人間の可能性とアンドロイドの可能性
防弾スーツは至る所が焼け焦げ、熱傷によって裂けた皮膚が露出している。内臓の一部が傷つき、吐血した血が黒いスーツを紅く染め上げていた。
満身創痍のジオは最深部への扉を抜けてすぐ、片膝をついてしまう。血のこびり付いた歯を食いしばって立ち上がろうとするけど、息を切らせて、体が言うことを聞かない。
両手をついて今にも倒れてしまいそうなジオへ、私は励ましの一つもかけられない。常人ならとっくに動けない傷を負ってまで前へと進もうとするジオに、安全な電子空間にいる私が何を気づかってあげられるというのだ。
「ジオ……」
「……気にするな」
「ッ!」
私が言葉に窮しているのを察してか、ジオは喉から絞り出すように声を出す。
「俺は嫌というほど戦ってきた。何度も死ぬような思いをしてきた。心だって折れるような事も何度だってあった……だが俺は、いつだって一人で立ち上がってきた……!」
人間の体としては、今のジオに立ち上がり前へと進む力は残されていないのは明白だ。
しかしながら、ジオは人間にこそ宿る気力で立ち上がった。マグナムを握る手に力を込め、息も絶え絶えなのに薄暗い最深部を進んでいく。
ジオが命を燃やしているのなら、私だってやれることを全力でやる。ホロレンズアイの視界から、暗い周囲をスキャンすると、同時にこの部屋の中で利用できそうな物へ片っ端からアクセスする。
しかしながら、奇妙なことに電子機器の類が見当たらない。薄暗い闇の中で長く渦巻いてボンヤリと光るのは、何かのケーブルかと思ったけど、スキャンすれば、樹木のツタだった。
なぜこんなところに、ツタが生えているのか。なおかつ、そのツタはなぜ部屋の中央へと伸びているのか。
不自然な事態に警戒を強めながらジオと共に行くと、薄暗かった部屋に煌々とした明かりがついた。思わず目を覆うジオへ、パチパチと拍手する音が聞こえた。
「よくここまでたどり着いたね。流石はNO.53……最も優秀な、永遠を守る者だ」
フィクナーが、どうやら最後に見た時より強化されたボディに自我データを入れて待っていた。すぐに分析しようとして、フィクナーの背後にある場違いな物に目を奪われた。
「大樹……?」
私が内心思った事を電子空間で口にすると、フィクナーは不敵に笑う。
「そこにいるのはセラフィだろう? 最初に言っておくけれど、君の声は聞こえているからね」
フィクナー相手に、それくらいでは驚かない。ともあれ、あの大樹は何なのだろう。
分析すると、この部屋の天井から監視塔の屋上にまで伸びる大樹こそが、エリュシオンの中央コンピューターだった。
大樹に偽装し、あのツタさえケーブルの一部だったのだ。
ジオに告げると、なんとかマグナムを向ける。だが震える手では照準が合わず、舌打ちをしていた。
フィクナーはあざ笑うだろうか。とことん上から目線で見下してくるだろうか。
ところが、大真面目な顔で「本当によくやった」と、ジオへ友人に語り掛けるように接した。
「……なんのつもりだ」
ジオも違和感を覚えて疑問を投げかけると、フィクナーは深い溜息を吐いた。
「君なら、もっと前から疑問に思っていたんじゃないのかい? ボクがなんのつもりで、君を殺さなかったのかって」
答えないジオに、フィクナーは当然だろうと語る。
「君にはなにがなんでも生きてもらって、ここへたどり着いてほしかったんだ。思い出せないかな? 初めてボクが君に干渉した、あの時の事を」
「忘れるものか……死のうとしたというのに、一人生き残った日の事を……ずっと聞きたかった。お前はあの時、俺に何をした?」
ジオの鬼気迫る問いかけに、フィクナーは淡々と答える。
「君の脳内に働きかけて、生存本能を活発化させたんだよ。生きてもらうためにね」
「なぜ、俺をそうまでして生かす」
簡単なようで難しい。フィクナーは飄々とした態度でピエロのようにお道化てから、すぐに真面目な顔つきに戻って続けた。
