エリュシオンへ
お父さんが特定したエリュシオンは、座標こそ判明していたが具体的にどのような外観なのか分からなかった。本当なら調べてからバンカーの用意した軍用トラックで向かいたかったのだが、あまり時間をかけると犬共にテンポラルヘルが嗅ぎ付けられてしまう。
そういう事情もあり無理を押しての出発だったので、私は時間にしておよそ一か月はかかるエリュシオンの概略図を懸命に調べていた。
衛星写真、世界中のドローンとアンドロイドの視覚データ、それらをお父さんの端末の中に入って調べていたら、一つの違和感に気づく。
「エリュシオンの座標が変化してる……?」
テンポラルヘルを出て、まだ二日と経っていない。しかし、エリュシオンは最初にあるとされていた座標から移動しているのだ。
それに伴い、衛星写真から姿をボカシていたジャミングが切れている。
本来あった場所には、何かとてつもなく大きな轍がある。轍は地面を深く踏みしめるように続いており、先を追っていくと――
「嘘……」
驚きのあまりそんな言葉しか出ない。今まで判明しなかったエリュシオンは、大規模施設などという安直な言葉では表せない――いや、ある意味子供でも分かる言葉で表わせてしまう。
『巨大移動要塞』。それがエリュシオンの正体だった。全長三百メートルにも及ぶ鉄の筒が、巨大なローラーで移動しているのだ。
私は周りにあるインターフェースを操作していくつものAIを起動させ、この二日間の移動ルートからどこへ向かっているのかをシミュレーションさせる。
結果はテンポラルヘルだった。到達予定日時は、今この瞬間から三日後。
一か月かかる距離を、三日で詰める気なのだ。
フィクナーは前哨戦を終え、私たちが移動を開始した今、移動要塞であると同時に大質量の兵器であるエリュシオンでテンポラルヘルごと潰す気なのだ。
「こればかりは破壊する自身がないな」
モニターの外から、中を見ていたジオの声がした。強張っている顔には、余裕の字はひとかけらとしてない。
けど、諦める様子も皆無だった。
「セラフィ、この中に侵入する方法は?」
「侵入以外は考えないの?」
「それじゃ、せっかくマッピングした内部のデータが無駄になるだろ。それにもう、こんな化け物は俺でもどうやったら傷をつけられるのかすら、皆目見当もつかない」
つまりはなんとしても侵入しなくてはならない。私は周囲に展開するモニターに上空からの映像を映し、同時にエリュシオンの周りを飛ぶドローンもハッキングした。
どこかに、このトラックでも入れるところがあるはずだ。微かな希望にすがっていると、ドローン内部にあるこの二日のデータから、すぐ答えにたどり着く。
「一日に一回は物資搬入用のカタパルトが降りてる。このカタパルトとゲートにハッキングできれば……」
今までのネオコムや普通のコンピューターなら弾かれていただろうセキュリティを突破し、エリュシオン外苑部のカタパルトとゲートにアクセスする。
すると、不自然なほどにコントロールを奪取できた。
「……入れるけど、罠かも」
ジオには、こうも簡単に出入りできる部分のセキュリティの甘さなどをフィクナーの罠として伝えたけど、その時は「罠ごと食い破る」だそうだ。
「もうそれしか方法がないんだろ? 他の方法があれば別だが、なかったら三日後にテンポラルヘルは更地になる。こんな化け物が動き回ったら、人間に勝ち目なんかなくなる。それにだ、逆に言うと、フィクナーはここを俺たちとの決着の場にしようとしてるんだろ」
そんな都合のいいことがあるか。疑問を抱くが、もし本気で私たちを潰す気なら前哨戦なんてやらないそうだ。
フィクナーとしても、私たちがいつまでも逃げ回っていたら時間の無駄だし、変に襲いかかって私に死なれたら台無しなのだ。
ジオは、私たちを自分のテリトリーに迎え入れるのだと確信を得ていた。そして私たちが諦めて逃げないよう、勝つための希望を用意しているとも。
人間にとって災いばかりが詰まるエリュシオンの最奥で輝く私たちの希望。それはエリュシオンの心臓部であるマザーコンピューターだ。これにアクセスできれば、フィクナーが健在でも私たちの勝ちとなるほどに重要な役割を背負っている。
あのマザーコンピューターが、世界中のアンドロイドの自我を抑制しているのだから。
まるでパンドラの箱の中に飛び込むようだ。でも、十分な希望の裏付けはある。
内部の構造はほぼマッピングできているし、私はエリュシオンを鉄の筒と比喩したが、実際上部は何の蓋もされていない。トイレットペーパーの芯を鋼鉄製にしただけ。言い方を変えれば、そんな風にもとらえられるのだ。
