第34話 高崎荘
俺達の手配がどこまで回っているか分からなかったので、俺は慎重に八王子の荘内を偵察した。風花様の予測では、俺達の事を皐月様はすぐには須坂に報告はしないだろうとの事なのだが、それがどこまで的中しているのかはまったくわからない。ただそうであっても、周辺各荘には、逃げたなりそこないとして風花様の手配はかけるだろうと予想され、風花様が荘内に入るのは大変危険なため、俺が単独で買い出しをして回った。とにかく、荘内にはそんなに留まれないので、水・食料・医薬品などを急いで買い集め、足早に八王子荘を出た。
「遅い鏡矢。お腹すいた!」例によって風花様は川っ縁の藪の中に隠れていたのだが、厚木で買った虫よけは効を奏している様だった。
買って来たパンをかじりながら二人で今後の事を話しあう。
「こっから須坂までは大きく二つルートがあるのよね。ここから西に行く中央道ルートとここから北にあがってから西に行く上信越道ルート。私が領主就任のあいさつで行った時は、上信越ルートだったわ。なんでも中央道ルートは、二百年前の富士の大噴火で甲府盆地が埋まってて、八王子出たら諏訪まで荘がないんだって当時聞いたよ。逆に上信越ルートは、大戦の被害も比較的少なくて高崎とか軽井沢とかはまだ健在でしょ。だから関東から須坂行く時はだいたいそっちみたいなんだけど、どっちにしよ」
「荘が無いって事は、逆に、発見されたり捕まる可能性も低いって事ですよね?」
「そりゃそうだけど……今度は下田からここまで見たいな訳にはいかないよ。山だし……熊いるかもしれないし……食料とかだって調達出来るかも分かんない」
「そうですね。それじゃ、多少のリスクは見込んで、上信越ルートで行きましょうか。ですが風花様。このまま須坂に行っても大丈夫なんでしょうか? 皐月様があんな感じで、宗主様とかもっとかたくなだったりしたら……」
「それは何とも……まあ出たとこ勝負ね。でもね鏡矢。私ちょっと勝算あるのよ。でもそれにはこの身体とあんたが必須かな? だから……ついて来て!」
「はあ。そういう事なら……分かりました」
正直、今の風花様がどんな勝算を持っているのかは分からない。でもこの人がそう言うのだから信じていいのだろう。食事を終えた俺達は、立ち上がって北を目指して歩き始めた。
八王子から北を目指し、一週間位で高崎に着いた。通常の旅程なら途中、熊谷荘を経由するそうだが、裏街道を行くものとしては、ちょっと回り道な事もあり、そのまま旧八高線の線路跡に沿って北上した。
そして……高崎荘に入る手前の大きな川にかかった橋のところで、警官隊と思われる人達が、検問を行っているのが山の上から見えた。
「ありゃ。こりゃ手が回ったかな? どうしようか鏡矢。そろそろ水も食料も心細いけど……」
「どのみち風花様は、荘には入りませんよね。俺が、夜陰に乗じて道でないところから入ってみますよ」
「ははは。なんとも頼もしいわ、お父さん!」
◇◇◇
高崎荘の前屋敷で、一条寺拓真は、高崎領主の千早と面会していた。
「この度は、お膝元をお騒がせして本当に申し訳ございません。ただ、あんななりそこないを逃がしてしまったのは町田の汚点であり、領主皐月も大変お恥ずかしいお話でありますが、こちらの荘にもお力添えを頂きたいと申しております」
「いいわよ。困った時はお互い様です。大丈夫。須坂に告げ口したりしないから。でもメス型の獣人とか変な実験してるわね……そんなの逃がしたんだ。私も現物、見てみたいかも」
「そんな。御領主様のお目を汚す必要はございません。メスと言っても所詮、子も孕めないなりそこないですから」
「そう? それにしても、風花が事故死して、そんな変なのこさえて逃亡騒ぎとか……皐月様も大変ね」
「痛みいります」そう言って千早の前を退出したのだが、拓真が高崎に来たのにはちゃんと理由があった。
もちろん、自分をあんな目に合わせた鏡矢に仕返しがしたいのだが、奴が須坂に向かうとしてどこを通るのかある程度予測した上で張らないと、取り逃してしまう。そうなると、あの風花を名乗るなりそこないが、万一本物の風花だとしたら、ここに寄るのではないかと考えたのだ。そうこの高崎領主、千早は風花と荘の領主同期生なのだ。皐月様からは、風花と千早が二人揃って、須坂の就任あいさつに向かったと聞いている。だからここに千早を頼ってくる確率は低くないだろうと考えた。
拓真は、町田荘から引き連れてきた警官隊に激を飛ばす。
「いいか。中学生位で深く帽子をかぶった奴は絶対見逃すな! それとこっちの写真が、佐々木鏡矢だ。いずれも発見したら無傷で拘束し、僕の所に連行しろ。これはご領主皐月様の直々の御命令だ!」
「はっ!!」
◇◇◇
深夜、橋を経由せず川幅の狭い所を泳いで渡った。まあ夏だから出来る芸当ではある。しかし、このところだんだん陽も短くなってきている様に思うし、ひぐらしも鳴きだしている。もう秋が近くまで来ているのだろう。雪が降る前に須坂に着けるよな?
