5. それ以外の者たち
少女の小さな唇が言葉を発した時、空里は違和感の正体に気づいた。姿形は子供のそれだが、なぜかとても歳をとっているように感じられるのだ。
案内人の男性が空里たちに椅子をすすめ、もう一人の女性が三人にホウティーのカップを配った。ホウティーはふつうに良い香りのするお茶、ではなかった。
それはどう見ても粉だった。粉末タイプのお茶にお湯を入れ忘れたような……しかし、その粉からは湯気が立ち上っており、キラキラと不思議な光を放っている。カップを揺すってみると、中身がまるで液体のようにゆらめいた。
空里はティプトリーと目を合わせ、お互いどうしたものかという表情を浮かべた。シェンガは疑わしげな目でじっとカップの中身を見つめている。
とりあえず香りは悪くないので、一口だけすすってみようか。
と、カップを口元に運んだその時、輝く粉は自らの意志があるように、空里の唇と鼻腔へと立ち上り、その奥へと入っていった。
「!」
一瞬、焦りに襲われたが、次に訪れた感覚にすぐ落ち着きは取り戻せた。まるで、全身の毛穴から身体中の毒が吐き出されたような……眠っていた心の奥が覚醒したような不思議な感覚。
「ああ……」
思わず声を出してしまったことで、シェンガが心配そうに聞いた。
「大丈夫か?」
「え? ええ……なんともないの。むしろ、すごく気分が良くなったみたい……」
「すごいわね。身体の疲れも失せたみたいよ」
見ると、ティプトリーの口元にもすでに光る粉が舞っていた。
「お口にあったようで、何より」
少女が歳に似合わぬ落ち着いた口調で言った。
「ここへ来るまで、いろいろ大変だったことでしょう。まずはホウティーでゆっくり身体を癒して。それから少しお話ししましょう」
とりあえず、この惑星に着いてから空里が受けた最もうれしい待遇だ。しかし甘んじてそれを受けるには、あまりにわかっていないことが多すぎた。また、あまりのんびりとはしていられない身の上であることも思い出された。
「あ、ありがとう。ところで……」
さて、わかっていないことを何から片付けたらよいだろう……
「ここは、どこなのかしら?」
「サロウ城市の最下層区にある、帝国軍の保安ステーション」
ようやくホウティーのカップに口を近づけていたシェンガが、ぶっと粉を吹いて叫んだ。
「じゃあ、お前たちは!」
「軍の者ではありません。言ってみれば、間借り人みたいなものかしら」
仕切り壁の外を振り返った空里とシェンガは、部屋の様子がさっきとまったく違っているのを見た。
軍服姿の人間たちが、デスクや機械の間を忙しく立ち回っている。宙空に浮かんだ立体映像は、リパルシング・デッキに乗った空里たちの姿だった。どうやら自分たちの捜索をおこなっている、帝国軍のオフィスらしい。
だが、空里が二、三度まばたきをしただけで、外はがらんとした元の部屋に戻っていた。
「あんたたちは……それ以外の者なのか?」
シェンガが聞いた。
「それ以外の者、見えない者、はじめからいない者たち……いろいろな名前で呼ばれているようですね。どう呼ばれても深い意味はありません。呼ばれること自体にも意味がありません。だからどう呼んでもかまいませんよ」
空里には何がなんだかさっぱり分からなかった。
「どういうことなの?」
答えるシェンガの声には、どこか怖れのようなものが感じられた。
「こいつら……この人たちはな、俺たちの宇宙とは別のところにいるんだよ。いや、今は俺たちもその別の宇宙に来ちまってるんだ。だから帝国軍の連中と同じところにいても、まったく危険がないんだ」
「異次元、みたいなところってこと?」
ティプトリーが自分なりの理解を口にした。
「少し違うな」
答えたのは、案内人の男だった。
「言ってみれば、より星百合の近くというところだ。我々は君たちよりほんの少しだけ、星百合に似ている生き物なんだよ」
「だから、恐れられてもいる。ナスーカ教徒たちは彼らを崇拝すると同時に敵視しているし、帝国はその存在すら認めていない。科学者は〈時空人〉とか〈時空生命体〉という名前で呼んでるけど、どうやら実在するようだということ以上のことは何も知らない……」
シェンガの補足は、その中身のようにあまりにつかみどころがなかった。
「まるで、幽霊ね」
ティプトリーの感想は的を得ているように思えた。
「さて、エンドウ・アサトさん」
少女に呼ばれて、空里は恐ろしく久しぶりに自分のフルネームを聞いた気がした。
「やがて銀河皇帝となる貴女にお会いできて、とてもうれしい。もし必要なら、私のことはサーレオと呼んでください」