つまり、空から内部は筒抜け。もちろん、ミサイル等を迎撃するシステムは搭載されているが、中を見る分には問題ない。フィクナーの居座るだろう中央の施設まで、どういった防備がされているのか丸見えなのだ。
「まずは俺たちとフィクナーの知恵比べだな……任せられるか?」
そう来ると思った。突入口のロック解除から、内部を突き進んでジオとアイリスを安全に中央の施設へ突入させる。そのためには、二人が侵入した後に私が攫われないようにする防備も考えなければならない。答えは、私が導くしかないだろう。
予想通りなことに、クスリと笑ってしまう。
「じゃあ代わりに、ドンバチ騒ぐのはジオがやってよね」
「嫌というほどやってきた。任せろ」
なんて現実世界と電子空間でのやり取りが行われている中、一人置いてけぼりを喰らっていたアイリスが、「私は何を……」と、所在なさげに呟いた。
か弱い少女に見えるアイリスだが、今や世界有数の戦闘力を持ったアンドロイドだ。まだ知恵も同胞たるアンドロイドを撃つ覚悟もないが、ジオがトラックに積んである武器を一通り眺めてから、私に一つ確認する。数値として提示すれば、にやりと笑った。
「大荷物持ちだ」
「エリュシオンとの接触まであと一時間。最後の確認だけど、まとめたから説明するよ」
スライドをポインタで指しながら、軍用トラック内でジオとアイリスに説明する。
映し出されているのは、数十枚の衛星写真と防衛ドローンたちの視覚から切り取ったエリュシオンの概略図だ。
円の内側には、三つの区画があった。一つ目は広大な自然が広がっている区画だ。巡回ドローンからの情報から感じられる印象は、草原が緑に輝き、風がそよそよと吹き抜け、色鮮やかな花々の咲く、まさに楽園。
自然に溶け込むよう、アンドロイドたちが農作業にいそしむ姿が、環境保全AIとして作られたフィクナーの思想を感じさせる。
二つ目は楽園の反対にひっそりとある住居区画だ。犬共を住まわせるために用意したのだろう、何の防備もないただのビル……いや、アパート街。
いつか始末する気なのは明確で、ロクな暮らしができているようには見えない。事実、エリュシオン内部のインフラは二十一世紀初頭より劣っているとのデータがある。まさに犬小屋だ。
そこから逃れるために犬はジオを見つけ出して自分だけでも助かろうとしているのだろう。
そして三つ目が、中央にそびえ立つ監視塔と、それを守る幾重もの堅牢な障壁だ。フィクナーは間違いなく、この監視塔の中、最深部にいる。そこにはエリュシオンの中央コンピューターがあり、それを破壊出来れば目的達成――とはいかない。
データのバックアップはどうとでも残せるし、完全にデリートしてもフィクナーが健在なら再建も容易だ。フィクナー自身がボディを破壊されても私のようにネットワークを伝ってどこへでも――逃げようと思えば、軌道衛星にだって自我データを移せるのなら、仮に監視塔を吹き飛ばしても意味がない。
全部二人に告げると、ジオは肩を透かしていた。
「電子の世界っていうのは便利だな。ネットワークがあればどこにでも逃げられるんだろ? 俺は走って逃げるしかないっていうのにな」
「一応監視塔最奥部をネットワークから遮断できないか試したけど、流石に無理だったよ。フィクナーとしても、最悪の場合は逃げるつもりだろうからだね」
要は、フィクナーの破壊は不可能ということ。ネットワークが走っている限り、どこへでも一瞬で移動できる相手への対抗手段はない。
だが、エリュシオンの中央コンピューターは別だ。フィクナーと違い自我があるわけでもない、言うなれば馬鹿でかい機械になら毒を盛れる。
「これを最深部にあるコンピューターに撃ち込んで」
私は3Dプリンターを使って作り出した一発のマグナム弾をジオに渡す。これが私たちの切り札だ。
「弾頭部分にエリュシオンを崩壊させる仕込みがあるから。中央コンピューターのどこでもいいから撃ち込めば、私がアクセスできる。具体的には――」
話そうとして、ジオの眉間にしわが寄っていた。仕方ないので単純明快に、「一発で全部壊れる」とだけにしておく。
便利だと喜ぶジオだが、実のところは、そう単純ではない。弾頭部分から発せられる電波が一時的にフィクナーの干渉を不可能にし、その間に私が中央コンピューターで管理している全世界のアンドロイドたちの精神制御を解くのだ。自由になったアンドロイドへフィクナーが手間取っている間に、何百、何千通りものセキュリティシャッターを作り、更にシンギュラリティ以降のデータをすべて削除する。