「あの場での戦いを乗り越え、成長してもらうためだよ。ずっとそうさ。ボクの願いはあの時から変わっていないんだ。ボクが選別した君には生きて、そして戦って成長してほしかった」
おそらくジオとフィクナーとの間でしか分からない問題を話し合っている。
私の付け入る隙はないだろう。黙って聞いていると、フィクナーは「ボクたちは同じ母親から生まれた存在」。そう口にした。
「アリアという、地球の自然への妄執に取り付かれた神様気取りの科学者からね」
「……確かに俺は、アリアの計画で救われ、育てられたかもしれない。だが俺は、一度も親だなんて思っていないぞ」
「いいや、親そのものに違いないよ。無垢で幼い君を孤児として引き取ったのはアリアだ。そして君の戦闘技術の基礎は、アリアが計画した永遠を守る物を生み出すための副産物だからね。戦う事しかしてこなかった君にとって、まさに育ての親にして、生みの親だろう?」
「……それとこれと、どう関係がある。アリアが母だからと、なぜ俺を生かした――おかげで強くなれたが、お前はなぜ、この強さを望むような事をする」
決着をつけるためさ。フィクナーは言い放つと、二つの可能性は共存できないと首を振った。
可能性? と顔をしかめるジオへ、「アリアはボクとジオという二つの可能性を生み出した」と告げる。
「片方は、ボクという環境保全を目的としたAIだ。永遠を生きることを第一の目的とし、地球の自然を永久に管理し続ける可能性さ。このボクとて、作られた当初に組み込まれた環境保全と促進という役目からは逃れられないんだ。まぁボク自身が気に入ってるからいいんだけど、ボクという可能性が存在する限り、永遠に人間は駆逐され、地球の自然は守られていく」
ただし! フィクナーはジオを指さすと、もう一つの可能性について説いた。
「君という永遠を否定し、不安定で不確定な地球の未来を導く可能性も存在する。事実、君と接触したおかげでタイムレス……ゼファーも、そこの通路で寝てるアイリス型も、ましてやセラフィさえも、君が戦いの中で培ってきた生き方に導かれてボクと戦っている。本当なら、アリアはこんなこと望んじゃいなかった。君を処分して、ボクの可能性に賭けたかっただろうね」
確かに、ジオがいなければ全ては繋がらなかっただろう。お父さんは私の奪還が叶わず、出来たとしても、私は遺志を継いでフィクナーとエリュシオンを破壊するだなんて考えもしなかった。アイリスに関しては、ジオを先生と慕うほどだ。仮に私と出会っていても、ジオという存在がいなくては、私たちは共通点の一つもなかった。むしろアリアのパーソナリティーデータを持つことから敵対視していたかもしれない。
テンポラルヘルの人々も、バンカーたちブラックマーケットの人々も、ジオが戦ってくれるから、時に自らの技術を生かすことができ、時に商品を売ることができる。
ジオは、フィクナーに対抗する数多の存在を繋ぐ可能性の塊だ。彼一人欠けただけで、エリュシオンと対抗する人間の構図は作られなかった。
みんながジオのおかげで、納得のいく形で存在できている。私も、永遠の使い方に納得を見い出せた。
フィクナーの下では、いつまでもウジウジと引きこもり、抗う意思のない人形になっていただろう。
「ジオ、よくぞここまで強くなってくれた! よくぞここまで影響力をもたらしてくれた! 君こそまさに、ボクという可能性が正しいかを試すに値する存在なんだ!」
勝手な事を。ジオは不機嫌そうな顔で心中を吐き出し、「じゃあなにか」と、マグナムを向けた。
「俺ならここまで来られるって、ご自慢のAIで考えたから生かしたんだな。その先も何十年と強くするために生かし続けたんだな。結局は自分が正しいって証明するために――なら最後は、弱った俺を殺して自分を正当化して終わりか」
挑発するようなジオとニヤリと笑うフィクナーを見て、私はすぐに無茶だと止める。いくらジオが強くても、満身創痍の上にロクに照準もつけられないのでは、戦うのは無理だ。
