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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第六章『草長の国』戦争~東部戦役~
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第六十五話 蹄鉄砦

「あれが蹄鉄砦か」


 ボナパルト率いるフランス軍は『驢馬の市』を制圧した数日後、『斧打ちの国』のグーエナス伯を追って蹄鉄砦を包囲した。


「荒野に浮かぶ小島みたいだ。こんな周りに何もない岩と土だらけの土地に砦だけがポツンと浮いてるのは妙な感じがするな。堅牢そうだが、本当にあれがこの国で一番の堅城なのか?」


 師団長の一人、獅子を思わせる風貌のクレベールが言う。眼前に現れた砦、灰色の岩と赤茶けた煉瓦とを組み合わせで出来ており角ばった輪郭を持っていた。ボナパルトはどことなく牢獄をイメージする。


「城壁の高さは一番高い場所で約十二メートル。壁の厚さはおそよ三メートル。収容兵力約三千。塔の数は二十余り。堀の深さは約二メートル。城門は南の一か所。三方を流れるサオレの支流の深さは二メートル。流れが速く、砦の射程に入っているので橋を架けるのは至難です」


 クルーミルの家臣の一人、ノルケトが砦について明らかにする。


「あの砦が難攻不落と言われるのは、城壁の高さや塔の数もさることながら、御覧の通り周囲が荒れ果てた土地で包囲軍の補給を維持するのが難しいのが一つ。交通の要路から外れ、苦労してまで攻略する価値がそれほど高くないのが一つです。ダーハド王ですらこの砦に手出しするのを躊躇しました」


「確かにこんな荒野じゃ寝泊まりする場所どころか、焚火の薪を集めるのも難しそうだ。全部運んでこなきゃならないのか。司令官閣下、あの砦を攻略する価値はあるんでしょうかね?」


 クレベールは赤茶けた土を靴先で踏みにじる。ぱさぱさと乾いた土肌は、この『草長の国』ではあまり見ない。


「あんな砦、本来は無視したいところだ。だが城の価値とは単に交通の要であるにとどまらない。自軍の背後に三千の兵と、その出撃拠点を抱えるのはマズい」


「報告によれば、敵は兵士だけでなく、ダーハドに味方した貴族の一族郎党を伴って逃げ込んだとのことで、その数は三、四千に上るとのことです」


 ボナパルトは忌々しいものを見る目つきで砦を見た。


「それだけではない。押収した文書によれば、あの砦には数万人分の兵糧が蓄えてある。それをぜひとも奪い取りたい」


「ちょっとまて。そんだけの物資といい、数千人の貴族の郎党といい、あんな小城のどこに入るんだ?」


「『蹄鉄砦』は地下に巨大な地下室があるのです。あの砦の下には巨大な岩があって、その岩を古の英雄がくり抜き、地下倉庫にしたのが砦の始まりとされています。別名英雄ホロスロンの宝物庫。それでもかなり過密になるでしょうが」


 ノルケトが補足する。


「古の時代には、地下倉庫に穀物が蓄えられ、三方を囲むサオレ河の支流を使った海運によって、盛んに穀物が取引される交易地として栄え、荒野は商いをする天幕で満ちたと伝えられます。河の流れが変わり水流が激減して、水運の便が悪くなるにしたがって交易地は『驢馬の市』に移って廃れていきました」


「かつて栄えた土地か」


 クレベールの感嘆の声をボナパルトは無視して、両手を後ろに回して握った。砦の歴史など、たいして興味のあるものでもなかった。学者たちが聞けば喜ぶだろうが。


「攻城戦の支度だ」


 ボナパルトは短く命令を下した。


 ◆


 フランス兵たちは土木作業を開始する。ツルハシとシャベルを使って荒地を掘り進める。敵の矢を避けて安全に城壁にたどり着くためである。ヨーロッパにいた頃は、敵の要塞からは大砲が発射されるので必然、遠くから掘り進めることになったが、この世界の敵に大砲は無かった。そのためフランス兵たちはヨーロッパにいた頃には考えられないほど近い距離から壕を掘ることができる。その上、ヨーロッパにいた頃は敵の砲撃を避けるために壕をジグザグに掘って進むところを直線的に掘ることができた。そのため工期はかなり短縮される見通しだった。


 それでも壕を掘るのは重労働で、兵士たちは一時間おきに交代する。


「この分だと、三日もあれば壕ができますね」


 各地を点検するために歩き回りながら副官のウジェーヌの言葉にボナパルトは応じる。


「明日の昼にはできるわ」


「日が暮れますよ!」


「関係ない。交代で夜通し掘らせる」


「夜通しですか!」


「こんな寒い時期、何もない荒野で兵士たちを野ざらしにする期間は短いほうがいいわ。時間は汗より貴重よ。我々は冬季に行動することで敵の意表を突いた。なぜ意表を突けたかと言うと、それが理にかなわないから。冬に兵士たちを野営させるのはマズい事よ」


