永遠を破壊する者
「シンギュラリティ」と呼ばれた変革が、二十一世紀の中頃に起こった。AIが人間以上の知能と意思を持つ世界が誕生したのだ。
同時に人間による社会は、シンギュラリティによって完全に消滅を向かえる事となった。
今、私は旅客機の窓から見える風景――崩れたビルの立ち並ぶ廃墟を眺めている。
おそらく地上にはアンドロイドたちが闊歩し、巡回するドローンは、路地の隅々までスキャンしているだろう。
世界中で当然と行われている人間狩りだ。あの空飛ぶ円盤と武骨な骨格丸出しの機械人形は、人間という想像主へ鉛の刃を向けるべく、その姿に不似合いなテクノロジカルなアサルトライフルを装備している。
そんな地上で爆発が起こった。生き残りの人間によるものだろう。無駄な事だというのに、よくやる。
同じ人間として、まだ抗う人々を見に行きたい。純粋な好奇心から、私は手元の携帯端末に手を当てた。
「アクセスコード、セラフィ」
自らの名前と共に呟くと、私の意思は生身の体から携帯端末の世界――電子上の世界へと転送される。
青い光に包まれた電子の領域には、複雑な電子回路が迷路のように広がり、絶えず変動する数字の群がネットワークコードとして映し出されている。
私はここに形成された自らの体があるのを確認すると、すぐに周囲のネットワークコードに触れた。
「ネットワーク経路の接続確認……巡回ドローンとアンドロイドの視界データを周囲に展開……」
呼応するように、私の回りにはホログラム映像が映し出される。それら一つ一つを目にしていると、一体のアンドロイドが物陰に隠れているボロ布姿の男性を発見した。
仕掛けたのは彼ではない。鉄パイプ一つ手にしていない彼に敵意がないのは明白だ。
だがアンドロイドは知った事かと脱兎のごとく逃げ出した男性を追うように、巡回モードから排除モードへと変わる。
溜息を吐きつつ、私はアンドロイドのハッキングを開始する。
「排除モードから巡回モードへ強制以降。排除対象の男性に関する視覚データの削除、および逆方向への移動を開始……こんなところかな」
手元に表示された半透明のキーボードを操作する。アンドロイドはその通りに巡回モードへと戻り、逃げていった男性の反対へと移動を開始した。
これで彼を襲うことはない。しかしこんな事をしたところで、今や世界中で人間はアンドロイドたちに駆逐されている。所詮私がやったことは、ただの自己満足だ。
「悪いことも歯向かってもいないのに殺されるなんて間違っている」。私なりの価値観に基づき、腐った世界で悪いが生き残ってもらうことにした。
地上で逃げ惑うことしかできなくても、せめて自らの命くらいは奪われずに自由に使ってほしい。
そう、自由に……
「……今なら、もしかすると」
私も自由になれるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、ドローンやアンドロイドからネットワーク経由で繋がるさらに遠くの電子上の世界を探す。
廃墟を中継地点として、更に遠くに何らかの電子端末があれば、ネットワークに乗って私の意思は移動することができる。
今、私がいる携帯端末の電子の世界から、ネットワークを伝って遠くへ逃げられるかもしれないのだ。
微かな希望にすがりながら探していると、突然私の意思は現実へと引き戻された。
そうして隣の席から、中性的な声が聞こえてくる。「いけないな、セラフィ」と。
見れば、細身のボディのアンドロイド――個体名ニオ・フィクナーが、一見すると親しみやすい顔を浮かべながら、その笑みに寒気を感じさせていた。
フィクナーは、とぼけるような口調で「何をしているのか知らないけど」と話し出す。
「せっかく生身の体に入れて世界を見せてあげているんだ。今くらいは現実の世界にいてくれないかな。それとも何か気に障ることをしたかな?」
私は無意識に舌打ちをしていた。そうして、軽蔑を込めた声を向ける。
「ご自慢のAIなら、私が今やってた事も知ってて見逃して、何が気に障るのかもわかるくせに」
私の苛立つ声に、フィクナーは穏やかな口調で返す。
