第46話 御神渡り
「だめですね風花様。諏訪もガッチリ出入りを固められてるみたいですよ」
上田から松本をスルーして何とか岡谷まで来て高台から諏訪方面を眺めるが、荘の出入りの警戒は厳重でどうやっても中に入れそうにはない。もう何日間、雪の中を進み野営して来た事か。俺でさえ、こんなに疲労が蓄積しているのに、風花様やマイカさんも文句ひとつ言わずついて来てくれている。旧長野市内で寝袋などを準備出来ていなかったらここまでたどり着かなかったのは間違いないな。それに……寝袋を二つ繋いで、三人で中に入ると、雪濠の中でもかなり暖かく、俺にとってはちょっとドキドキが続いていて、それも活力の元になっているのは間違いない。
だが途中、食べられそうなものを探しながら山の中をさまよいつつ何とかつないで来たのだが、いよいよ食料も底をついて来たのに補給が出来ないのはつらい。富士山の爆発で甲府一帯が火山灰と噴石に覆われているらしく、旧中央本線沿いでは諏訪の次は八王子まで荘は無いと聞いているので、そこを補給無しで、この冬の寒空の下、徒歩で突っ切るのは自殺行為に等しい。
「ここから軽井沢や高崎に抜けるのはダメですかね?」俺の問いにマイカさんが答える。
「それだと八ヶ岳の山麓を抜けるのですが、八ヶ岳周辺も地形が変わりすぎていて地図が役に立ちません。それに今は一番積雪が多い時期ですし、かなり無謀かと……」
「そっか。鏡矢。やっぱり、ここから甲府経由で八王子を目指すしかないよ。幸い、旧中央本線沿いはそれほどドカ雪にはならないって聞いた事あるし。問題は食料と足だね」
「それが一番問題なんじゃないですか! 約百五十キロを飲まず食わずで雪中行軍は、マイカさんならずとも俺でも無理ですよ」
「……そうね。それじゃ背に腹は代えられない。なんとか諏訪の街に忍び込んで食料と水。あわよくばバイクか車を奪取したいわね」
「ですが、どうやって?」
「あのー鏡矢さん。風花さん。もしかして諏訪湖……凍ってないですかね?」
眼下の諏訪湖を眺めていたマイカさんが、突然変な事を言い出した。
「マイカ何言ってんの? 湖が凍るとか……」風花様が呆れた様な目付きをする。
「えっとですね。私も直接見た事はないんですが、寒さが厳しい季節に諏訪湖の水が凍るらしいんですよ。それでその氷が盛り上がって御神渡りってのが出来るって聞いた事があります」
「御神渡り? うーん。私は聞いた事ないな。でも凍るってのはありそうよね。今は多分ちょうど二月位かな。もうしばらくカレンダー見てないんで分かんないけど」
「だとしたら、あの湖の西側の山林の方から夜陰に乗じて街に入れないですかね」
「そうね。出来るだけ明るいうちに、山沿いであちら側に回ってみましょう」
こうして俺達は岡谷から諏訪湖の西側を目指した。
◇◇◇
「うわー。確かに凍ってるわ。でもこれ、明るいうちに湖面に出たら、狙い撃ちじゃない?」
「ですよね。やっぱり夜陰に乗じて渡るしか……でも氷もかなり厚そうではありますが、ちゃんと渡れるんでしょうか?」
「もし氷が割れたら、多分水温はほぼ零度。五分も持たないわね」
「脅かさないで下さいよ風花様」
「ほんとの事よ。仕方ないから一番体重が軽そうな私が先導するので、万一氷が割れたら、すぐに助けてね」そう言って風花様は、近くのレストハウスの残骸の様なところで荒縄を探し出して来た。これで三人の身体を結び付けようというのだ。
「それじゃ、夜までここに隠れるわよ」
久しぶりの屋根の下で、風花様とマイカさんは程なく、スースーと眠りに落ちていた。
◇◇◇
日が暮れてからしばらくすると、空から白いものが落ちて来た。
「おー。降雪とはラッキーね。私達の侵入を隠してくれるわ」
「ですが風花様。方向を見失ったりしませんか。氷の薄い所に足を踏み入れたり……」
「だから、私は夜目も聞くから先導に最適ね。この雪、だんだん強くなりそうだし、もう少し降りが強くなったら出発しましょう」
そして二時間ほど様子を見ていたが、やがて街の方の灯りが減り始めた。皆、就寝の時間なのだろうか。それとも雪が強くなって来て見えなくなっただけか。
「それじゃ出発するわよ」
風花様の合図とともに、俺達はレストハウスの残骸から出発した。
「ねえ風花様。これちょっと風が強すぎません? 吹雪いてて足元も見えないですよ」
「今更何よ鏡矢。ここで待ってても風も雪も収まらないわよ。そのまま雪ダルマにでもなるつもり?」
吹雪と強風で体温が遠慮なく持っていかれている様な気がする。これだと体力の消耗も激しいよなと考えていたら、案の定、マイカさんの動きが鈍ってきた。
「マイカさん大丈夫ですか?」俺が声を掛けると頑張りますと声が返っては来るのだが、その歩みもだんだん遅くなっている様だ。
「鏡矢。このままじゃマイカが低体温症で参っちゃうわ。早く湖面を抜けないと……あんた、マイカをおんぶしなさい!」
「えーっ。でも風花様。それで重くなったら氷が……」
「大丈夫よ。私の見立てでは氷は結構厚そうだから!」
「ほんとに大丈夫なんですよね……」
本当にすいませんといいながら、マイカさんが俺の背中におんぶされ、彼女の柔らかい胸の感触が防寒着の上からでもはっきり判る。三人で寝袋に入る時は真ん中が風花様だったので、俺がマイカさんに触れる事はほとんどなかったのだが……これは……絶対風花様より大きくて柔らかいよな。
風花様の後を追いながら、そんな事を考えつつ慎重に氷の上を歩いていたら風も雪も収まってきた。だが対岸まではまだもう少しありそうだ。気を抜かずに慎重に……そして岸まであと百m位になって、歩みを早めたその途端、足元でメキッっと氷が割れる音がした。
「まずい風花様。氷が割れる!!」
「鏡矢、早くそこを離れて!!」
しかし、メキメキッという音は立て続けに足元で発生し……ええい。こりゃどっちに逃げればいいんだよ!? 畜生……でも、マイカさんといっしょなら天国でも寂しくはないかな……などと不埒な事を考えていたらマイカさんが叫んだ。
「鏡矢さん! これ……御神渡りでは!?」
「えっ?」その声に風花様が、音のする方をじっと眺めた。
「あー。確かに氷がきしみながら盛り上がって湖の真ん中に向かってるわ……これが御神渡り……雄大な自然現象ね。大丈夫よ鏡矢。氷はガッチガチに凍ってるわ」
暗くて俺にはよく見えないが、風花様にはその神様の足跡がはっきり見えているのだろう。これは多分、滅茶苦茶縁起がいい事に違いないと自分に言い聞かせ、俺はマイカさんを背負ったまま岸を目指した。




