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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第六章『草長の国』戦争~東部戦役~
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第九十一話 灰の中

 月が昇る。柔らかな光が、廃墟と化した砦と死闘を生き延びた人々とを慰めるように降り注ぐ。


 二角帽と襟を立てた灰色の外套という恰好でボナパルトは瓦礫と死者の山と化した蹄鉄砦を見回っていた。


 砦のあちこらこちらには安全な退去を認められた避難民たちが戦闘に参加した身内を探して瓦礫をかき分けたり、並べられた死体の顔を恐る恐る確かめている姿が見える。そんな彼らをフランス兵たちが銃を構えたまま、哀れみと敵愾心という暖気と寒気の入り混じった積乱雲のような眼差しで監視する。そんなフランス兵たちを士官たちが見張る。司令官同士の協定が成立したとはいえ、戦闘の興奮冷めやらぬ兵士が避難民に狼藉を働かないようにしているのだ。


 勇ましい男たちの喚声と戦太鼓の地響きと、心臓を握りつぶすような砲弾の唸り声とが消え、助けを求める負傷者の叫びと、悲嘆にくれる哀しみの声と、極度の緊張から解放された溜息との三重奏が場には満ちている。ボナパルトはその中を歩き回り、座り込んでいるフランス兵たちに声をかけては労いの言葉をかけ、傍に控える義理の息子ウジェーヌに持たせた酒をふるまってやった。


 ふとボナパルトは右腕を負傷した兵士の一人に目を留めた。


「貴官は見覚えがあるな。ルイ・オリヴァン」


「光栄です。敵を五人は片付けました」


「勇者だな。酒をやろう。シャンパンとはいかんが、この国の酒も悪くないはずだ。美酒は勝者に相応しい」


「閣下のお心遣いに乾杯。できれば彼らにも振る舞ってやってください。勝者は酒に値しますが、敗者には酒が必要ですから」


 酒を受け取ったフランス兵は崩れかかった城壁に寄りかかる頼りなげな敗者の一団を指差した。


「そうしよう。ウジェーヌ。手配してやれ、連中の倉庫に酒ぐらいあるだろう」


「はい閣下」


 ウジェーヌは司令官の命令を実行するため、地下倉庫のほうへ向う。眠ることを許されない者たちにとって、酒は必要だった。


 ◆


 クルーミルの代理人として派遣されている武将、ノルケトはボナパルトとフランス兵の様子を興味深く見守っている。


「フン。あんなものは慈悲深い英雄気取りではないか。敵のご機嫌を取るのがそれほど大事か」


「あと一歩に追い詰めておきながら略奪を禁止するだと。司令官は何を考えておられるのか。我らの武功を蔑ろにするか!」


「砦の財産を奪うのは勝利者の権利ではないか。何のために血を流したのか」


 従軍した草長の国の騎士たちは口々に不平を言いあう。彼らからすれば攻城戦の果てに行われる略奪は勝利者の正当な権利である。得られるものが大きいからこそ、敵が待ち構える城壁にも上れようというものを。


「ノルケト殿、何を見ておられるのか?」


 騎士の一人が不平に加わらないノルケトを不審がって問うた。


「……フランス兵どもを見ておりましてな。兵こそ率先して略奪に乗り出しそうなものを、彼らは黙って命令に服しております」


「それが?」


「これが草長の兵であればどうなっていたことか。たとえボナパルト殿が停戦を命じたところで兵は服従しないでしょう」


「……そうでしょうな。兵の略奪を止める事は難しい。命じたところでやめはせんでしょう」


「彼らはやめている。戦いを始めるのは容易い事ですが、やめさせる事のなんと難しい事か。ボナパルトが命じれば彼らは戦い、命じればやめる。ボナパルトの意のままに、手足のごとく。なんと素晴らしい軍隊か」


 ボナパルトの指揮ぶりもさることながら、命令に服従する兵についてノルケトは感嘆を禁じ得ない。このように戦う兵はいかにして作られるのか?一朝一夕のことではあるまい。このような兵があればこそ、ボナパルトはその能力を十全に発揮できるのだ。


