第20話 禁断のリンゴ
「ポイント735での海水温度の上昇を確認。これは……リアクターでしょうか?」
東京湾浦賀水道沖合。水深350m地点。C国の小型原潜が、いつもの隠密偵察中の事だった。大戦後、兵器を装備した艦艇の配備は全世界的に禁止となっていたが、移動や資源探査・海洋気象観測などでの利用までは制限されておらず、各国は少ない懐具合と相談しながら、いずれ訪れるかもしれない争いの日に備え、こうした艦船を大事に運用していた。
そして、その潜水艦が、孝由が稼働させたガーデンの核融合炉による排熱をキャッチしたのだ。
「ですがこんな場所で? 海底火山とかではないのですか。日本国はこの座標での、そうしたプロジェクトを公表しておりませんが」
「いや、この温度分布はリアクターから排出される冷却水の動態パターンに一致する。軍事目的なのかは分からんが……もう少し近づいてデータを取った方がいいだろう。だが東京湾内には入るなよ。『置き忘れ』を踏んではかなわん」
「了解」
置き忘れというのは、大戦後、回収されないまま残っている機雷やトラップ魚雷の事だ。
そしてC国原潜がやや浮上気味に、北に向かって進路を取った時の事だった。
「ピンガー!!」音響レーダー士官が怒鳴った。
「何? 『置き忘れ』か!? いかん。両側全進。急速潜航!! デコイ発・・」
艦長がそう言い終わる前に、高速魚雷が潜水艦に命中し、C国潜水艦は一瞬で海の藻屑になった。
「目標撃沈。生存者はいません」
「よろしい。本件は、C国潜水艦が誤って、大戦時のブービートラップの置き忘れに引っかかった事故として至急公表し、哀悼の意を示せ。何、あちらさんも潜水艦の手持ちはそうそうない。真偽を調べる事すら出来まい」
旧東京都、第三台場地下深くにある、東京湾守備隊の本部では、須坂荘からの指示で東京湾一帯の艦船の動きが厳しく監視されだしていた。そしてその動きは逐一、須坂荘に送られており、指示があれば今の様に強制排除する。年代ものとはいえ、日本の誇るスーパーキャビテーション魚雷はまだまだ現役だ。
それにしてもあそこには何があるんだ? 他国の艦船を一切近づけるなとの事だが……基地司令は、そうは思ったものの、深入りは自分の身を滅ぼす事をよく理解していた。
◇◇◇
「それじゃ、そのアップルシステムっていうのが不安材料なんですか?」
孝由さんが、イブ・メイカーの本稼働を少し先延ばしにしたいと言って来たので、理由を聞いたらそのシステムがまだ未知数との事だったのだが、一体どんなシステムなのか。
「イブ・メイカーは人体は生成するんだが、人格とか意識とか記憶は生成出来ない。それで、人間のそうした部分のデータを、イブ・メイカーで生成した身体に移植するのがアップルシステムだ。ほら、エデンの園でアダムとイブは知恵の実であるリンゴを食べて、人間として目覚めたって……そこから取ったんだと思うけど。これの研究というかシステム自体がよく分からなくてね。一応それらしいプロトタイプは完成しているんだが、いきなり本番で使用するのもはばかられるんだ」
【アップルは、元々イブ・メイカーとは全く関係なく、外宇宙への移民に使用する為に研究されていたものですが、イブ・メイカーで生成された人体にちゃんと人格を与えるのがせめてもの贖罪だという意見が出て、かなり遅れて国連がガーデンプロジェクトに取り入れたため、進捗がイブ・メイカー本体よりよくありませんでした】
「そうなんだ。でも外宇宙移民で、なんでそんな事を?」
「鏡矢君。長い年月をかけて外宇宙に人類が行く際、人類が生きて継代しながら行こうというのがここのビオトープなんだけど、別の案で、DNAや人格データだけ持って行って、他所の星で、身体を再生して戻したらいいんじゃないかという案もあったんだ。その時に使用するのが万能細胞からの人体構築技術であるイブ・メイカーと、その身体に人格をリロードするアップルシステム。そう言う意味ではこのガーデンは外宇宙移民の為の技術の集大成なんだ。もっとも、ここでは女性しか作らないけど、ちゃんとやれば男も作れるはずだが、まあ今のところニーズはないかな」孝由さんがそう説明した。
