安だ』
『わたしにはサミュエル様だけです』
『でも、不安なんだ。ああ、君がこんなにも可愛くなければよかったのに』
本当に不安そうに嘆くから、その姿があまりに愛おしくて胸がときめいた。
馬鹿真面目な彼女は、サミュエルの言葉を正面から受け止めて、その日から少しずつ前髪を伸ばした。
あえて伊達の瓶底眼鏡をして、背筋を少しだけ丸めるようになった。
サミュエルしか見えていないという、アストリッドなりのアプローチだったのだ。
最初のころは、それこそサミュエルも喜んでいたように思う。
けれど、思い出してみれば確かに、最近は蔑ろにされている。
とくに貴族学園に入学して、たくさんの綺麗な令嬢と日常的にかかわるようになってから、サミュエルはアストリッドのことを雑に扱うようになった。
昔は愛情がこもっていた「かわいいよ」の言葉だって、上っ面だけで心がこもっていないことに、本当はとっくに気づいていた。
「っ……!」
それなら、もう根暗で不細工な令嬢など演じない。
わざと丸めていた背筋を伸ばして、アストリッドはその場を離れた。
明日、一日学園を休んで、身なりを整えよう。
肌の手入れは欠かしていないから、前髪を切って、伊達の瓶底眼鏡を変えるだけでいい。
ドレスも地味なものから、貴族令嬢に相応しいものにする。
それだけで、ずいぶんと変わるはずだから。
決意を胸に歩き去る彼女の姿を、一対の視線が見守っていたことに、アストリッドは気づかなかった。
二日後、前髪を綺麗に切りそろえ、眼鏡をはずし、背筋を伸ばして、髪と同じ赤いドレスを身にまとったアストリッドが教室に入ると、その場は静まり返った。
「え? どなた?」
「あんな方、学園にいらしたかしら」
「美しい……!」
男女問わず視線を釘づけにして、アストリッドはいつもの指定席、クラスの一番後ろの窓際に座る。
「あ、あの、その席は……」
アストリッドと仲のいい級友の令嬢のマリーが、そっと口を開く。
マリーはアストリッドに気づいていないらしい。
にこりと上品に久しぶりに口紅を引いた口元を吊り上げる。
「大丈夫よ。私、アストリッド・ヌーヴィックなの」
「えっ?! アストリッド様?!」
素っ頓狂な声を出したマリーににこりと微笑みかけると、彼女は頬を真っ赤にして黙り込んでしまった。
教室がざわつく。
「アストリッド様……?」
「嘘だろう。だって彼女は」
「でも、確かに面影があるわ」
耳朶に届く戸惑いの声すら心地いい。
アストリッドがすまし顔で視線をクラス内に滑らせると、誰もが口を閉ざした。ざわめきが止まる。
そんなとき、扉を開いてサミュエルとナタリーが親しげに現れた。
隠すことを止めたのか、開き直ったのか。ずいぶんと堂々としている。
クラスの様子に眉を潜めたサミュエルが、アストリッドを見つめて大きく目を見開く。
ナタリーもまたアストリッドをみて、不快そうに眉を潜めた。
アストリッドはイスから立ち上がり、優雅にドレスの裾をつまんでカーテシーをする。
「サミュエル様、婚約を破棄させていただきました」
「なに?」
「私、アストリッド・ヌーヴィックとサミュエル様の婚約は昨日付けで破棄されました」
下げていた頭を上げて堂々と告げたアストリッドに、彼は目を見開いた。
学園を休んで実家に戻った際、両親に見聞きしたことを全て正直に話した。
そのうえで、風魔法の応用で録音していた彼らの会話も聞かせた。
アストリッドを可愛がる母も父も、酷く憤ってくれて、彼女が婚約を破棄したい、というのに反対せず手続きを進めてくれたのだ。
「なにを勝手なことを!」
「サミュエル様が先に浮気をされたのです。ナタリー様と」
すっと目を細めたアストリッドには、今までになかった触れれば切れるような凍てついた雰囲気が漂っている。
息を飲んだサミュエルに、一転してにこりと笑みを浮かべてアストリッドは告げた。
「私はもう『可愛くない』のでしょう? ナタリー様がいらっしゃるから」
冷えた声音で紡がれた言葉に、サミュエルが黙り込む。隣に佇むナタリーが抗議の声を上げた。
「それはぁ! アストリッド様が! 不細工だからいけないんですぅ!」
彼女のあまりな言い分にその場にいた誰もがぎょっとした。
