アイリス
「目標まであと約百メートル、ジャミングフィールドからファイアオールの中に一歩踏み込んだところで止まってるみたいだね」
車を運転しながらのジオに、ここら一帯を飛ぶドローンから得られた情報をジオに伝える。
ジオはブレーキを踏むと、車を止めた。
「どんなアンドロイドなのか見当もつかないからな。この車は置いてくぞ」
「私がいるのに?」
言えば、ジオは「確かにな」と笑ってくれた。
「盾で、抑止力だったか? ついでに探査もしてくれるから多機能すぎるな」
「敵にとって多機能な武器ほど破壊したいものだけど、私に関しては例外だからね」
ジオを頷かせるのは簡単だった。まず、フィクナーにとって私は絶対に生きて取り返すべき相手なのだ。仮に近くに来ているアンドロイドがジオでも対処できないような高機能モデルだとしても、私が近くにいる以上、マシンガンをばらまいたり爆発物を投下したりはできない。
流れ弾で死なれたら、フィクナーの求める永遠は失われてしまう。そういう意味で、私はジオにとって盾として使え、いることで武力行使に出られない抑止力となる。
ついでにネオコムから探査すれば、私を連れて行かない理由はなくなった。
とはいえ、どんなアンドロイドがなぜここに居るのか分からない。ジオは車を降りると、砂塵の舞う荒野で私に指示を出す。
「いいか、俺の後方に居ることを意識しろ。二メートル間隔だ。万が一前に出る場合は、逆に俺が下がってお前を抱き上げてからだ」
「うん、この手のことは全部ジオの判断に任せるよ」
「なら、念のためコイツも持っておけ」
差し出されたのは、先ほどのハンドガンだった。思わず動揺してしまう。
「撃ち方なんかわからないよ」
そう困る私へ、「狙うのは」と教えようとしたジオは首を振ると、持ってるだけでいいと話した。
「抑止力の強化だ。お前がハンドガンを手にしていれば、相手としては視界から除くことができなくなる。撃たれるかもしれないし、自殺されるかもしれないからな」
「そういう、意味なら……」
震える手でハンドガンを手にする。ジオは軽いと言っていたけど、私はずっしりとする重みに緊張を覚えた。
これが、かつて人が人を殺すために作った武器だ。つまりこの重さは、
「命の重さ……」
「それが分かっている、今は十分だ」
「伝わったの?」
「何年銃を手にしてきたと思ってる」
そしてどれだけ、銃でアンドロイドの命を奪ったのか。当然、人の命すらも。
「変に構えたり、ましてや狙おうとするな。お前はそれを持ってるだけでいい」
「え、えーと、じゃあネオコムの操作は片手でするとして、どうしてもおざなりになっちゃうから、今の内にやっておいてほしい事とかある?」
ジオは少し考えると、「ズームはできるか」と聞いた。
「左目だけアンドロイドにロックして、様子を確認したい」
「それくらいなら今すぐやるよ。距離が近づくにつれてズームも解除するようにしておく。でもしばらくは視界がメチャクチャになると思うけど……」
「ならズームする時は右目を閉じて、撃つときは左目を閉じる。片目はハンデだ」
さっきのスゴ技を見せられただけに、冗談に聞こえない。苦笑いしながら対象物としてアンドロイドを固定すると、ジオの後ろについて歩いていく。
日が暮れつつある荒野の先をネオコムでスキャンしながら、同時にジオの見てる視界にも目をやる。
だんだん見えてきた対象物は、荒野に顔から突っ伏しているようだ。
「えっと、頭部や背中にセンサーの類なし。遠隔操作で何かを操ってる様子もない。今のところ分かるのは、ただ倒れているだけとしか……」
唸ったジオは、「爆発物は?」と聞いてくる。
「あのアンドロイドの体内を簡単にスキャンしたけど、周囲も含めてそういうのはないよ。体の中に武器を隠し持っていたりもしない。見える限りだと、私と同じくらいの歳の女の子が倒れてるだけとしか……ん?」
近づいてみて、外見は少女型だとわかった。見たらある程度分かるのだが、なぜ戦闘用でも、スキャン用でもないのか。
「ちょっと、ハンドガン持ってて」
ジオに渡すと、ネオコムで詳細なデータをスキャンする。すると、驚くべきことが発覚した。
「あのアンドロイド、フィクナーが普段入ってるモデルと同系統――いや、バージョンアップ型だよ」
「……まさか、中身は奴の分身か?」
「それはないよ。エリュシオンを支配したフィクナーが自分のコピーを生み出すとは思えない」
「じゃあなんで普段入ってるボディより高性能な体が、こんなところに転がってる」
フィクナーは電子上でAIとして作られ、後にシンギュラリティにより明確な自我を得た。
だからか、まだフィクナーには適するアンドロイドのボディがない。
フィクナーは今も自分に適するボディの製造に力を入れているだろう。
しかし、あそこに倒れているのは、少なくとも昨日まで使っていたボディより高性能だ。
そういった事をジオと確認し合うと、ジオはマグナムを構え、アンドロイドへ向けた。
「セラフィ、少しばかり無茶を頼むがやってくれるか」
ジオの頼みは、私に接近して詳しく調べる事だった。もちろん、妙な動きを見せたらジオが破壊する。
