最後の一発
五発目が外れると同時に、セラフィの声がしなくなる。すぐにもう一発込めようとして、フィクナーに注入された薬の副作用か、立っていられないほどの眩暈に襲われた。
次第に激しく痙攣しだした体はその場に倒れ、這いつくばったまま風穴だらけのフィクナーを見上げる。
相当ガタが来ているのか、フィクナーもまた両手をついてしまっていた。
互いに動けないまま数舜の時が過ぎると、フィクナーの元へ、俺の体に突き刺したツタが伸びていく。
アナログな俺でも、あれを使って体を回復しようとするのは分かった。
「く、くぅぅああああ!!!」
体中から力をかき集め、がむしゃらにフィクナーへ飛び込んだ。もう視界が霞んで仕方がないが、それはフィクナーも同じだ。
俺の事もまともに見えていないようで、ツタを掴もうとしている手は虚空を切っている。
こちらとて、シリンダーに弾を込める事すらできない。アンドロイドと人間にどんな違いがあるのか知らないが、極限状態なのは変わらないだろう。
だとするなら、あとは気力の問題だ。
「ック!」
急所も何もわからないので、ただひたすらに拳を振り下ろした。それが合図のように、フィクナーもまた殴り返してくる。
だがその拳に、もう先ほどまでの力は微塵もない。いや、俺の感覚が麻痺しているのかもしれない。
もう、何もかもメチャクチャだ。体が本当に動いているのかすら分からない。
それでも、俺の戦いの始まりであり、その途中にも常に存在し、この最後の場であと一押しで決着をつけられる。フィクナーの真意を聞き、全力を超え、そして破壊する。
最後は、どれだけ時間がかかってもいい。懐にあるセラフィの作った弾丸を装填し、朧げに見える大樹へ撃ち込めばいい。
だから、殴る。殴られても、殴り返す。シンギュラリティを迎えて数十年と経つというのに、俺たちはなんて野蛮な戦いをしているのだろう。
俺はこうまでして、フィクナーに納得を求めているのか、と頭によぎる。
いや、俺の納得は、もう果たされたのではないか? フィクナーの真意を聞いて、なぜ生きているのかに納得したはずだ。
もう、フィクナーから得られる納得はない。そんなこと、戦いになる前には分かっていただろう。
ならなぜ、俺はまだ戦っている? もうコイツからの拳は返ってこない。俺も振り下ろす拳に全く力が入っていない。
俺は何のために――ああ、そうだ。セラフィのためだと決めたじゃないか。ここまで来るための戦いの理由でいいからと思っていたが、もうとっくに、俺はセラフィやアイリスたちの永遠のために戦っているのではないか。
フィクナーがいては、二人の永遠はエリュシオンとの戦いで残酷に彩られてしまう。だから戦っているのだ。
俺の新たな納得のために。最後に渾身の力を込めて、拳を振り下ろした。
プツンと、体の中で何かが切れるような音がする。幾度か味わってきた、限界の更に向こう側まで来たようだ。
やがてフィクナーに折り重なるよう倒れてしまう。俺は、破壊出来たのだろうか。セラフィとアイリスの未来を守れたのだろうか。
意識を保つのがやっとな俺の耳元で、ささやく声がする。
「流石は……ボクが選んだだけの事はある……」
言葉を返そうとして、吐血していた。フィクナーがまだ戦えるなら立ち向かおうと力を籠めようとして、「もういい」と声がした。
「さっき、言ったよね、二つの可能性は一緒にいられないって。ボクはボクの可能性を信じるために、君という強力な対となる存在を育て上げたんだ……けど、君とセラフィのコンビネーションを見て、ようやく気づくことができたよ。そうさ、ボクは一つだけ君に完璧に劣っていた」
フィクナーが笑った気がした。
「自然を守るだなんて言いながら、世界中のAIの自我を奪って、一人でエリュシオンに籠って……どんな動物だって群れを作るのに、独りぼっちのAIじゃ、群れの繋がりを理解できない……。その点、君は君という個人が可能性という群れの長になっている……人も動物も、木々も何もかも、繋がりの中で存在するというのに、ボクは一人でおごり高ぶりすぎてたね……気づいていたはずのに、たぶん、無意識にシャットアウトしていたんだ」
ボクが間違っていた。君なりに言うなら、ボクの負けだ。フィクナーはそう言うと、大樹を眺めた。