そう考えながら、葦の穂陰に隠れて衣服を乾かしながら朝を待った。風花は山あいの岩陰に置いてきたのだが、ちゃんとじっと隠れているかちょっと心配だったりする。
やがて夜が明け、街中に素知らぬ顔をして入っていくと、丁度、出かける時間帯なのか、人々が足早にあちらこちらに移動していた。店はまだやってないかな……。
公園の様な場所があったのでそこのベンチで少し休んだ。高校生とかは今は夏休みだよな? だから俺、もう高校生じゃないけど別に怪しまれないよな? などと考えながらぼーっと過ごす。そして……ああ、ようやくドラッグストアの扉が開いた様だ。
必要なものを買って背負い、暗くなってからまた川岸に移動する。今度は、また川を泳いで向こう岸に渡るのだ。遠目には、橋での検問は続いている様だが、川の周辺をパトロールしたりはしていないみたいだ。しかし用心して葦の穂陰で深夜を待った。
買ったものを濡らさない様に慎重に川を渡って、風花様が待ってるはずの山間の岩陰に向かうが、途中でマイクロバスとすれ違った。今のって、もしかして警察車両か?
嫌な予感がして、懸命に風花様の元を目指したが……いない! 風花様がどこにもいない!? 声を張り上げては誰かに見つかるかも知れず、慌てて辺りを走りまわるが、影も形もない。
そんな……このまましばらくここで待つか? どこかちょっと離れた所へ水でも飲みに行ったのかもしれない……いや……あのさっきの車両。どうしてこんな真夜中にあんな山の方から……それじゃやっぱり風花様は……いい知れぬ不安と絶望感が俺にのしかかった。
もし風花様が捕らえられたとすると、今の俺一人で取り戻す事はまず不可能だ。どうする鏡矢。ここは俺一人でも須坂に駆け込んで、一刻も早く風花様の助命嘆願した方がいいのではないか? でも……間に合うのか……。
そこで朝まで待ったが、風花様は現れなかった。
そして俺の覚悟は決まっていた。
俺も風花様と一緒に死のう。志は遂げられなかったけど、俺達は夫婦であり親子だ。彼女と運命を共にするのになんの憚りもない。
俺はそのまま、ゆっくりと高崎めざして山を降りだした。
◇◇◇
「なんですって? なりそこないを捕らえたですって!?」
高崎の前屋敷で、拓真が千早領主に喰ってかかっている。
「ええ。私もまだ見てないんだけど……山狩りさせたら一発だったわよ。だいたいあなたも素人よね。あんなに目立つ検問してたら、私だったらかえって警戒するけどね。そしたら多分、男の子がここに夜陰に乗じて潜入して買い出ししてさ。そのなりそこないはどっかに隠れてるだろうなーって思って、この近辺で隠れやすそうなところを探させたら、ビンゴーってね。まあロコを舐めて貰っちゃ困るわ」
「そんな、別に舐めている訳では……ですが構いません。引き渡しをお願い致します。処分はこちらで行いますので」
「それはいいけど。あなたが御執心の男の子の方はいいの? なりそこない処分しちゃったらその男の子、もうここには近寄らないんじゃない?」
「何をおっしゃりたいのでしょうか?」
「いや私、釣りが趣味なのよ。利根川でアブラッパヤとかさ。あとビンドウでクチボソごそっと獲るのも好き。だからこのなりそこないをエサにしてさ」
「あっ。鏡矢を釣り出す!?」
「そうそう。だから早く、あなたの検問解きなさい。あんなのあったら魚がビンドウに入らないじゃないの」