今の彼女を差して『不細工』などと、誰も思わない。
「私はサミュエル様が望んだから、冴えない令嬢を演じていただけです。その必要がなくなったのであれば、本来の自分に戻ります」
「なぁに、それぇ! どうせ虚勢を張ってる根暗のくせにぃ!」
虚勢を張っているのはどちらなのか。
無茶苦茶なナタリーのセリフに、アストリッドは浅く息を吐く。馬鹿につける薬はない。
「では、試験の点数で勝負といたしましょう」
「いいわよぉ!」
さて、アストリッドの記憶が確かなら、ナタリーは全科目の試験で壊滅的な点数を出していたと思うが、果たして勝負になるのだろうか。
勝ちを確信しながら、アストリッドはさらに笑みを深めた。
ちょうど、三日後が期末試験の日だった。
各魔法や経済学、貴族としてのマナーなど、様々な科目を二日に分けての試験となる。
いままでアストリッドは悪目立ちしないために、あえて半分程度の問題をはずしていた。
だが、その必要がないというのなら、手加減などしない。
さらさらと問題を解いていき、クラスで二番目に試験を終えた。
試験が終わったものは、教室から退出を許される。
苦戦している様子のナタリーと、驚いている気配のサミュエルを置いて、凛と背筋を伸ばしてアストリッドは教室を後にした。
(さて、どこにいこうかしら)
今まで時間いっぱい悩んでいるふりをしていたから、先に試験が終わった時の時間の潰し方を知らない。
そう思っていたが、意外にもアストリッドに声をかける生徒がいた。
「やあ、アストリッド嬢、よければ少し話をしないか?」
壁に背を預けて彼女に笑いかけたのは、ルシアン・ルフェーブル公爵令息。
この学園で最も地位が高い生徒であり、アストリッドより先に唯一試験を終えた人物だ。
(そういえば、今までにも気にかけていただいていたわ)
みなが根暗で不細工なアストリッドを遠巻きにする中、マリーとは別の意味でルシアンは彼女を気にかけてくれていた。
例えば、アストリッドが重い教材を教師に頼まれて運んでいると、どこからともなく現れて手伝ってくれたり、他の令嬢からの嫌がらせで頭から水を被った際には上着を貸してくれた。
当時は、関わられると面倒だと思っていたが、今は断る理由もない。
「はい、喜んで」
「ありがとう。庭園に行こう。先日、俺が持ち込んだ花が咲いたらしいんだ」
学園の庭園に花の寄贈が許されるのは侯爵からだ。
公爵らしい言葉にアストリッドは小さく笑って、背中を向けて歩き出したルシアンの後を追いかけた。
ルシアンが案内してくれた庭園の一角は、異国の花が綺麗に咲き誇っていた。
「まぁ、綺麗ですね」
オレンジと黄色の花が交互に植えられ、大ぶりの花が目を楽しませてくれる。
そっと花に近づいて膝を折ったアストリッドの隣に立って、ルシアンが楽しげに笑う。
「いいだろう。君が好きそうだと思ってな」
「それは……」
どういう意味ですか?
問いかけようと視線を花からルシアンに向けたアストリッドの横で、彼は一凛の花を手折った。
それを彼女の髪に差す。満足そうに笑ったルシアンの笑みに、変に心臓が跳ねる。
「……ルシアン様」
そっと右側に差された花に触れる。この行動の真意が読めない。
困ってしまって眉を寄せたアストリッドの手を、ルシアンがとった。
「俺は、君の婚約者になりたかった」
「え?」
突然の告白に、きょとんと目を見開く。戸惑うアストリッドに、ルシアンは僅かに視線を伏せた。
「でも、俺が好きになった君は、大切な人に尽くす君でもあったから、この想いは仕舞っておくつもりだったんだ」
静かに続きを促すと、ルシアンは訥々と語りだした。
「本当は君がとても美しい人だと知っていた。水に濡れて眼鏡をはずして前髪をかきあげた時に。でも、本当はもっと前から、君のことが好きだった」
「いつでしょうか?」
「そうだな。王宮で開かれたパーティーで、屈託なくサミュエルに笑いかけた時だ。遠目に見て、なんて綺麗な子だ、と思った」
王宮でのパーティーには両親に連れられ度々参加していた。
恐らく、アストリッドがサミュエルの言葉の影響で冴えない令嬢を演じ始める前だろう。
つまり、七歳より前だ。
そんな頃から、ルシアンはアストリッドに思いを寄せていたという。