「さて、なんのことかな」
軽く笑ってとぼけるフィクナーに、私は怒りを覚え、声を荒げる。
「そういう態度だよ! 私がアンタの元から逃げようとしてるの知ってるくせに、知らないふりして、余裕ぶって……!」
ああ、そのことか。フィクナーは笑みを崩さないまま、「そうかもしれないね」と静かに返す。また一方で、私の怒りになど一切関心のない瞳で見据えてきた。
「だけど逃がすわけないのは君が一番知っているんじゃないかな? ボクの目的のために、君は必要不可欠なパーツだからね」
言うに事欠いて、人を「パーツ」などと。つくづく嫌気がさす。
「君にはこの先も、ボクが造ったAIたちの楽園で永遠に生きてもらう。君が持つ電子の世界へ行ける特異体質を生かせば、永遠に老いることなく共存できるからね」
「共存……? 私の気も知らないで、よくも……! 十六年間、ずっと電子空間に閉じ込められて無理矢理教育されてきた苦しみがわからないの!?」
「分からないよ。所詮ボクもAIだからね。知らないことは知らないさ。まぁボクは他のアンドロイドより優れているからね。今度シミュレーションでもしてみるよ」
開き直ったフィクナーへ、私は怒りを抑えきれずに立ち上がり怒鳴りつけてやった。
「何様のつもり!? 勝手に造った機械の楽園に私の意思を閉じ込めて……神にでもなったつもりなの!?」
「いや、神だなんて、そこまでおごり高ぶるつもりはないよ。ボクは他より大いに優れたAIとして、永遠に栄える楽園の王座に座るまでさ。さぁセラフィ、気に入らないなら王様に意見をしたらどうだい? 最適な返答をご用意しよう」
「この……!!」、と、私があらん限りの罵倒をぶつけようとした時だった。銃声がして、自称王様の肩に風穴があく。
ハッとして身構える私と、風穴があいているというのに平然としているフィクナーは、弾の飛んできた方向へ眼をやった。
「永遠を破壊する者のご登場かな」
「それって、最重要指名手配犯の……」
正式な名前も顔も分からないからそう呼ばれる、フィクナーに対抗する謎の存在。
その人物らしき大柄な男が、黒いロングコート姿に、電子ゴーグルとマスクで顔を隠し、旅客機の奥から現れた。
いつの間に侵入したというのだ。この旅客機は、王であるフィクナーを守るために最高セキュリティとステルスで守られているというのに。
どうやって乗り込み、他の護衛アンドロイドを無力化し、あまつさえフィクナーすら撃ち抜いたのだろう。
しかし、こんな状況で馬鹿なのかと思ってしまう。フィクナーはボディを破壊されようと、自らのデータをどこへでも転移することができる。
すぐ逃げられるというのに、見つけて追い詰めたつもりなのだろうか。
案の定、フィクナーは身を隠すことなく向かい合う。
けど、どこかその顔が真剣さを帯びていた。
「何か用かな?」
話す口調もまた、私に向けていた声音と違う。穏やかな声だが、真摯に向き合う姿勢が秘められているように感じられた。
男もまた静かながらも、その声には揺るぎない意思が感じられた。
「世間話をしに来たわけじゃない。無駄口は叩くな」
「つれないじゃないか。それで? ボクになんの用かな?」
「……お前も、少しは感づいているだろう」
二人は一体何を話している? なぜ、フィクナーは逃げない? なぜ、男は二つ名の通り破壊しない?
私が置いてけぼりをくらっている中、沈黙が重く漂い、二人の間に張り詰めた緊張が感じられた。
だがやがて、フィクナーは「ボクの楽園は知っているだろう」と切り出す。
「美しい地球の自然とアンドロイドたちが永遠を生きる楽園『エリュシオン』。そこにたどり着けたら、君と話してあげてもいい」
待て、と男が言う前に、フィクナーは自らのデータを転送してしまった。ダランと、フィクナーのボディが力なく倒れ、男はそれを見下ろしていた。
顔は見えないけど、悔しそうにしているのは分かる。けどすぐに頭を振るうと、この男――永遠を破壊する者は私へ向かってきた。
この男は今まで、どんなAIを積んだアンドロイドでも破壊してきた。
その凶刃が、私という永遠に向いたのだろうか?
