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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第六章『草長の国』戦争~東部戦役~
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第九十話 死せる勇者たちの戦い(後編)

 日の出と共に始まった戦いは太陽が頭上に上り、影が小さくなっても止むことはなかった。銃声と叫び声が蹄鉄砦に鳴り響き続けている。


 フランス軍は外壁の全てと塔の一部を占領し、獲物に飢えた犬のごとく牙を突き立て続けているが、食らいつかれる側もただ死を待つ羊ではない。フランス軍は階段の一つ、通路の一つ、部屋の一つを奪うたびに血の通行税を支払うことになった。


 城を守るグーエナスは急造された内壁の上に立ち、戦士たちの先頭に姿を晒して鼓舞しながら指揮を執り続けていた。殺到するフランス兵に大盾を打ち付け、個人の武勇を見せつけた直後には腹心のコルネスに各防御線に配置する兵力を指図する。二百人ほどの精鋭をすぐに動かせるよう手元に置いておき、フランス軍の猛攻がある場所に投入して撃退するのだ。そうした陣頭指揮を日の出から殆ど飲まず食わずで執り続けている。部下たちはこの巨体の指揮官に畏敬の念のこもった眼差しを向ける。あるいは、父親を見つめる子供の表情を。


「数が合わん」


 何度目かの攻撃を退けて鉄の味がする乾ききった口内でグーエナスは呟いた。フランス軍の攻撃はいっこうに止むことが無い。次から次に繰り出されてくる新手はグーエナスの想定を上回っている。昨日、日が沈む前にグーエナスが城壁から確認した包囲軍は三千前後であった。蹄鉄砦の周囲には遮るものが何もないので、野営している敵の規模を算出することは歴戦の指揮官であるグーエナスにとって難しい事ではなかった。


 ……三千の軍で攻撃してきているには、あまりにも数が多い。いかにフランス軍の士気が高く、撃退される都度に再編成して突入してきているにしても数が合わない。明らかにフランス軍は増援を受け取っているようだった。


 増援が来るにしても早すぎる。グーエナスはフランス軍の行軍速度を十分承知しているつもりであったし、白馬丘で戦闘していたフランス軍が取って返すことも想定していた。それにしても、このタイミングでこの規模で攻撃し続けてくるのは計算違いだった。


 フランス軍はどれほどの増援を得ているのか。白馬丘にいたはずのフランス軍とはまた別の部隊なのか。だとするならば、敵の総兵力はどれほどなのか。()()()()()()()()()()()()()


 グーエナスは血走った眼を城壁へと向けた。既に城壁はフランス兵で埋められており、唯一残っていた塔も奪われてしまった。敵の砲撃が集中する城壁での防御を捨て、内側に構築した内壁で守るようにしたのはあるいは、采配ミスだったかもしれない。砦の外の情報が一切分からないのだ。城壁の外にひしめいているフランス軍の規模が分からない。


 破壊されずに残った最も高い塔、ホルスロンの鼻は戦闘開始からほどなくフランス軍に奪われている。塔の上から繰り出される射撃は殆ど命中しないが、それでも高所から一方的に撃ちおろされるのは脅威である。


 今更悔やんでも仕方がない事だが、グーエナスは全身の血液が溶けた鉛のように重くなるような錯覚を覚えた。昨夜から終わりの見えない攻撃に晒されて肉体的にも精神的にも疲労が蓄積しているのだ。自分でさえそうなのだから、兵たちの疲労は想像を絶するものがあるだろう。


 ボナパルト。なんと巧妙で苛烈な敵手か。グーエナスは見た事も無い敵の優秀さを認めないわけにはいかなかった。敵将は攻撃側の長所を最大限に活用しているのだ。すなわち、攻撃を始める時と、終わらせる時を選べるという利点を。


 ◆


 城壁と硝煙のカーテンを挟んで数百メートル。ボナパルトはめくるめく殺戮の間に兵士を送り込み続けている。背後には続々と到着するフランス兵がひしめき合い、隊伍を組んで突入の順番を伺っている。ボン師団とクレベール師団が揃い、フランス軍の総計は一万に達そうとしていた。


 フランス軍は行軍速度と時間を維持するために補給品を積んだ馬車を後方に残し、夜通しで行軍してきたのだ。兵士たちは強行軍の果てに足の感覚が失われた者が幾人もいたが、沸騰するような気迫で戦闘に備えている。過労による一種の興奮状態と言って良いかもしれない。