「ずいぶん、久しぶりにその名前を聞いたな」
案内人の男が微笑みながら言った。
「そうね、ハル・レガ。名前の要らない世界にすっかり慣れてしまったものね」
サーレオが笑うと、ホウティーをいれてくれた女性も笑いながら言った。
「自分の名前なんか、すっかり忘れてしまったわ」
「私は覚えてるわよ、トワ」
空里は三人の顔を見ながら、なんとか名前を覚えた。
「サーレオ……ハル・レガ……トワ……さんね。どうぞよろしく。助けていただいて、感謝してます」
「どういたしまして。すべては、星百合が望んだことですから」
「じゃあ……あんたたちが星百合の声を聞くってのは、本当だったのか」
シェンガが言った。
「声を聞くというのはかなり大雑把な例えだけど、意味としてはその通りですね」
「星百合というのは、知的生命体なの?」
ティプトリーの問いにサーレオは細い首をかしげた。
「知的という言葉をどう捉えてらっしゃるかしら? 言葉を使っておしゃべりができるというような意味だったら、星百合は違います」
空里は星百合の正体よりも、その動機に関心が向いた。
「星百合がそう望んだというのは、一体なぜ?」
「ひとつは貴女に銀河皇帝となってもらいたいから。それから、あなた方が持っているものを引き渡して欲しいから、です」
「持っているもの?」
サーレオは蝋細工のように華奢な指で、シェンガを指した。
「そう、それはミン・ガンの戦士が持っているものです」
シェンガは耳をピンと立て、ベストのポケットをしっかとおさえた。
「これか! ダメだ。これは俺たちミン・ガンのものだ。渡すわけにはいかねえよ!」
「もう、返してもらいました」
トワの頭にいただいた触手が小さな石を取り出し、彼女の手に渡した。それは間違いなく、シェンガが後生大事に持っているはずの星百合の種だった。
「どうやって……」
いつものシェンガだったら、果敢に飛び掛かって奪い返していただろう。だが、その超然とした手品のような手管に、ミン・ガンの戦士も呆然と立ち尽くすだけだった。
彼ら──それ以外の者たちとこの空間は、あまりに自分たちと次元が違う。ひょっとしたら情報賊やナスーカ教徒たちより遥かに恐るべき者たちなのでは。
空里は漠然とした不安に背中を撫でられている気がした。
「頼む。それを返してくれ。それが無ければ、何のために宇宙を渡って戦い続けてきたのかわからん。他のことなら、何でもいう事を聞く。だから……」
シェンガの懇願にも、サーレオたちは黙って薄い微笑みを浮かべるだけだった。
サーレオたちと星百合の間に特別な関係があるのはわかる。しかし、これはであまりにシェンガが気の毒だ。空里はこらえきれずに口を開いた。
「私からもお願い、します。シェンガに返してあげてください」
相手にされまいと思ったが、意外なことにサーレオの表情から微笑が消えた。
「貴女は、それを望むのですか?」
「え? ええ」
「では、仕方ありませんね……トワ?」
トワも微笑を引っ込め、星百合の種を掌に包むと、そこにふっとひとつ息を吹きかけた。開いた掌は空だった。
「あっ!」
改めてベストのポケットをさぐったシェンガは、その中から返ってきた彼の宝を取り出した。
「やった! よかった……」
「アサトの言うことなら聞いてくれるのね」
ティプトリーの言葉にサーレオが応えた。
「彼女を……アサトを銀河皇帝にするために、彼女自身が望むことなら、私たちはそれをかなえます」
「私が皇帝になることと、この種と何か関係があるの?」
「貴女が銀河皇帝になるためには、まだ戦いが続きます。星百合の種はそのための力になるでしょう。はじめ、私たちはその種を本来の場所に戻すつもりでしたが、あなたが望むのならあなたの側に置いておくことにします」
「私が皇帝になるために望むこと……」
星百合の種がどう力になるのか。サーレオたちはなぜ自分が皇帝になることを望むのか。見当もつかなかったが、空里は今頼るべきはその言葉だけなのだと思った。
「これはチャンスよ、アサト。この惑星から脱出するために力を貸してもらうのよ」
ティプトリーの提案にシェンガも賛同した。
「そうかもな。船と、クルーを手配してもらえるか頼んでみないか?」
「そうね……」
空里もこの今一つ底意の知れぬ不思議な救い主たちに頼る気になりかけた。
だが、彼女の望みはシェンガたちとは別のところにあった。
空里はサーレオに向き直った。
「お願いを、聞いてもらえませんか?」
「宇宙船が欲しいのですか?」
空里はかぶりを振った。
「その前に、ネープを助けに行きたいの」