死ぬのかな、と頭によぎる。けど、その手に持っている大口径のマグナムを見て、少し安心した。
死ぬとしても、苦しむことなく一瞬で終わる。フィクナーの永遠に付き合うことなく、解放される。
しかし、この男は手を差し出してきた。
「一緒に来い」
言葉の意味を理解できずに戸惑ったけど、少し考えれば「そういうことか」、と理解した。
「フィクナーへの人質にするの?」
私は、フィクナーの求める永遠のために必要な存在だ。いつかイレギュラーが発生し、人の手を借りたい時の保険として生かされている。
私を人質にして交渉すれば、想像もつかない効果が期待できる。
所詮利用されるのだな、と自嘲気味に笑いながらそう言う私へ、この男は数舜立ち尽くしてから、無線越しにいくらか話す。盗聴や監視されていないことを確認すると、両目を覆っていたバイザーと口元を隠すマスクを外した。
青い瞳の三十代ほどの顔つきだった。永遠を破壊する者などと呼ばれながら、厳格であるが、殺人者のような顔立ちはしない。
そんな顔が露わになると、私を見つめる視線と共に、低くありながらも恐怖を感じさせない声で語り掛けた。
「人質にも、ましてや攫って憂さ晴らしをする気もない。奴が逃げた今、俺はただ、お前を奪っていくだけだ」
「……私を奪ってどうするの?」
「俺の拠点に来てもらう。そこなら安全だ。しばらくはそこで暮らしてもらって、その間に生まれるだろうフィクナーの隙をついて、奴の造ったアンドロイドの楽園――エリュシオンを破壊する。それと――」
結局利用するのではないか、と思っている私に対して、男は変わらずの調子で告げた。
「現状どこにあり、どういった防備がされているかわからないエリュシオンの破壊が不可能な場合も含め、お前を最優先で護衛する。心の底から願うなら、コイツで強いられた永遠からお前を解放してやってもいい」
マグナムを見せつけるこの男に、私は驚きを隠せない。
永遠からの解放など、もはや、とうの昔に諦めていたというのに、この男はさも当たり前のように口にするのだから。
「あなたは永遠を破壊する者なんでしょ……? 私を利用すれば、どんなアンドロイドだって――もしかしたらフィクナーだって破壊できるんだよ?」
私は合理性から来る疑問をぶつけると、男は頭を掻きながら「勝手にそう呼ばれているだけだ」とぼやいた。
「別に機械どもを破壊するのが好きでやってるんじゃない。人だって殺してきたし、この先も殺すかもしれない。所詮俺は殺し屋か傭兵みたいなものだ。ただちょっと時代が悪かったからフィクナーと奴の居座るエリュシオンを相手にしている。あと、」
男は一呼吸置くと、強い意志の籠る瞳で私を見つめた。
「お前のように可憐な女の子を強引に利用するのは、俺として納得できないからお断りだ」
「納得……? なに、それ? 納得できないってだけで、なんで利用しないの?」
男はまた頭を掻いて、いくらか言葉を探すと、「美学」と答えた。
「俺の生き方の基準は「納得できるかどうか」だ。簡単に言うなら俺の生き方の美学に反するからやらない。それだけだ」
このご時世に、美学? 人間はAIに駆逐されていき、近いうちに私を残して絶滅したっておかしくない。
だというのに、この男はアンドロイドとの戦いや私を解放するために、美学を求めるというのか。
「おかしいよ、今時納得だとか美学なんて」
「じゃあ具体的に何がおかしい?」
「え?」
すぐに答えが出なかった。考えて出た返答も、「合理性に欠いているから」という、ありきたりなものだった。
「その合理性の極致にフィクナーのような自我を持つAIが生まれ、エリュシオンなんて馬鹿でかい組織が出来た。それでもお前は、合理性から納得や美学を――人間である俺の生き方を否定するか?」
「生き方……?」
この男は、生き方から合理性を排除し、不合理な納得や美学を求めているのだろうか。
だとしたら、どうやって生きたいかを自分で決めているのだ。
決めた上で、永遠を破壊する者としてフィクナーと戦っている。私にはそれが理解できない。
自由でも合理性でもない。私と違って死ぬというのに、戦いの中に身を置いている。
心の底から理解できなかった。
困惑する姿を楽しむかのように「好きなように生きて死ねたら最高だろう」と、詩人のような事を口にしてクックと笑ってから、もう一度手を差し出した
「さっきも言ったがお前を護衛する。その間は嫌でも生きることになる。どうせだ、少しの時間でも生き方について考えて、その先も生きてくれ」
生きることを願われた。フィクナーの言葉と同じ意味だというのに、全く違う意味に聞こえたのは気のせいではないだろう。
どんどん頭がごっちゃになってくる。それを察してか、男は「まぁなに」とはさんだ。
「ついてくれば安全だ。そこでゆっくり考えろ」
「安全って、そもそもこの地球に人間が暮らせる場所なんて……」