「でも、確かに記憶や人格が戻らないんじゃ、風花様にはならないし……そのプロトタイプってのを試してみますか?」
「うーん。さすがにこれは、君でも手を加えるのは難しいと思うので……そのまま一発勝負で試すしかないんだ。それに、たぶん倫理的な意味での制限とは思うんだけど、記録した人格・記憶データは一度しか使用出来ない様になっている」
「うわ、リスクがデカイな。でも手を加えられないなら、先延ばしにしても結果は変わらないですよね?」
「そうだな。今の君の言葉で腹が決まった。やってみよう」
こうして俺と孝由さんは、イブ・メイカーでの風花様再生をスタートさせる事にした。
◇◇◇
「これがイブ・メイカー……」居住区から地下最下層の10階に降りたのは初めてだ。この部屋はバイオセーフティレベルが4に設定されていて、用もないのにウロウロしたりは出来ないのだ。外から入って来た人間がいらぬウイルスなどを持ち込んで、万能細胞などに核酸レベルで混ざったりしたらえらい事でもある。そこには大きなタンクがいくつも並んていて、俺がイメージしていた大きな3Dプリンタのイメージとはかなり様子が違った。
完全密閉の防護服を着用し滅菌・洗浄を終えた俺と孝由さんがメインコンソールの前に立った。
「いよいよですね?」俺の声に孝由さんがうなずく。
「ああ。アップルも朝の自己診断テストでは問題がなかった。万能細胞も問題なしだ。ここへ来てほぼ半年か……長かったね」
「いや……感傷は成功してからにしましょうよ」
「そうだな……それじゃ、スタートするよ」
孝由さんが軽く深呼吸をしてから、手元のレバーを右に回した。
【イブ・メイカー。人体構築工程をスタートします】ガイとは違うAI音声だ。
グゥオロロンと音と振動があり、各所のモーター類が動き出したのが分かった。
「動き出しましたね。これってどのくらいかかるんですか?」
「計算では一ヵ月くらいかかる」
「でも……一ヵ月で人体が再生できちゃうんですね。すごいや」
「進捗はあっちのモニタで確認出来る。とは言えタンクの中は覗けないけどね」
そういいながら孝由さんがモニタに近寄ったので、俺もそれについて行く。
「あれっ?」モニタの前で急に孝由さんの足が止まった。
「どうかしましたか? 孝由さん」
「いや、鏡矢君。これ……ターゲットの生成データが……ケモミミじゃないか?」
「えっ!? そんな……」俺も慌ててモニタを確認するが、確かにケモミミだ。俺が苦心して作成した風花様モデルじゃない!!
「あー、どうしてこんな事に。昨日の晩、最終確認して……あー、もしかしてバックアップしようとして、ファイル名間違えてコピーしちゃったのか!?」
動揺する俺をなだめる様に孝由さんが言った。
「ああ、まずは落ち着こう鏡矢君。最終確認しなかった僕も悪かったよ。それにしてもこれじゃまずい。工程を中止しよう。大丈夫だよ。万能細胞はかなり余裕持って作ってあるから」そう言って、孝由さんがメインコンソールに向かった。
【工程の中止は非推奨です。プラントの復旧・初期化に時間がかかりますし、システムにかかる負荷部分での故障リスクも増大します。このままターゲットを射出した方が、安全かつ効率的です】
「そんな……だが、風花の人格データをこのケモミミちゃんに載せる訳には……」
【アップルシステムは別工程ですので、今から切り離しても問題は発生しません】
「そうか……鏡矢君。仕方がない。この子の生成が終わってから風花の生成をやり直そう」
「ですがこの子の人格は?」
「……少し頭を冷やして考えよう。出てくるまでまだひと月あるしね」
孝由さんは、肩を落として力なくそう言った。