 ノルケトは眉間にしわを寄せて表情を険しくした。


「我らもこのような軍隊を作らねばならない。それは名刀を作るのに似ているだろう。良質な鉄が腕の良い鍛冶師に何万回と打たれてようやく出来上がる。……我らは優れた鍛冶師になれるのだろうか?」


「ノルケト殿……?」


「いや、ならねばならない。彼らに出来たのだ、我らにできぬはずがなかろうからな」


 ノルケトは眉間に寄せたしわをほぐすと朗らかな笑みを作った。


「戦利品の件、ボナパルト殿に陳情するとしよう。没収した武具のいくらかを譲ってもらうように計らう。卿ら、協定に違反してはならんぞ」


 ◆


 敗軍を統率する身となったグーエナスの腹心、コルネスは渋々という表情で兜を脱ぎ捨て、腰に帯びていた剣をフランス兵に差し出す騎士たちを監督している。自身の武具は真っ先に脱ぎ捨てている。


 もしフランス軍が態度を翻して攻撃してきたら自分たちは成すすべもなく狼の群れに襲われる子羊のごとくなぎ倒されてしまうだろう。その緊張から汗はシャツを濡らし、夜風が痛いほど身体を刺した。


 武器の引き渡し現場にボナパルトが現れると、コルネスは跪いて見せた。


「監督ご苦労。酒を出そう。……貴殿らの倉庫にあったものだがな」


 麦酒の入った盃を差し出されてコルネスは眉をあげた。


「……頂戴いたします」


「貴官らの指揮官、グーエナス殿は名将だ。よく君命に従い、よく兵を統率したものだ」


「……」


 通訳を通して伝わってくるボナパルトの言葉には敵意も悪意も感じ取れなかった。そのことがコルネスには不思議でならない。


「我が主は、ボナパルト殿の采配を称えておりました。あれこそ名将の采配であると」


「そうか。それは光栄なことだ」


 ボナパルトは僅かに口角を上げる。その自然な仕草はコルネスに皮肉を感じさせなかった。


「……本当に我らを解放するおつもりですか」


「そう約束した。コルネス殿、我々は殺戮者ではない。貴殿の国の人々にそうお伝え願おうか」


「……」


「私はこれで失礼する。武装解除の後、夜明けには貴殿らも出立されるとよいだろう。それまでに通行を許可する書簡を用意する。これを国境を巡回しているフランス軍の指揮官に見せ給え。安全な帰国を約束する。貴官らも、その間わが軍に対して敵対行為を働かぬよう心掛けられよ」


 最後に鋭く発せられた言葉と眼差しはコルネスの心に釘を打ち付けた。コルネスがそれに返答すると、ボナパルトは両手を後ろに組んでその場を後にした。


「……あれがボナパルト。雷鳴の主ですか。とてもそうは思えません」


 降伏した騎士の一人がコルネスに近寄って囁く。


「確かに私も驚いた。少しも勇ましい武将のようには見えない。だがあれは間違いなく我らの敵、雷鳴の主ボナパルトなのだ……」


 コルネスは不思議と自らの主を討ち取った敵将に対して、敵愾心以外の感情があることに気づいた。


 ◆



 司令部のテントに戻ったボナパルトは、参謀長のベルティエがまとめ上げた報告書に目を落とす。そこに記された数字を見て、ボナパルトはため息をついた。


「次にこんな勝利をしたら、わが軍は消滅するな」


 戦死者二百名、負傷者四百名。死者の中にはボナパルトの副官であるスルコウスキー将軍の名もある。彼は歩兵隊の先頭に立って城壁の裂け目に突入し、至近距離からクロスボウに胸を貫かれた。それでも後方へ送られることを拒否し、意識を失うまで兵を鼓舞し続けていたのだ。倒れて野戦病院に運び込まれた時には既に息絶えていたという。このように率先して白兵戦の渦中に飛び込んでいく下士官の損失も多い。量的にも質的にも看過しえぬ犠牲を払っていた。これに比べれば白馬丘の戦いの損害など、蚊が刺したほどもないだろう。


