現実の世界
「ん……」
眩しくて目が覚めた。瞬時、飛び起きる。
まさか今までのことも電子空間での出来事だったと恐怖を覚えての行動だった。
だが周りは薄汚れた内装の部屋が広がっている。
眩しさは、窓から指す太陽の光だった。
思わず目を細める動作一つで、ここが現実なのだと安心させられる。
「よかった……」
昨日の出来事は虚構ではない。ゆっくりベッドから起き上がり、改めて周りを見回す。
博物館の資料室に無理やりベッドと机を運び入れただけの部屋だ。窓は開かずカーテンもなく、ベッドも穴だらけで、机は小汚い染みだらけ。
ここが、私がジオに命の使い方を探すよう言われてから与えられた部屋。
自分に今できることや命についてとか、人が生きる意味とか、とにかく色々と考えたり作業するための場所だ。
私が現実世界で初めて貰った、私だけの空間。
「ちょっと狭いし汚いけど……うん」
嬉しい。素直にそう思えた。こういう感情を知る事ができただけでも、ジオには感謝してもしきれない。
感謝の感情もまた、たぶん初めてのものだ。
私は初めてのものばかりの世界に来ることができた。ここに居ようと決めたのは、あれこれ考えて疲れて眠る過程の内、真っ先に決心したことだ。
早速ジオに伝えたい。まだ生きる意味とか、命の使い方とか、そういうのは一晩じゃとても考えられなかったし、仮に思いついても、その答えは安直すぎるだろう。
だから長い時間がいる。そのためにも私はここに居たい。いや、むしろこっちから居させてくださいとお願いしたいくらいだ。
とにかくジオに会いたい。生まれて初めて「激動の一日」というのを体感して疲れていたけど、そんな事より、現実世界での活動欲求が勝った。
早速扉を開けて廊下に出ると、足元になにやら衣服が積まれていた。その上に、一枚の紙がある。
手に取ってみると、綺麗な手書きの字で「お前のために見繕った服だ」と書かれていた。
「そういえば、昨日から着替えてなかったな」
フィクナーの元から奪還され、死んだはずの父親との予期せぬ再会を果たし、命の危機と死ぬ恐怖を感じた。
それから自分にやれることだとかを考えていたので、服に関しては思考が及ばなかった。
「普通の女の子は、もっと気を使うのかな」
なんて口にしながら、畳んで積まれている衣服をいくつか広げてみる。
簡素な動きやすそうなTシャツや、短パンやジーンズ。お洒落の基準はわからないけど、たぶんシンギュラリティ前の女の子は、データで見たショッピングモールとかに行って友達同士で流行の服とかを買うのだろう。
けど、私にはこれでいい。嬉しいからだ。
「また、初めて人から貰ったものが増えたな……」
笑顔を浮かべながら呟き、一週間分ほどの衣服を確認していると、その下に、ちょっとばかり顔が引きつる物があった。
「女物の下着……ジオが集めたのかな?」
これらも手に取ると、身を引いてしまう事になった。
「なんで下着のサイズ、全部私にピッタリなの……」
パンツもブラも、私のサイズにぴったりだ。そもそも人が着る服がまともに製造されていない現在、ジオが探したにせよ、こうもピッタリの物ばかりというのは、ちょっと……。
ジオへ嫌な感情を抱きそうになったとき、ポケットのネオコムが震えた。通話のようで取り出すと、「タイムレス」と表示されていた。私と同じようにエターナリウムを持つなら、この屋敷内のネットワーク内を伝ってきたのだろう。
私は昨日の事もあり出るか迷ったけど、鳴り止む気配はない。仕方なく出ると、ゼファーの「お、おはよう」という声が聞こえてきた。
「……おはよう」
ここに居ると決めた以上、ゼファーとの関りは避けられない。あまり角が立つのは避けたいので答えたけど、やはり陽気な返答とはいかなかった。
「で、なんか用なの」
刺のある言葉なのは百も承知だけど、これまでの事を考えれば話してあげているだけありがたいと思ってほしい。
ゼファーは返答が嬉しかったのか、いくらか声のトーンを上げると、「僕の用意した服は気に入った?」と聞いてきた。
「……え、これってアンタが用意したの?」
「う、うん。スリーサイズとか身長調べて、ピッタリなのをブラックマーケットで買ったんだ。可愛いのはなかったけど、どうかな」
「ちょっと待って、身長はともかく、なんで私のスリーサイズまで全部知ってるの?」
嫌悪感を抱き問うが、ゼファーは早口で得意げに「調べたんだ!」とまくし立て始めた。