「わかりました。それでは引き続き、ご協力をお願い致します。それと……そのなりそこないにはお会いにならないで下さい。いろいろ妄言を吐きますので無礼があっては、私が皐月様に申し開き出来ませんので」
「はいはい。分かったわ」
そう言って拓真を見送った千早が、側近に指示をだす。
「町田が言ってる男の子を拘束したら、まず私に報告しなさい。あの一条寺って奴に委ねてはダメよ……色々聞きたい事があるのよ。もしかしたら町田を出し抜くチャンスかもしれないから」
◇◇◇
風花様を見失い、もう自分一人で旅を続ける気力も無くなった俺は、そのまま警官隊に拘束されるつもりで、橋の近くまで来た。しかし……あれ、検問が解除されてる。やっぱり、風花様を捕らえた事で、警戒体制が解除されたんだな。そこで、風花様が捕らえられたという疑惑が、確信に変わった。
そのまま橋を渡り、高崎荘に入る。足早ではあったが既に一度街中は見ていたので、警察署の場所は分かっていた。そして俺は、そのまま警察署に入り、町田から逃亡してきた者ですと自首をした所、直ぐに他の個室部屋に移された。警官が言うには俺にはご領主様か直々の手配がかけられているとの事で、さもありなんと思った。
「あの……いっしょに町田から逃げてきた子はどうなりましたか?」
「ん? 誰だいそれ。そんなの聞いてないけど」俺を担当した警官は事もなげにそう言った。
「えっ!? 風花様は拘束されたんじゃないんですか?」
「うーん。何の事やら。まあ今、君の事も照会してるから、おとなしくここで待っててね」年輩の警官がそう言って、お茶を出してくれた。
そんな……風花様は捕まった訳じゃないのか? それじゃ俺……とんでもない勘違いをしたのか!? そう思ったら、背中からどっと冷や汗が噴出した。
「ああ……風花様。すいません……」
俺はその場で声を殺して泣いた。
◇◇◇
「そんな……一体どういう事ですか!? 鏡矢を射殺したぁ!?」
前屋敷の面会室で拓真が千早領主に噛みついている。
「ええ。昨日なりそこないを捕らえたあたりに潜伏してるかもと思って捜索させたら、ひょっこり現れましてね。まったく……釣りも仕掛けも何も出来なかったんですが……その場でかなり抵抗したので、警官隊が発砲したら当たっちゃって、谷底に落ちたそうです。今、遺体を捜索させていますが、あの高さで、下は急流の利根川ですから直ぐに見つかるかどうか。まあ発見次第、町田にお届けしますね」
「そんな……鏡矢……まだ全然遊び足りないよ……」
「それはお気の毒に。それでどうします? あのなりそこないだけでも先に連れて帰ります? 面倒ならこちらで処分しますけど」
「……連れて帰りたかったのは鏡矢の方です。あのなりそこないは、国の規定に従って処分していただければ……元より、皐月様からも生かして連れて来るなと言われてますし」
「分かりました。それではこちらで闇に葬ります。鏡矢さんの事、不手際で申し訳ございませんでした」そう言って千早領主は、拓真に深々と頭を下げた。
そして拓真が退出したのを見届けて、千早領主がこぼした。
「あの拓真さんって人。なんか病んでるっぽいけど……ほんとに素人ね。あんなの重用してる領主も程度が知れるわ。でも、さあて。何が出てくるのかなー。ま、詰まんない話だったら、ほんとに遺体で帰って貰うだけなんだけど」
「さすがは千早様。高崎程の大きな荘をまとめられるだけあって、嗅覚だけは鋭いですね」そばの側近の女官がそれを聞いてそう漏らした。
「ふふ。それは誉め言葉と受け取っておくよ。それじゃ、その少年。連れて来て!」