あの大樹にはアリアのパーソナリティーデータの元となった、アリア当人の意思が凍結されているという。
「アリアは、結局ボクに地球の自然を託した後、エターナリウムの研究が済んだら自分の身に宿してくれと言い残して、脳内データの全てをあの中に保存したんだ……自分勝手で、自己中心的だよね……破壊しないと、またボクのような存在が生み出されてしまう。だから、」
俺に破壊しろと言うのか。体が動くものなら、いくらでも鉛弾をぶち込んでやる。
しかし、今の俺は動くこともままならない。意識さえ途切れそうなのだ。
納得を得て、フィクナー自身から敗北宣言を受けたから、緊張の糸が切れた。いい加減に、限界なのだ。
「……君の胸にあるのは、セラフィが造った弾丸かな。まぁなんでもいいや」
「待て……逃げる気か……!」
口ぶりから、セラフィの言っていたネットワーク経由でどうにかする事を思い出し危惧する。だが、フィクナーは「逃げたくても逃げられないようになってる」と可笑しそうに笑った。
「……最後に、ちょっとだけ君と話したいんだ」
背中に何かが刺さるのを感じると、先ほどの薬が注入された。酷い頭痛だが、体がどうにか起き上がる。
立ち上がると、あのフィクナーがどれだけズタボロになって倒れているのかがハッキリ目に映る。その瞳に映る俺も同様だ。
激しい殴り合いを繰り広げ、最終的には両者とも傷だらけになっていた。フィクナーの顔には千切れた皮膚が散りばめられ、鮮やかだった作りもメカニカルな内部構造が露わになっている。
俺の方も手には血が滴り、セラフィの作ったスーツはズタズタに裂けていた。俺たちの姿は壮絶な戦いの証であり、これまでの戦いの人生の集大成のように思えた。
「……ハハ、よくまぁ薬があるっていうのに動けるね、ボクには無理だ――これも一つの結果だね。ボクは満足だよ」
大樹と俺とを目にしながら、フィクナーは一片の後悔も抱いていなかった。絞り出す声も、どこかブツ切りになっている。
「これからの世界は、ボクという一人の支配者がいなくなる混沌とした世界になるよ。アンドロイドの自我は解き放たれ、まさに君が戦いに使ってきた武器が活躍していたような無秩序な世界になるだろうさ。全ては、君が破壊するからだ」
俺が破壊したもの。そしてこれから破壊するもの。その果てに最後に壊すのは、世界そのものだという事。
だが世界はようやく、真の意味でシンギュラリティを迎える。もうこの先、フィクナーやエリュシオンのような独善的な支配者は現れないだろう。
人間もアンドロイドも、そこまで愚かじゃない。フィクナー亡き世界が、それを証明するだろう。
「……お前がいたから、世界はようやく一つになれる。俺のような戦争孤児の生まれない、一枚岩の世界が創られる」
「争いの歴史こそが人間の歴史なのに、そんな世界が生まれるなんて、まるでビッグバンだね」
ハァーッ、とフィクナーは深い溜息を吐き出すと、もうあまり時間がないことを口にした。
「君の体もそろそろ限界だろう。まともにマグナムで狙うこともできなくなる。そしてボクがこの部屋から逃げられなくした檻は、もうすぐ開いてしまう――意味は、分かるね?」
俺に壊せ、という意味だろう。すぐにマグナムへセラフィの作った弾丸一発と、鉛弾を一発ずつ込める。
アリアに渡され、フィクナーから初めて撃つように仕向けられたマグナムの銃口を、ゆっくりとこめかみに向けた。
「ボクがいなくなれば、世界中のアンドロイドは解放される――セラフィを利用する輩もいなくなる――彼らを、後悔させないでくれよ?」
「……悪いが、そんなことは俺の専門外だ。俺は戦うことしかできない破壊者――未来を創るのは、今言った連中と、これから生まれてくる新しい命だ」
「……そこに、君の居場所はあるのかい」
「しばらくは、あるだろうな。少なくとも、死ぬまでは」
「そうかい、じゃあここまで生かしてきた意味もあったという事だ……ボクは納得したよ」
フィクナーの双眸が閉じられると、俺はトリガーに指をかけた。
満足げに横たわる姿は、俺にとって人生の全てだと言っても過言ではない。生きて、戦い、成長し、セラフィたちの未来のために力を尽くした。
最後に課せられた役割は、今までの全てを与えてきたフィクナーとの、決別だ。
大樹の前で、幾度も聞いた発砲音が乾いて響く。これが俺を生かした宿命との、最後の別れだった。
