第33話 逃避行
「タチバナ……貴様……」皐月様がものすごい形相で、後ろ手に縛られた私を見下ろしていらっしゃる。風花様と鏡矢様はうまく逃げおおせたのだろうかとも思うが、まあ、この御領主様の顔色を見るにまだ捕まってはいない事がありありと判る。
「皐月様。私から申し上げる事は何もございません。どうかご存分に処分下さいます様、お願い申し上げます。私ももうこんな歳でごさいますから、須坂には老衰とでも何とでも、皐月様に都合の良い理由でご説明いただいて構いません」
「クソッ。それが簡単ではない事を見越して私を揶揄っているんだろ。お前を縊り殺したいのはやまやまだが、女官長の死亡ともなれば、検視の報告書も提出せねばならんし、そこで不正をして後で発覚したりすればそれこそ致命傷だ! だからお前は、本当に病死するまで地下牢に入ってもらう」
「それで結構でございます。それで御領主様。この件はどの様に須坂にご報告されるおつもりで?」
「お前に話す必要はないが……ええい、忌々しい。お前の考え通り、このまま報告すれば私の手落ちが須坂に知れてしまう。だがな……周辺の荘には、手違いで一体、メス型のなりそこないが逃亡したとの事で消去依頼を出した。だから風花は、どこぞの荘で処分されるか、どこにも逃げ込めず野山をさすらってボロボロに朽ち果てるだろうさ。それに一条寺拓真が、鏡矢を八つ裂きにすると息巻いている。幸い刺し傷は大した事はなかったので、数日すればやつらの探索に出向くだろう。だからお前は安心して風花の最後を地下牢で待て」
こうして、私はそのまま前屋敷の地下にある、薄暗い地下牢の一室に放り込まれた。
やれやれ。この新領主様はまだ風花様の怖さを分かっておられないわね。あの方は抜けている様で大層慎重で思慮深いお方だ。我欲で動く者達にそう易々と捕まるとは思えないのだけれど……これで風花様が須坂にたどり着いてしまったら、皐月様は何と申し開きをするおつもりなのか。でも、それは私の知った事ではありませんね。
はあっ……鏡矢様の裸体が眩しく目に焼き付いて、思い出しただけでドキドキ致します。幸い、ここには人目もございませんし、少し妄想して楽しんでもいいですよね。そう考えながら、タチバナは、薄汚れた寝台にゴロンと横になった。
◇◇◇
「拓真、大丈夫かな」俺が歩きながらポツリと言ったのを風花様が耳ざとく聞きつける。
「何、鏡矢。まだ彼に未練あったんだ。あの子、あんたを殺そうとしてたのに」
「いや、それは俺にも非が無いとは言えなくて、あいつとは幼い頃からずっといっしょで友達で……どこで間違っちゃったんだろ」
「友人の距離感。恋人の距離感。親子の距離感……人付き合いって難しいよね。まあ往々にして、自分がこれでいいやっていう距離感と相手のそれには相当差があったりする」
「そうかも知れませんね」
俺と風花様は町田荘を脱出して、八王子荘の方に向かっている。八王子までは、普通なら徒歩で半日位なのだが、多分、俺達には追手がかかっており、旧横浜線の線路跡をヘロヘロ歩いていたら絶対捕まるので、周囲に気を付けながら道なき道を慎重に進んでいる。そしてかなり山深いところで陽が暮れはじめたので、夜を明かす場所を探した。
「人の気配もなさそうですが、安全に夜明かしできそうな場所もないですねー。ここってどこいら辺なんでしょうか?」
「唐木田あたりじゃない? 昔は結構栄えていたらしいけど……ほんと見る影もないわね。でも、こないだの箱根の事もあるし、はぐれとかには要注意ね」
「わかりました。それじゃ、あの崩れたビルみたいな奴の陰のところどうです? ちょっと高台で、あまり周囲から見られない」
「そうね。それじゃ慎重に行きましょう。私達が良さそうだと思うところは他の奴もいいと思うかも知れないから」
「はは。そうですね」
周りに灯りはなく星と月だけの照明だが、なんとなく風花様の顔は分かる。どうやらあたりには本当に人の気配はない様で、風花様にはわかるらしい。
「箱根の時ももう少し神経研ぎ澄ましてたら、あいつらの気配分かったんじゃないかしら。あの時、まだ私、この身体に慣れていなかったから……」そうは言うが、それはそんなに昔の話ではないですよ。でも風花様の獣人能力は、厚木を出たあたりからどんどん鋭くなってる様に俺も思う。
腹は減ったが、水は途中に川があったので、腹を壊さない様、極力少量を舐めた。そして頭上の月を眺めながら二人で肩を寄せ合いながら、風花様は町田荘での皐月様との会話の内容を俺に教えてくれた。
「それって……皐月様は最初から領主の座を狙ってたという事ですよね?」
「そうね。多分、私の下で土木課長やってた時から、いろいろ須坂に接触してたんじゃない? だから私がいなくなったあと速やかに領主になれたし、その後も私が邪魔だった……」
「信じられないなー。公募の面接のとき、あんなに優しそうだったのに。それにほんとに俺の事気に入ってくれてたんだ……」
「でもどう? 本性見えたあいつと交わって……幸せ?」
「いえ……あれは性行為ではありますが、俺の望んだものとはちょっと違いました。俺が望むのは、やっぱ以前風花様と毎日イチャイチャしていた時見たいに、お互いを好きあって、心がつながっていてなおかつ身体もつながるみたいな感じが幸せでよかったです」
「……わたしも……」
あっ、しまった! 今さら風花様にそんな事思い出させても、今の俺は彼女の身体を受け入れてあげられないんだった!