「セラフィの体がエリュシオンの培養液の中に保存されてるのは知ってたけど、場所がわからないから内部の映像まではハッキングできなかったんだ。だから護衛用のアンドロイドの視覚データからセラフィに関する部分をいくつも切り取って、3Dモニター上に仮のセラフィを作り上げて――」
「待って! 培養液の中の私を見たの!?」
ゼファーはなぜ私が声を荒げたか分からない様子だ。けど、培養液の中を見たというのなら、
「裸を見たんでしょ!! 最低!!」
「えっ、いや、僕はセラフィを思って……」
「思ったからなに!? 年頃の女の子の裸を盗撮したんでしょ!!」
「で、でも、僕は父親だよ? 家族の間なら、それくらいは……」
「変態!!」
通話を切ってやった。フーフーと呼吸が荒れるのは、年頃の女の子なら当然怒るという事を痛感させてくれた。
これも一つの経験。そう捉えることはできるし、初めての事なのだが、
「生理的に無理って、こういう事なのかな」
あんまり知りたくない事も知ってしまい、微妙な感覚だ。
と、私がゼファーの用意した下着とにらめっこしていたら、またしてもネオコムが振動する。
取りたくなかったけど、短い振動だったのでテキストメッセージのようだ。
見ると、また言い訳が並んでいる。父親だとしても、死んだと思っていて十六年会っていなかった男は他人のようなものだ。
構うのは時間の無駄だし、さっきより増した嫌悪感しかない。
けど、私からの返信が来ないのを悟ってか「これだけは見てほしい」と書かれたファイルが送られてきた。
開くと、この屋敷のマップデータだった。広いので助かるが、だからといって許す気はない。
「……シャワー室教えてくれたのはありがたいけど」
この後ジオに会う時、昨日の汗ばんだままというわけにはいかない。それもまた、女の子として恥ずべき事だろう。
どうせ着なくてはならないので、適当に下着も含めて取ると、シャワー室へと向かった。
ジオに話す事と、私なりに今できることを考えながら、突貫作業で吊り下げたられた様子のカーテンをくぐり、脱衣所で服を脱ぐ。
「……ジオは、汗臭いの嫌いかな」
シャワーを浴びながら無意識に呟いていた。まさかこれが恋心という奴なのかと思ったけど、すぐに否定する。
単純に、今私が向き合える唯一の人だからだ。所謂、エチケットという奴だろう。
しっかり汗を流し、浴槽もあったがジオを探す時間を優先して脱衣所に出ると、カーテンの外から気配がする。
「起きてたか。呼びに来たんだが……」
「ッ! ちょっと待って!!」
「ん?」
「いいからそこで待ってて!!」
急いで体を拭いて、下着をつけてTシャツとジーンズを着ると、カーテンから飛び出た。
振り返ると、突貫作業故か、隙間だらけのカーテンが目に映る。
「見え、ちゃった……?」
たぶん私の顔は真っ赤だろう。エリュシオンの培養液で育った私の体は、お世辞にも女性らしいとは言えない。
まだ十六歳……いや、もう十六歳だ。これ以上の身体的な成長は期待できない。
なにより重要なのは今だ。私の貧相な体が、ジオに見えてしまったか否か。
ゼファーに見られた時は怒りと嫌悪感しか抱かなかったのに、ジオ相手だと羞恥心ばかりが心を埋め尽くす。
信頼の差だろうか。一種の憧れの対象へのプライドだろうか。それとも本当に恋心だったりするのだろうか。
しっちゃかめっちゃかになっている私に、ジオは頭をポリポリと掻きながら呆れた様子だ。
「俺は子供に興味はない」
「じゃなくて、その、見えたのか見えてないのか……」
これにもジオは呆れていた。
「小さいこと気にする奴だな……それよりとっとと行くぞ」
小さくないよと言おうとした私を知らず、ジオは廊下を歩きだす。火照った体を冷まして、真っ赤な顔を振り払いながら、平常心をどうにか取り戻してどこに行くのか聞く。
「エリュシオンとの作戦会議をするの? それともエターナリウムについて聞きたいとか? 私にできることならなんでも……」
「飯だよ」
「えっ」
「朝飯」
キョトンと首を傾げてしまった。探しているということは、私の何かを期待していると思っていたのだが、ジオは当たり前だろと言う。
「人間、朝起きたら飯を食う。じゃなきゃ、頭も体も動かないだろ」
くぅー、と私のお腹が情けない音を立てた。
「現実を生きてるんなら、当たり前だ」
「う、うん」
とはいえ恥ずかしく思いながら、私はジオについて行った。
マップにあった一部屋に、机と向かい合うよう椅子が二つある。
テーブルの上にはトーストと目玉焼き、それとサラダのセットが二人分用意されていた。
「簡単な料理で悪いな」
「ジオが作ったの?」