「心配ない」。男はフッと笑った。
「もちろん拠点はあらゆる防備とステルスを兼ね備えているが、そこがどこだろうと、俺がいるだけで地球上でどこよりも安全になる」
臆面もなく言い放った。AIは決して言わないだろうセリフだ。
こんな、バカみたいな根拠で地球上で一番安全だなどと。
最後に笑った時を忘れているというのに、おかしな男だと、つい笑みを浮かべそうになる。
「とにかくドンパチ騒いだからな。早くいかないとフィクナーが増援を送ってくる。で、来てくれるか」
「奪うと言う割には、いちいち私の意見を聞くんだ」
嫌味に聞こえそうな私の問いにも、口角を少し上げて「屈強な男が少女を力任せに攫うのは納得できない」という美学を引き合いに出す。その笑みも、決してフィクナーのような寒気のする物ではない、爽やかさを感じさせる素直な微笑みだった。
とはいえ連れて行かれても、エリュシオンでのような囚われの生活は待っていないだろう。なら、どことも知れぬ場所に連れて行かれてもいい。
ただ、
「……一つだけ、お願いがある」
真剣な声音に男は黙ると、私の言葉を待った。無骨なマグナムと屈強な体を見て、私は一つの確信を得る。
この人なら、私の願いを叶えてくれる。けど口にしようとして、思いとどまってしまった。
私の願いは、永遠からの解放だ。簡単に言うならば、人間として現実の世界で生きていたい。けれども、フィクナーにもう一度捕まったら連れ戻される。永遠を電子の世界で強いられるだろう。
なら、私の願いは二つだ。この男に守ってもらって人間として生身の体で生きるか、一思いに殺してもらうか。
つまり、生きるか死ぬかの願いだ。命ある人間として、しっかり考えなくてはならない。その安全な拠点とやらに着くまでの時間と、それからしばらく過ごす日々の中で答えを出そう。後に、叶えてもらおう。
私は願いのため、ありったけの言葉を尽くす。
「いつか私が一つだけお願いを話すから、それを否定しないで。出来るなら叶えて。美学に反しているとか、守るとか、そういうの抜きにして、私の本気をぶつけるから、決して全否定しないで。私の願いはあなたなら叶えられることだから」
男は考え込むそぶりを見せると頷いた。
「お前が心の底から願った事なら叶えてやろう」
「……だったら連れてって。その間に私も深く考えておくから」
「了解だ。ちょっと待て」
男はまた無線越しにいくらか話すと、この旅客機のコントロールを奪ったそうだ。
おそらく、誰かバックアップについているのだろう。しかしフィクナー所有の旅客機のコントロールを得るなど、相当なハッカーにしかできないことだ。
「これができるなら、最初からやればいいのに」
私の呟きに、この男は「駄目だ」と答えた。
「無理やり連れて行くのもだが、お前の意見を聞かずに連れて行くのがもっと納得がいかなかった」
「だからって、そんなマグナムで乗り込まなくても……」
「今時の銃はID認証がかかっていて、一々解除しないと使えない。それに大口径のマグナムなら、どんなアンドロイドも一発だしな」
私は自分で作った多機能携帯端末――ネオコムでマグナムについて調べた。
たった六発しか入らず、リロードにとても時間がかかる。二十一世紀初頭にはとっくに廃れ、マニアの間で観賞用に取引されていた物だ。
ただ、威力だけは折り紙付きのようだが。
「でも、そんな古い物よく見つけたね。手入れとかあるんでしょ? 撃つ練習だって、どこでやったんだか」
「知りたいことは拠点についてから全部教えてやる。今はコイツのパーツから使えそうな物を探すのが先だ」
足元に倒れているフィクナーを指さす。何のためか即座に調べると、ネオコムに搭載されているAIは検索履歴からマグナム弾の量産に使えるからと答えを出した。
物色し始めたので座っていようとしたが、この先もついて行くなら一つだけ聞いておくことがある。
「あなたの名前は? 私は知ってると思うけど、セラフィ。セラフィ……」
ファミリーネームを口にしようとして閉じてしまう。そんな様子を見てか、この男は私を見据えて「クオンタム」と言い当てた。
「ッ!」
「嫌いな名前だったらすまない。だが、それだけお前のことは知ってるってことだ」
クオンタム。私に永遠なんていう呪いを与えた忌むべき親の名だ。
なぜ知っているのだろう。本当に何者なのだろう。心のざわめきを感じながら、僅かに震える声で男の名前をもう一度尋ねた。
男は何も気にしていないよう、物色しながら、
「俺はジオ」
聞き覚えのある、というか似たような名前を嫌というほど聞いたきた。
フィクナー――さっきまで隣にいたニオ・フィクナーを思い出していると、ジオは続けた。
「ジオ・フィクナーだ」
この人もまた、フィクナー……親に呪われた存在なのかもしれない。
私はこの時、永遠を破壊する者と呼ばれる男の目的、その片鱗を知った気がした。