「行こう!行って殺されようではないか!」


 ある中隊長は寝不足と過労で油膜を張ったようにぎらついた瞳で兵士たちに叫ぶ。兵士たちもそれに呼応して雄たけびを上げて銃剣のついた銃を振り回した。


「司令官閣下!」


 獅子のたてがみを思わせる髪を振りながらクレベール将軍がボナパルトの元に現れる。泥のついた靴はすり減っており、馬に乗らずに兵士たちと徒歩の苦労を分かち合ってきたようだった。


「来たな。突入部隊は城壁を陥れたが、内側で激しく抵抗されている。敵の士気は高いぞ」


 ボナパルトは挨拶もそこそこに状況を手早く伝える。


 クレベールは獲物を前にした獅子のように歯を見せた。


「前回の雪辱ができるというわけですな!今度こそ敵将にサーベルを突き立ててやろう!」


 クレベールは火を吐くような勢いで捲し立てたが、ボナパルトはそれを右手を軽く上げて制した。


「油断するな」


 クレベールは猛々しい覇気を抑え、荒馬のように飛び跳ねる感情を乗りこなすと、踵を返して兵士たちに号令をかけた。クレベールの部隊が新たな波となって砦に打ち寄せる。


 ◆


 荷馬車や木板で組み上げられた内壁が裂ける。速度をつけて飛び散った木片が鎧に守られていない戦士たちの目や手を斬りつけて痛めつける。


 突入したフランス軍は小型の砲を城内の庭に引っ張り込むと至近距離から砲撃を浴びせ始めた。小型とはいえ大砲から発射される鉄球の破壊力は凄まじく、正確な狙いで人間と構造物を破壊していく。敵が怯んだところに隊伍を組んだ一隊が突入し、銃撃を浴びせて突破口を拡大する。


「いかん。兵を後退させろ」


 グーエナスが右手を挙げたその瞬間、飛び込んだ鉄球が彼の右腕を打ち砕いた。鉄球はそのまま唸り声をあげて背後の板を突き破り、その影に隠れていた兵の腹に風穴を開けると石壁にめり込んで止まった。取り落とした大盾が重厚な鐘の音を思わせる声で主の代わりに悲鳴を上げる。


「ぐおッ……」


 グーエナスは肉と骨が切断される落雷のような苦痛に歯を食いしばり声を抑えたが、膝を屈するのは避けられなかった。


「グーエナス様!」


 騎士たちが駆け寄るとグーエナスはそれを叱責する。


「持ち場を離れるな。大事ない。コルネス、すまぬが腕を縛って血を止めてくれ」


「すぐに後方へ……医者を呼べ!」


 コルネスが絞り出すような声で言うのをグーエナスは首を振って応じた。


「ならん。兵は限界だ。私の姿が見えなくなれば、持ちこたえられぬ」


「ですが……」


「生き残った者たちを地下倉庫へ撤退させよ。我々は殿を務める。大扉を閉じよ」


 グーエナスは命令を発する。その明瞭さはいささかも衰えなかった。


「こんな事があるか。盾のグーエナスの腕が、こんな……こんな鉄の塊ごときに奪われて良いものか。戦いの精霊(マレシャー)よ!悪霊使いめ、禍あれ!卑怯者共に災いあれ!」


 肘から先を失った主の腕にきつく布を巻き付けて止血すると、コルネスは立ち上がった迫りくるフランス兵に叫び、手斧を投擲した。猛禽が獲物目掛けて急降下する正確さと勢いで斧は突っ込んできたフランス兵の頭蓋を砕いて絶命させる。しかし濁流のごときフランス兵は止まらずに押し寄せ続け、銃火は騎士たちを次々と仕留めていく。


 盃から水があふれ出すように、戦闘の均衡が急激に傾くのをグーエナスは直観した。自分の腕が失われようが、失われまいが戦いの流れは決しつつある。辛うじて持ちこたえていた各部隊が限界を迎えて各所で決壊しつつある。


 破壊された内壁をよじ登り、殺到してくるフランス兵は鎧を着ているわけでもなければ、貴族のようにも見えない。若く、貧しい、そして勇敢な男たちだ。グーエナスは急速に重く鈍くなっていく思考の中で見出した。


 フランス兵は勇者なのだ。別世界の勇者たち。彼らはこの恐るべき銃や砲で戦ってきたのだろう。我らはそれを持たぬが、かの世界の、彼らの敵はそれを持つのだろう。彼らは銃弾と砲にひたすら耐え、命令の下にひたすら突進し続ける名もなき勇者たち。なんと偉大なることか。これが、我々の敵なのか。と。


「コルネス。殿(しんがり)を守る。盾を取ってくれ」


 グーエナスは立ち上がった。コルネスは盾を拾いあげて主の左手に渡した。盾を持ち上げるのに、両腕と全身に汗が噴き出るような力を込める必要があった。


「立ってやがる……」


 押し寄せるフランス兵の濁流を押し止めるように立ち塞がったグーエナスを前にフランス兵を率いてきたクレベールは驚嘆の声を漏らした。見紛うことない大男。前回自分を負傷させた男に間違いなかった。腕を失ってなお、大盾を振り回している!