「それと、砲兵隊のドマルタン将軍からの報告書です。砲兵隊は火薬を使い果たしました。また、攻城砲のうち二門が使用不能です」


 ボナパルトは帽子を脱ぐと風呂にも入れず濡れた犬のようにギトついた黒髪をかき回した。


「最大限の火力を叩き込んでこの損害。火力を惜しんでいたら砦は持ちこたえたでしょうね。グーエナスは名将だった。あるいは、ここで彼を仕留められたのは良かったかもしれないわ。もしより堅牢な城で、より強力な守備隊が与えられていたらと思うと手に負えない」


「閣下、わが軍は消耗しています。今後どうなさるおつもりですか」


 ベルティエは自分がまとめた報告書に慄いていた。この先、どうするべきか全く見当もつかない。


「まあ、どうにかするわ。もっと上手に戦うしかない」


 ボナパルトは報告書を机に放りだして不安げな表情で自分を見つめる参謀長の耳を軽く引っ張った。


「そんな顔しない。私がなんとかするわ」


 ボナパルトは冗談めかした悪戯好きの子どものような笑みを作って参謀長を慰めた。


 なんとかする、と言っても。笑顔の裏でボナパルトは思考を巡らせる。蹄鉄砦は落とした。白馬丘の勝利と合わせて東部地域における『斧打ちの国』の拠点と軍勢は消失し、この地域における優勢は絶対的なものになった。加えて当面の食料も確保できた。損害に見合うだけの戦果は上がっているのだ。だが、視点をより大きなものにしてみれば後背では相変わらず蜂起した敵対勢力が跋扈しており、戦乱の終わりの見通しが立っていない。


 しかし誰かに代わってほしい、とは微塵も思わない。むしろこのような事を他人に委ねるわけにはいかない。自分の運命と自分に付き従う数万の人間の命を、自分以外の者に委ねるのは甚だ不愉快で、不本意だ。自分の運命は自分で決したい。……だが、今自分の運命を握っているのは自分ではない。そう、クルーミルだ。彼女と話す事が山ほどある。彼女こそがこの戦役を終わらせる鍵を握っているのだから。


「馬車の支度をさせなさい。王都に戻るわ」


「承知しました」


 ◆


 夜明け。疲れ切った人々を陽光が抱擁した。不眠不休で指揮を執るコルネスはその眩さに目を細める。生きて再び陽の光を見ようとは。生き残った自分はその資格があるのだろうか。長く伸びる自らの影をなぞると、その先には一人の若い騎士が居た。傍には赤子を抱いた女もいる。


「貴殿は確か、いつかの晩に城壁に居た騎士だな」


「はい。妻と子に再会することが叶いましたのは、ひとえにグーエナス様のおかげです」


「そうか。あの時の。……礼を言うならばその子にせよ。あの時皆を救ったのはその赤子かもしれぬのだから。……これからどうするつもりだ」


「お許しを頂ければ故郷に帰ろうと思います。一族の伝手を辿れば、なんとかやっていけるでしょうから」


 帰国の途に就くのは、生き残った者の半数ほどである。残りの半分は草長の国に故郷を持つ騎士だ。


「そうか。……よかろう。貴殿は十分に務めを果たした。その任を解くゆえ、好きにするがいい。生き残ったのだから……」


「ありがとうございます。コルネス様も、お達者で」


「ああ」


 一つの戦いが終わった。

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 感想件数100件達成、誠におめでとうございます。  最新第91話までの感想を書かせていただきます。  蹄鉄砦における攻防戦の描写が実に綿密に書かれていて、文字の奥に映像を見るような感覚を受けました…
改めて、本国から補給の途絶えた遠征とは恐ろしい… 名誉の兵を何とか現地で育成する事は出来ても、下士官をどうするかの課題が生じる…将来を直視するのも恐ろしいが、それを直視して最大限の対処をするのがナポレ…
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