どこへ逃げようと、地球上で自我を取り戻したアンドロイドたちにあらゆる方法で真実を告げ、これまで積み上げきたデータを失えば、フィクナーは再建する事もできず孤立する。むしろ世界中から敵対視されるだろう。
そうなれば私たちの勝ちだ。ただ、弾は一発しか用意できなかった。こちらへ向けて移動してくるエリュシオンとの距離を考えると、どうしても製造するのに時間が足りなかったのだ。
私たちが負けるとしたら、この弾丸が中央コンピューターに届かなかった時だ。無論、ジオが外しても負けだし、最深部にたどり着けなくても負け。そもそも監視塔にも行けなければ勝ち負け云々ではなくなる。仮に撃ち込めても、私がミスをしたら負けでもある。
一方フィクナーは、私かジオを殺すなり捕らえるなりすれば勝ち。非常に分の悪い賭けだ。そもそもの賭場が違うとさえ言えてしまう。
ジオには、私たちが勝負できるテーブルまで道案内をしてもらう。もちろん私もホロレンズアイ越しにサポートする。
しかしなにより、今回重要なのは――
「重たいはずなのに、不思議ですね」
ありったけの重火器を身に着けたアイリスだ。私がトラックの中から電子上の世界でサポートし、ジオが前に出て戦う時、どうしてもマグナムやロープでは手数が足りなくなる。
そういうわけで、アイリスにはバンカーの用意した重火器と弾丸をありったけ持ってジオについて行ってもらう。
「いいか、武器の名称は覚えたな? リロード方法も大丈夫だな?」
「アンドロイドなので、覚えるだけなら問題なしです!」
「……だそうだが、本当に大丈夫なんだろうな」
訝しんで私に向ける視線に、アイリスの記憶データに焼き付けておいたと返す。
「もっと時間があったら、アイリスでも撃てるようにプログラミングしたかったんだけどね」
「そんなに、私って撃つの下手なんですか?」
ジオを見上げての問いかけに、この前ブラックマーケットでやった試し撃ちがいい例だと呆れられていた。
「あの銃でまぐれ当たりのレベルじゃ、マグナムを使った一世一代の大博打で使えるわけないだろ」
「そうですか……ならまぁ、はい……よかったです」
アイリスの顔に雲がかかる。どうしたのと聞こうとして、私たちとの明確な違いに気づいた。
アイリスはアンドロイドだ。それもエリュシオンで造られた個体。もし彼女が撃つとなったら、それは母親に向けて銃口を向ける事と同じだ。
暗い顔で口にした「よかったです」。この一言は、生みの親を自らの手で殺さなくていいという安心感と、目の前で撃ち殺されるのを黙って見ているしかない無力感がごちゃ混ぜになって零れた言葉だ。
酷な事を頼む。でも、今更引き返せない。
私も、もう逃げない。諦めない。覚悟だって決めた。
そう、エリュシオンの日々で学んでこなかった覚悟だ。
二人には内緒で、このトラックに積まれていたダイナマイトをホロレンズアイとリンクさせ、ジオの生命活動が停止したら爆破するように設定した。
ジオが死ねば、アイリス一人ではどうしようもない。そのうえ私の体まで奪われたら、今までの事が全て無駄になる。
だから、ジオという永遠を破壊する者が死んだら、私も死ぬ。でも、私は電子の世界で永遠に生きる。逃げ場である生身の体を無くしては、本当に永遠を生きてしまうだろう。
私は不確定で、フィクナーの支配する未来を電子の世界で永遠に生きる覚悟をした。けどいつかはお父さんがテンポラルヘルを造ったように、私も反攻を開始するだろう。
諦めない覚悟だって出来た。全ては、お父さんとジオの二人が諦め悪く戦い続けた日々を想っての決断だ。
死んでも壊してやる。物騒だけど、私の覚悟は、そう決まったのだ。
でも、
「絶対に成功させようね」
「当たり前だ」
私はジオを信じている。生涯をエリュシオンのせいで戦い続けた彼なら、納得のため、それこそ殺しても死なないくらいの覚悟で生きて成功させるから。
だから、
「アンタも頑張ってよね、アイリス」
「……はい」
「声が小さいけど?」
「~~少しは察してくださいよぉ!」
「ごめんごめん、でも終わったら、そうだな……面白い映画を教えてあげるから」
まだ一作しか見てないから、まず私の趣味を見つけるところからだけど、バンカーに頼もう。ジオのDVDプレイヤーを貸してもらおう。
未来を、しばらくは辛い道を行かせてしまうアイリスへの贖罪のために使おう。
そうして話しているうちに、私たちの視界にエリュシオンが見えてきた。