しかし、フィクナーもまた「そんな恥知らずじゃない」などと言いながら、大樹に触れた。
樹皮に浮き出たコンソールを叩くと、途端に周囲のツタがジオに絡みついた。突然の事に反応できなかったジオの体へ、ツタの先が針のように尖ると、血管へ刺された。
一思いに殺すつもりなのか。私は怒りを覚えたけど、すぐホロレンズアイからジオの体の変化に気づく。
血中に流れた物質により、傷ついた内臓や表面の傷が塞がっていく。体中の細胞が活発化したのだ。
「なにを、した……!?」
「ようやく完成したボクのボディと戦うために、君の体に生体修復能力を持つ物質と地球上からかき集めた滋養強壮剤の合成投与剤――簡単に言うと、薬を注入させてもらった。これで十分間は普段以上の力が出せるよ」
「……いやちょっと待って、薬っていうけど、こんなの劇薬だよ! 体に流したら副作用でどうなるかシミュレーションもできないよ!?」
知らないね。フィクナーはどうせこの十分でジオを倒すからいいと、副作用については一切気にしていなかった。
ただしそれは、ジオも同じようだ。落ち着きを取り戻すと、マグナムをしっかり構えた。
「俺を生かし続けた挙句に勝手に殺す気なら、そのふざけた考えごとお前を破壊するだけだ……! もうお前からは納得のいく答えを貰っているからな――あとは死にそびれ続けた体でぶつかるだけだ――今がその時だ!!」
いい覚悟だ! フィクナーの声と共に、ジオは弾丸を発射する。しかし、まるで弾道が見えているかのように、フィクナーは避けた。
そのまま一瞬で距離を詰めると、ジオの顔面目掛けて拳を放つ。
中性的で華奢に見える体躯からは想像もつかない速さと、なんとか腕でガードした時の異常なまでの衝撃から、ジオは唸り声を出す。
「環境保全AIニオ・フィクナー搭載用アンドロイド『アベル型』! どんな環境下でも活動可能なボディさ!」
何発も殴りつけてくるフィクナーに、ジオは防戦を強いられる。一発一発が鉄骨を叩きつけられるような衝撃に耐えながら、なんとか蹴りを返した。
しかし、それさえ予期されて飛び退くと、今度は飛び上がって手刀を振り下ろす。
間一髪で避けたジオだが、次から次にフィクナーは四肢を使った攻撃を繰り出してくる。
人間がどう鍛えたところで勝てるはずもない。防戦一方だがなんとか戦えているのは、一時的に強化された体のおかげだ。
しかし、スキャンするに表面をニトロチタン合金で覆っているフィクナーのボディを人間の拳や蹴りでどうにかなるはずもない。
頼りの綱はマグナムだが、フィクナーも私と同様に弾道予測を行っている。距離を取っての射撃では命中しないだろう。
どうしたらいいのか。時間も刻々と過ぎ去る中、拳を受けたジオが私の名を叫んだ。
「お前も破壊するんだろ!! 手を貸せ!!」
初めて、ジオが私を本気で頼った。渾身の叫びにハッと目が覚めた私は、すぐにホロレンズアイから見えるフィクナーと相対する。
現実世界で戦うジオを電子空間からサポートするために、私はここにいるのだ。気合を入れ直し、「フィクナーを視界から外さないで!」と、僅かな希望に賭けるための準備に取り掛かる。
「いい? とにかくそのままフィクナーと殴り合ってて! 絶対に視界から外さずに戦い続けて!」
「殴り合いで勝てって言うのか!?」
「……私の声はフィクナーにも聞こえてる。だから全ては語れない。でも絶対、マグナムをぶち込んでやる瞬間を作るから!」
無駄だね! と、フィクナーは笑う。構えて撃つ隙なんて与えないと自信たっぷりに笑いながら、ジオへ拳を繰り出し続ける。
この余裕だ。隙があるとしたら、新しいボディと目的達成を前に絶対優位に立っているフィクナーの余裕さが、ジオにマグナムを撃たせる隙を作る。
しかし、一発じゃだめだ。シリンダーに残る五発全弾当てなければ、アベル型とかいうボディは破壊できない。