「あ、あの風花様。話変わりますが教えて下さい。なりそこないって何なんですか?」
「ああ。あんたは知らない方が……まあ、そうもいかないか。いいわ教える。鏡矢さー。今の町田荘の人口何人か知ってる?」
「えっ? 最新のは分からないですけど、確か中学の時、五万人位って習った様な……」
「そうね、正解。今も大体そんな感じ。それ以上減っちゃうと、色々と社会活動に支障出るからね。そんじゃそのうち女は?」
「確か……三百人位?」
「うーん。今はもう二百かつかつ位かな。でもまあいい感じで覚えていたね。それで鏡矢さ。その数字って何か違和感感じない?」
「違和感ですか? うーん。特には……」
「ほんと? でもまあ、今の教育受けてた連中なら気にならないのか。いや気にさせない?」
「何なんですか。じらさないで教えて下さいよ」
「さっきの話だと五万人ってほとんど男だよね? その男達ってどっから来たのって思わない?」
「……あっ! 二百人の女性がどんなに頑張ってもそんなに人口維持出来ない?」
「正解! ましてやパレスは女子産むのにみんな必死だしねー。まあ公募頑張って男が生まれちゃったら里子に出すけどさー。それでも二百人じゃ男だってそんなに産めないでしょ。それに荘がお取り潰しになっても女は他に統合されるけど、男は棄民になるって前に教えなかったっけ」
「ええ。それじゃ風花様。その五万の男っていったい……」
「作るのよ。工場で……」
「なんですって!?」あまりの衝撃に俺は声がうわずった。
「なにせ農業するにもモノ作るにも輸送するにも人手自体は必要だからね。五万人っていうのは一コミュニティーとして単独機能出来るギリギリの最小単位みたいなものでね。それを維持するのも領主の使命な訳。それで人工授精やらなんやらで、一生懸命男も作る。荘の部品としてね」
「そ、そんな……でもそれって、イブ・メイカーに負けず劣らず非人道的なんじゃ?」
「そうだね。でもそれが今のこの世界の真実だよ。そんで男の人口を各荘がかなり厳密に管理しているから、いきなり統廃合とかすると、食料供給含め、いろいろ予定が狂ってかえってパニックになるから、それで棄民」
「あ……ああっ……それじゃ俺も?」俺は、なんか目の前がクラクラして来た。
「ああ、鏡矢が自分の出自に悩まなくていいからね。男全部そうだから。そしてさっき、人工授精やらなんやらって言った、なんやらの部分なんだけど、これがまたクローンとか遺伝子操作とかも噛んでて色々実験もしててね。タマに出来ちゃうのよ。人間じゃないやつ」
「あっ! それがなりそこない!?」
「そう。だから荘のトップクラスにとってそれは珍しい事でも何でもなくて、国の決めた規則に沿って淡々と処理するだけなんだけどね……はは、言ってて私もなんか気分悪くなってきたわ。鏡矢にもちょっと重い話だったよね?」
いや、重いなんてもんじゃないぞ。イブ・メイカーも相当ひどいシステムだけど、その男を増やす仕組みも負けず劣らず最悪じゃないのか? 男女の愛情の交わりがあんなに暖かくて心地よいものだという事を俺は風花様に教えてもらって、二人でお互いに愛しあって子までなした。だが、ほとんどの男はそうでなくてこの世に生を受け、そのまま社会の部品として一生を終える? 人類はどこで間違えたんだ!?
げんなりしてしゃべらなくなってしまった俺の肩を抱き寄せ、風花様が言った。
「だからね鏡矢。もうこんな世界終わらせないとさ。そのために私は、途中経過には眼をつぶる覚悟を決めたの。イブ・メイカーを稼働運用させて、まずは世界の男女比をイーブンに戻す。倫理とか道徳とか愛とかぬくもりはそれからでいいと思ってる。しんどい現実なんだけど、力を貸して!」
そうか。そうかもしれない。俺が体験した、愛し合って交わって子孫をつないで行くという人として当たり前だった事が他の人達にも分かち合える世界に、一番近いところにいるのが俺と風花様なのかも知れないな。だとするとくよくよしてはいられないし、現実に目を背ける事も出来ない。今が良くないから良くしていくんだ……なんだ。単純な事じゃないか! そう考えはしたものの、どこか納得いかない自分も確かにいて、不安も抱いたまま、俺はそのまま眼を閉じた。