だから、優しかったのだ。ことあるごとに、気かけてもらっていた。
頬を赤らめた彼女に、ルシアンは悪戯気に笑う。
「ずっと諦めようとして諦められなかった。でも、今の君は婚約者がいない」
ルシアンが膝を折る。アストリッドの手をいただくようにして、真摯に言葉を紡ぐ。
「どうか、この想いを受け入れてはもらえないだろうか」
アストリッドにとって、正直、早すぎる展開だ。返事に困る。
けれど、嫌だとは思わなかった。
本当の彼女をずっと追いかけ続けてくれた姿に、胸を打たれたといってもいい。
だから、そっと。イエスの返事をしようとしたとき。
邪魔ものたちは現れた。
「アストリッド! お前! 僕をだましたな?!」
「ルシアン様ぁ! なんで求婚の体勢をしているんですかぁ!」
「……はぁ」
騒がしい二人の登場に、ため息を吐いてルシアンが立ち上がる。
アストリッドを庇うように一歩前にでる姿にも胸がときめいてしまう。
「なにをしにきた」
「アストリッドは僕の婚約者だ!」
「ふん、彼女を蔑ろにしておいて、都合がいいな」
サミュエルの言い分を鼻で笑ったルシアンに、今度はナタリーが噛みつく。
「ルシアン様ぁ! そんな根暗女辞めておきましょうよぉ! あたしがいますよぉ!」
「君はサミュエルを彼女から略奪したはずだが」
「ルシアン様のほうが魅力的ですぅ」
都合のいいことばかり並べるナタリーのあまりの尻軽さに、頭痛がする。
眉を顰めたアストリッドの前で、ルシアンがきっぱりと言い切った。
「断る。俺は尻軽に興味はない」
「尻軽?!」
「事実だろう。サミュエル以外にもずいぶんと色目を使って回っていたな」
「ナタリー?!」
ショックを受けた様子のナタリーにルシアンが追い打ちをかける。
サミュエルがひっくり返った声を出すが、ナタリーは頬を膨らませるだけだ。
「話にならない。アストリッド、場所を移そう」
「まて! アストリッド!!」
アストリッドの肩を抱いたルシアンを無視して、縋るような言葉がかけられる。
彼女は、少し考えた末に小さく笑った。
希望を得て顔を輝かせたサミュエルを、追い落とす。
「サミュエル様、貴方が浮気をしながら私の悪口を口にしていたのを聞いた時に。心は離れました。……貴方が、私が可愛いと心配だから、と仰ったから。私はその言葉を胸に過ごしていたのに。そんな私を貴方は笑った」
「そんなことは……!」
「魔法で録音している声を再生しましょうか?」
「っ」
にこりと綺麗に微笑むアストリッドの心は、あの会話を聞いた時に、愛を失ってしまったのだ。
彼女はルシアンを見上げて、先ほどまでとは別の笑みを浮かべる。
甘くて優しい『女』の笑み。
「行きましょう、ルシアン様」
「ああ」
立ち去る二人を止めることもできず。その場にはサミュエルとナタリーだけが残された。
「……本当に未練はないんだな?」
「どうしてですか?」
「その、君はずいぶんとサミュエルに惚れていたようだから」
少しだけ視線を逸らして言いにくそうに口にされた言葉に、アストリッドは淡く微笑む。
悲しげで、それでも美しい笑み。
「本当は、ずっと前から気づいていたんです。サミュエル様の心が離れていたことは」
「……そうか」
「でも、信じたくなくて。だけど、あの日、突き付けられました。信じるしかなかった。意を決して実家に戻って、髪を切って眼鏡をはずして、背を伸ばしたら。不思議と未練もなくなりました」
おかしいですね、あんなに好きだったのに。
儚く笑うアストリッドに、ルシアンが足を止める。
つられて立ち止まった彼女を、ルシアンが思いきり抱き締めた。
「俺は、一生君だけを愛すと誓う。不自由はさせない、寂しい思いもさせない。だから、どうか、俺と……!」
必死に伝えられる愛の言葉が心地いい。アストリッドはルシアンの背に手をまわして、笑み崩れた。
そこに、悲壮な令嬢はもういない。
「はい。ぜひ、よろしくお願いします。ルシアン様」
「っ! ああ!」
さらにぎゅうぎゅうに抱きしめられて、少しだけ痛かったけれど。でも、嬉しい。
アストリッドは、数年ぶりに心が満たされて、満足げに笑った。
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