正直怖かったけど、ジオの腕なら信頼できる。それに、私もやれる事をやらねば、ついてきた意味がない。
頷くと、しっかりハンドガンを持ったまま行くように促され、私は一歩ずつ歩み寄る。
後ろから聞こえてくるジオの足音に安心するよう言い聞かせて近寄ると、ネオコムでスキャンする。
やはり、フィクナーの入っていたボディとよく似ている。各部の性能が上がっているので、間違いなくバージョンアップ型だ。
そんな時、
「うーーーー……」
アンドロイドが――少女が呻き声を上げた。私より高い声に驚いていると、突っ伏していた顔を上げた。
紫紺の瞳の少女は、続けて「ここ、どこですか……」と、弱弱しい声を出した。
「アンタの声の感じに、口ぶりって……」
聞き覚えがあるとか、フィクナーと似てるとか、そういうのではなく……
「自我があるの……アンタ……?」
「え? あ、はい。人並みにはあると思いますよ」
フィクナーは他のAIの自我を制御している。物言わぬ機械としているのだ。
だが、このアンドロイドは明らかに感情のある声を出した。
「……自我があるなら、私の質問に答えて。あなたはエリュ」
と、そこまで聞いたとき、少女は私の背後へと目を向けて「ヒィッ!」と後ずさった。
「なんですかその人! なんでそんな大きな銃向けてるんですか!!」
「黙ってろ。セラ……そこの女の質問にだけ答えろ」
「そ、そしたら撃ちませんよね……?」
「そこの女が決める」
聞いてないよと反論しようとして、私は考える。
もはや半泣きの少女には、明確な自我がある。その自我からは、意思を感じる。
怖くて泣いて、命乞いまで始めている。
かつてシンギュラリティを迎えた時には、このようなアンドロイドが沢山いたとデータで見た。
嬉しくて笑い、悲しくて泣く。初めからそういう風に設計された自我を持つアンドロイドが、「人間を超えた」とされた。
人間を排除し始めたのはフィクナーだ。
他のAIより優れたフィクナーは自らを作った研究機関の財力を頼りにエリュシオンを造り、世界中のアンドロイドの自我を統制した。
この少女は、そこから漏れたとでもいうのか? 仮にそうだとして、フィクナーになぜ見つからなかった? ここにもなぜ来た? なぜ来られた?
「……まず一つ聞くよ、アンタはどうやってここに来たの?」
ジオへの命乞いから私へと視線を移した少女は、「えっと……」と頭を押さえ始めた。
「んー、あれ、えっとですね……ごめんなさい、その、なんだか頭に靄がかかっているというか、なんと言いますか……思い出せなくて」
「誤魔化しているつもりか」
「違います!! ホントーに思い出せないんです!! けど、名前くらいなら覚えてますから!!」
「なら、アンタの名前は?」
「ア、アイリスと言います……」
私はまず、頭の中でアイリスという単語について考える。今まで過ごした日々の中で、「アイリス型」とか「アイリスチップ」とか、そういう名前はなかったか。
結果として、私の記憶にはなかった。次にネオコムで調べてみる。アイリスと入力し調べると、人名こそ出てくるが、特にこれといってエリュシオンとの繋がりが見出せる情報はなかった。
しかしながら、エリュシオンがその手の情報をシャットアウトしている可能性はある。他にも見逃しはあるだろうし、ここで私が調べるだけでは足りないだろう。
私はネオコムでアイリスの周りにジャミングをかけ、あらゆるネットから遮断した。これでエリュシオンに私たちの会話や位置が割れる事はない。
「いいよジオ、もうマグナム下げて」
「……確認するが、いいんだな」
「うん、この子には武器の類は何も隠されていないし、たぶん嘘もついていないから」
ジオがマグナムを下げると、アイリスと名乗った少女はホッと胸をなでおろし、安心からか膝から崩れ落ちていた。
私なんかより、よっぼと人間らしい。そう思えてしまうけど、スキャンする限りではアンドロイドであり、自我のあるAIなのだ。
「で、この娘をどうする」
「とりあえず連れ帰って、精密検査しなきゃ分からないよ。聞きたい事も山ほどあるし」
精密検査と聞いたアイリスは、「え?」と首を傾げた。
「私、どこか具合悪いんですか?」
「そういう問題じゃなくて、アンタの体の中に盗聴器とか仕込まれてないか調べるの」
「人間の体にそんなもの入りませんよ!!」
「……ちょっと待って、今、なんて言ったの?」
アイリスは、また首を傾げながら「入りませんよ」と言った。
「人間の体にそんな詳しいわけじゃないですけど、盗聴器なんてどこに入れるんですか。そういう手術とかあるんですか?」
「――ごめん、もう一個質問。アイリスは、その……人間なの?」
私の戸惑いを隠せない問いかけに、アイリスは当然の如く「はい」と応えた。
ジオも困惑している。嘘をついているようにも見えない。
「……とにかく、連れ帰って検査。その後、色々話す事あるから」
命の使い方を学ぶ途中で出会った、自らを人間と名乗るアンドロイドの少女との出会い。
私の答えに、そしてジオの納得にどう影響するのか。
アイリスを乗せてテンポラルヘルへと戻る中、私もジオも、黙ったままだった。