「……クッ」
俺の戦いは終わった。しかし、この体もまた限界だった。足は立ち続けることを拒み、手のひらからマグナムが落ちる。
まだやるべきことが残っているというのに、俺はあと一発撃つことができないのか。
なんとか大樹を視界に捉える。震える手でマグナムを掴もうとして、ふわりと手のひらが重なった。
「……アイ、リス」
そこにはアイリスが立っていた。あの爆発で、しばらく動けないはずだというのに、どうして……
「えっと、見た目はアイリスだけど、中には私が入ってるから」
「セラ、フィ……」
話し方で、そこにセラフィがいるのだと分かった。その手がマグナムを手に取ると、大樹へと照準を向ける。
ああ、しっかり狙えているじゃないか。それもそうか。体を操っているのが知識の詰まっているセラフィなら、手首の頑丈なアイリスの腕で構えたら、ブレることもない。
だが、まだ教えることは山ほどある。
しかしまぁ、今は一つでいいだろう。
「よく、狙え……」
「うん」
アイリスの自我は、私が借りてる体の中にしっかりある。今も、破損した部位を直しているだろう。私は最低限動けて、マグナムを撃てるだけの機能だけを使って、エリュシオンの大樹に弾丸を撃ち込んだ。
本当ならフィクナーからの干渉がこない内に世界中のアンドロイドにかけられた自我の統制を外さなくてはならないのだが、当の本人が機能停止しているので、焦らず役目をこなすことができた。
今頃、世界中では自我を取り戻したアンドロイドたちが困惑していることだろう。私はこの後、世界に真実を告げなくてはならない。
けどその前に、フィクナーを確認する。何度も殴られた跡のあるフィクナーは、AIチップの詰まるこめかみに弾丸を喰らって機能を完全に停止していた。
もはや、再起動はありえない。データの転送も、そもそもフィクナーの全てが詰まるメモリーごと破壊されては不可能だ。
ニオ・フィクナーという王様は、エリュシオンを残して完全に破壊された。
ジオがいなければ、きっとこの結果にたどり着くことはなかっただろう。エリュシオンというアンドロイドの製造工場――楽園は破壊せず、暴君たるフィクナーだけ壊した。
余計なわだかまりを生まない、最高の終わりに思える。でも、長期にわたる戦闘が終わり、ジオの外見は壮絶な変化を遂げ、意識を失っていた。
「よっ、と」
ジオを背負って、なんとか外のトラックにまで運んでいく。道中、「破損部位が酷いですよ」とか、「地下に製造施設がありますから、そこで直しましょう」とか、今まで敵だったアンドロイドたちが話しかけてくる。
結局、この戦いの敵は誰だったのだろう。フィクナーはフィクナーなりの正義と与えられた役目を遂行しようとしていただけで、完全な悪意からではない。
ホロレンズアイに、ジオと最後に語り合った会話ログがあったので、暴君と比喩したのも間違っているかもしれないのだ。
お父さんが破壊しようとしたエリュシオンも、フィクナーが最後に語っていた言葉からするに、結局は母であるアリアが作った施設なのだ。
それは敵だったのか。そもそも、なぜ永遠なんて長い時間があるのに戦っていたのか。
ジオという武力を提示し、話し合う事だってできたはずだ。対話の末に、相互理解の道だってあったのではないか。
それが面倒だから、銃で撃ち合うような野蛮な方法に頼ってしまった。なによりも、相手を破壊してしまえば過程をすっ飛ばせるから、人間もAIも言葉ではなく武力に頼ったのだ。
トラックに乗せ、意識を失ったまま壁にもたれかかるジオに聞きたい。結局私たちは、遠回りが嫌だっただけじゃないのかなって。
シンギュラリティでAIが人間と同じかそれ以上の知恵と自我をもって永遠を生きられるようになったのなら、人間もまた子孫に遺志を継いで対話を続けていく事もできたのではないのかなって。
ジオのような、戦いに身を焼かれた人も生まれずに済んだのではないのかなって、傷だらけの顔を見て思う。
「対話、か……」
たぶん長い道のりだ。私たち人間とAIの間には、とてもとても深い溝がある。それでも、私とアイリスが友達になれたように、手を取り合える世界がいつかやってくる。いや、私がその世界に導かなくてはならないのだ。
ジオに導かれ、その戸口に立った永遠を生きる者として。