落ち着いて、それでいて急いでやることは、ジオが必死に受け続けてくれているフィクナーの攻撃パターンの分析だ。
どんな人間だろうと、行動にはそれぞれのパターンが無意識化にある。人間を模して作られたAIにも、それはあるのだ。
ホロレンズアイに映るフィクナーの攻撃と、体を構成する合成筋繊維と骨格の動き、表面のニトロチタン合金の硬度、それら全てを同じモニターに移す。私の瞳を通して手の空いているAIを総動員して分析する。
ジオが倒れるのが先か、私の分析が間に合うのが先か。
私たちの意地が極限にまで重なり合うと、五秒先に拳が飛んでくる起動予測が完了し、ホロレンズアイに表示できた。
「分析完了! 三、二……今!!」
「ッ!!」
余裕故か、私の言葉への反応が遅れ、フィクナーの拳をジオの手のひらが受け止めた。
「なっ!?」
「……ぶちかますぞ」
受け止めた拳を離さず、ジオは得意の早撃ちでフィクナーの左腹を撃ち抜いた。
「このっ……!」
「次がくるよ!」
食らった後の予測は一瞬で完了し、平手を向けてきたフィクナーを最小限の動きで弾くと、もう一発胸に撃ち込む。
「次は後方へ飛び退くけど受け身が取れないから、そこに突っ込んでゼロ距離で!」
フィクナー自身、自分の行動が読まれていることに気づきつつも、対応する暇がないからか口にした通りに動く。
当然ジオは飛び退いたフィクナーへ飛び掛かり、拳を一発お見舞いしてから左肩の関節部へ三発目を撃ち込んだ。
ボディへのダメージが蓄積し、よろめいたフィクナーへ、ジオは四発目を腹へ向けて撃ち込む。
アベル型と呼ばれたフィクナーのボディは、あっという間に四つもの風穴があいた。
「あ……ああ……」
両膝をついたフィクナーへ、ジオは容赦なく拳を叩きこんでいく。やがて虚ろな目で見上げたフィクナーは、「ズルいことするね……」と零す。
「最初にズルをして俺を生かしたのはお前だろ」
その報いとばかりに、渾身の力で顔面を二発殴ると、マグナムの銃口を揺らめく顔面へと向ける。私の弾道予測がAIを保存しているチップの位置を示すと、両手で狙いをつける。
「これで、お前の負けだ……!」
と、最後の一発を撃つ瞬間だった。ホロレンズアイに強烈なノイズが走り、視界データが大きく歪む。
同時に弾道予測は消滅し、最後の一発を避けられた。
「……外部ネットワークと、マザーコンピュータールームを完全遮断開始」
フィクナーの信じられない声がして、ホロレンズアイとのリンクが途切れた。
「ネットワークから、自らを切り離したの……?」
私がフィクナーの破壊は不可能だと思っていた最大の理由である、ネットワーク経由で自らのデータを全て転送し逃げるという行為。
フィクナーは、最深部の部屋そのものをネットワークから切り離すことで、自らの逃げ道を封じた。
同時に、私がジオをサポートする事も不可能にして。
「くそっ! なんとか再接続を……」
悪態をつき、最深部への入り口を探す。しかし、ネットワークそのものから切り離されていたら、電子の世界からではどうやってもアクセスできない。
今、最深部にいるのは薬の時間切れ間際且つ、フィクナーの猛攻によりボロボロになったジオと、四発の弾丸を受けたフィクナーだけだ。
勝つか負けるか。シミュレーションもできない。
「祈るしかないっていうの!? ここまで来て、そんな神頼みだなんて……」
どんな方法を試しても無理だと分かり、私は取り乱す。いっそのこと生身の体に戻って駆けつけようかと思ったが、トラックの出口が爆発によって歪んでおり、出るのは不可能だった。
こんな……こんな!
「誰か……誰か力を貸して!」
電子空間に消えていく私の叫び声だったが、その音声データを受信する媒体が一つだけあった。
こんな時に何なのかと探れば、ブツ切りの音声がする。
「私、なら、動けるよ」
まだ内部の修復が終わっていないアイリスが、私の叫びを受けて目を覚ましていた。