「他に作る奴いないしな」
なんて言いながら、ジオは腰かけるとトーストにバターを塗って食べ始めた。
私も向かいに座ると、ジャムがあったので縫って齧ってみる。
「普通のトーストとジャムだね」
「昔市販されてた奴と同じだからな。あれこれ出回ってるブラックマーケットで買った品だ」
「さっきも聞いたけど、ブラックマーケットってなんなの?」
衣服といい、こんな当たり前の食事といい、今の世の中では製造されていないはずだ。
だがジオは意外そうな顔で「知らないのか」と口にした。
「この街みたいに図太く生きてる人間の営みが作った、昔で言うところの宅配サービスみたいなものだ。エリュシオンから隠れながら生き残ってる人間の生活をサポートしてる」
値は張るがな、というジオの言葉に、私は驚きを隠せない。まず、まともな取引が成り立っていることだ。
てっきり人間は、一部の人々がエリュシオンの排除対象からなんとか逃れている程度だと思っていた。なのに、テンポラルヘルのような営みは他にもあるのだ。
それと、値が張るという言葉の意味だ。まだ人は、お金を求めている。物資を分け合うなら分かるが、口ぶりからしてお金で間違いない。
「えっと、使ってるのは電子マネー?」
「あまりネットを介すとフィクナーに見つかりやすいだろ。だから、昔作られた硬貨とか紙幣だ」
「信じられない……」
何のために人はお金を集めているというのだ。この世界はアンドロイドに乗っ取られたようなもので、人間は衰退する一方だというのに。
私の顔を見てか、ジオは食べる手が止まらぬうちに、ほのかに言った。
「諦めてないんだよ」
「え?」
「まだ人間は、シンギュラリティ前の社会を取り返すことを諦めていない。知らなかったなら、人間の諦めの悪さを覚えておけ」
また一つ、人について知った。ジオやゼファー以外の、エリュシオンと戦う人々の強さを。
きっと私の糧になる。ジオがエリュシオンを破壊すれば、諦めていない人々が人間社会を再建するのだから。
その時、エターナリウムを持つ私がどう生きるか。知る事がどんどん増えていく。考える事も比例して増えていく。
ジオに聞きたい事も沢山ある。
でも、こういうのは自分で考えなきゃいけない。じゃないと、意味がないだろうから。
本当の意味で知るということは、電子空間でもある程度は学んできたけど、現実はもっと厳しいようだ。
と、電子空間で学んだ事を思い出し、しばし黙考する。
私は十六年間、最新テクノロジーの教育を施されてきた。ここには、それを活用できる機材がある。
だから、私の願いを叶えてくれたジオへ、感謝と私なりの存在証明のため、渡したい物が浮かんだ。
言いかけて、いつの間にか食べ終えたジオは「よし」と気合を入れていた。
「走ってくる」
「え?」
「諦めの悪い奴ら代表として永遠を破壊する者とか呼ばれてるからな。体が鈍らないように続けている日課のトレーニングだ」
AIは知識をインストールして新しいアンドロイドのボディに移せばいい。
でも人間は、鍛えないと鈍ってしまう。けど、新たに作ることなく体を強化できる。
ジオは、やっぱり人間だ。フィクナーと同じ姓とか、エリュシオンとマグナムで戦っている超人だとか思ってたけど、しっかりした人間だ。
どこか安心してしまった。私を守ってくれる人もまた、私と変わらない人間であることに。
まだ形容しがたい、とんでもない人っていう印象は変わらないけど。
とにかく時間ができるなら、私もやるべき事をやろう。
「じゃあその間に、私はジオにプレゼントを用意しておくから」
「プレゼント? そんな物もらう歳じゃないぞ」
「私がゼファーより有能だって分からせるとっておきを考えついたの」
ゼファーの名を出したとき、ジオは少し顔を曇らせた。しかしすぐに頷き、「だったら」と指を二つ立てた。
「俺が帰ったら、まずはプレゼントを貰ってから俺なりの歓迎をする親睦会だ――その後は、ちょっと真面目な話だ」
親睦会をする意味はあるのか。聞くと、「重要な話をするのに、仲を深めておいて損はない」と返された。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
外へ走っていったジオを見送ると、私も「よし!」と気合を入れた。
ジオなりに色々考えて気を使ってくれているのなら、全力で答えなくては失礼というものだろう。
「えーと、そのためにはネオコムに保存してあるジオの顔面のデータを3Dスキャナーに読み込ませて……」
私は自分にできることへ取り掛かった。