 クレベールはしなやかな豹のようなしなやかさで飛び掛かった。手負いの相手とはいえ、油断も手加減も一切する気はなかった。


 覆いかぶさるように振りかざされた盾をすんでのところで回避し、刃を敵将の首に突き立てようとした瞬間、常人には信じられないような練達の動きでグーエナスは盾を構え直してクレベールの剣を弾き飛ばしてしまったのだ。


 武器を失ったクレベールは歯ぎしりして飛びのいた。自分たちの指揮官の不利を見て取ったフランス兵たちは一斉にグーエナスめがけて銃撃を加える。煙が晴れた時、無傷の男が立っているのを見た兵士たちの頭脳には、自分たちが焦って正確に狙いをつけずに撃ってしまった事や、マスケット銃の命中率の低さ等は消え失せていた。


 なんという驚異的な身体能力。そして、銃弾が当たらない。まるで、何か特別な力がグーエナスを守っているように思えたのだ。彼らの脳裏に、この世界に存在する精霊と呼ばれる不思議な存在の力が思い出される。


「なんてヤツだ!化け物め!」


「下がれ、一旦後退!」


 兵士たちの間に連鎖的に恐怖が広がり、逆流していった。フランス兵たちは内壁から転がり落ちるように後退するのを見届けると、グーエナスは僅かな手勢を引き連れて砦の最奥へと後退していった。


「……クソッ!」


 その背中を十数メートルの距離でクレベールは、怖気づいた兵士たちを圧しとどめながら見送り、戦場を司る神と悪魔の不条理に唾を吐いた。二度も負けたのだ。しかも、手負いの男に……。


 ◆


 戻ってきたクレベールから事の次第を聞いてボナパルトは息の塊を吐き出した。その動作はあまりに小さく、すぐ間近にいたウジェーヌさえ気づかなかっただろう。


 ボナパルトは一人思索を深めていく。騎士道的な武勇は、侮れない。誇り高い中世の戦士のような士気は兵士たちにとって欠かせないものだ。兵士は足の生えた銃ではなく、血の通った人間なのだから。個人の武勇は、時として戦場の流れを覆すのだ。しかしそのような奇跡は戦闘の流れを変えるにはあまりにか弱かった。輝かしい騎士たちの、誇り高い戦士たちの、それは流星が曳く最後の煌めきに違いなかったのだ。


 ボナパルトにはそれが他人ごとには思えない。明日には? この先、我が軍はすり減り、相対的に敵の数は増える。やがて、我々のほうが個人的な武勇を振りかざして奇跡にすがり、押しつぶされる時が来るだろう。自分の軍事的才覚で起こせる奇跡など押し流してしまうような数学的な差が現れる時が来る。打ち砕かれたグーエナスとその軍勢は、未来の自分とフランス軍の姿かもしれない。とボナパルトは無心にはいられなかった。


 ふと見れば、フランス軍の陣地は砦から運び出された血塗れの負傷者と死体とで埋まりつつある。その数は四百を数えるだろう。


 この世界ではどんなに大きなダイヤモンドよりも貴重な指揮官や兵士たちがこの小さな砦のために失われていく。砲兵隊はこの攻撃で火薬を使い果たしており、もし攻撃に失敗した場合、次の補給が到着するまで砲兵抜きでの戦闘を余儀なくされる。それはさらなる包囲戦の長期化と出血の増大を意味している。そんな贅沢は許されないのだ。なんとしても、今日、必ず、あの砦を陥落させねばならなかった。それは谷間を飛び越えるのによく似ている。向こう側へ跳躍できなければ、敗北と滅亡の奈落へと落ちるのだ。フランス軍は、自分は、圧倒的優位にいるように見えて、追い詰められている。ボナパルトは背筋に流れる汗が冷たいものであることを感じた。


 ◆


 陽光が世界を朱色に染めていく頃、砦の殆どが制圧され各所で分断された砦の守備隊は全滅するまで戦うか、兜を脱いで降伏の意志を示した。しかし、僅かに残った兵と避難した者たちが砦の地下倉庫の大扉を固く閉ざしている。決着はついたが、終わってはいなかった。

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― 新着の感想 ―
敵将がフランス兵を"勇者"と評し、ナポレオンは勇者の勇気が失われていく事を恐れる。 精霊を用いた個人的武勇での士気崩壊⁈ 非常に興味深い、、、
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