「それを承知で……」


「凍えるのと引き換えに、我々は敵の不意を突いて優位にたった。準備万端整った敵と正対すれば、それだけ流血が増える。それは凍えるより悪いでしょ」


「確かに」


「それに、もたもたしていると敵の増援がやってくる。籠城するのは、救援があるからこそよ。敵の指揮官はなかなか狡猾ね」


「と、言いますと?」


「私にこの砦を包囲するように仕向けさせた。『敵兵力の合流前に、各個撃破する。ついでに食糧を得る』なかなか魅力的な餌だわ。だから、こんな土くれだらけの場所を包囲せざるを得ない。包囲戦が長引けば、我々は凍えて苦しみながら、やってくる救援軍との間に挟み撃ちにされる」


「素早く落とすしかありませんね」


「そう。けど性急に攻撃を仕掛ければ犠牲も大きい。敵としてはこちらの戦力を効果的に削げるってわけ」


「では……」


「敵の手は読めている。読めているけど、そうせざるを得ない。っていうのが、なかなか難しいところね。ウジェーヌ。本当は城なんか全部包囲するだけ包囲して、無視しておきたいところよ」


 ボナパルトは悪戯っぽく笑みを浮かべると、義理の息子の耳を軽く引っ張った。


 そこへ砲兵総監のドンマルタン将軍が駆け寄って来た。手には簡単な砦の見取り図を持っている。


「閣下。運び込んだ重砲十二門、臼砲十門の配置が間もなく終わります。日が暮れるまでには砲撃を始められるでしょう!」


「よし。敵の塔と城壁を破壊して突破口を開く。大砲など想定していない、前時代の城壁だすぐに崩壊する。ここと、ここと……」


 ボナパルトは広げられた地図に砲撃すべき場所の印をつけていく。


「どの程度砲撃しますか。我々の火薬には限りがあり、後いくつ城を落とすか分からない状況ですが」


「塔の全てを破壊することはできないな。だが突入すべき場所は絞られる。そこへ砲火を集中しろ。無限に補給があるものと思って撃って良い」


「は……?」


「この一戦だ、将軍。次の戦いを考えて出し惜しみして敗れでもしてみろ。我々に"次"など無い。常に、今、この一戦の事だけ考えていればいい」


「は……はっ!」


 ドンマルタンは唯一の上官に敬礼を施すと、砲兵隊のほうへ慌ただしく駆けて行った。


 ◆


「へっくしっ……」


 壕を掘って汗まみれになった兵士のくしゃみがした。汗が寒風に吹かれて、兵士たちを骨の髄まで震え上がらせる。僅かに持ち込まれた薪で起こした焚火に兵士たちは群がり、冷たくなって言う事を聞かなくなった手をかざして暖を取っていた。


「クソ。なんたってこんな目に遭うんだ。指の感覚が無い」


「今日は温かい飯は食えそうにないぞ薪が無くて湯が沸かせんらしい。凍ったパンと干し肉だけだ」


「腐ってねえだけマシだ!」


「チクショウ。あのチビのせいだ。俺たちをこんなトコに連れてきやがって。地獄のサタンだってこんな寒いトコにはいないぞ」


「地獄って熱いんじゃないのか」


「地獄は寒いんだ。ダンテを読んだことないのか?」


「俺たちは殺ししかしてないんだ。煮えた血の河に落ちるのが筋さ」


「この際地獄でもいい。暖かい場所に連れて行ってくれ!」


「ふざけるなよ。俺たちは祖国と正義のために戦ってるんだ。天国に行くに決まってる!」


「神も悪魔もあるもんか。みんなとうの昔にギロチンにかかったよ」


「俺の故郷のノルマンディーのほうがもっと寒いぞ。この程度、なんともねえや。お前らは南のプロヴァンス人だからそんなに寒がってるんだろう」


「そうかよ。じゃあお前の上着を譲ってくれよ」


「兵隊」


 そこへ声がして、兵士たちはその方を見た。兵士たちの頭一つは低い頭に二角帽子をのせ、灰色のコートに身を包んだ人物は見紛うこと無い彼らの司令官だった。


「司令官だ」


「司令官閣下!」


 兵士たちは不思議とこの小柄な人物を見ると元気が出るのだった。常に勝利と共にある人物。兵士たちにとって勝利は何より重要だった。それが己が生き残るために必要不可欠だからだ。


「寒いか」


「はっ。ですが、大丈夫です。我々は寒さにも飢えにも慣れています。みな、貧民の育ちですから」


 兵士たちは素朴な、そして自虐的な笑みを浮かべた。己の運命をどこか突き放しているような眼差しだった。


「……」


 ボナパルトは放置されているツルハシを手に取ると、赤土に突き立てた。


「穴を掘ってやる」


「ははは。墓穴は必要ありません閣下! まだ!」


 誰かがそういうと、兵士たちは大声で笑った。


「穴を掘って、その中で寝ればだいぶ違うぞ。風を凌げれば寒さもだいぶ和らぐからな。試してみろ」


 兵士たちは顔を見合わせた。


「お前たちが行くのは地獄でも天国でもない。私が行くところがお前たちの行く場所だ」


 兵士たちは一人、また一人と工具をもって穴を掘り始めた。

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― 新着の感想 ―
[一言]  最新話、拝読いたしました。  また、前回は不躾な感想を送ってしまいまして、大変失礼いたしました。  さて、いよいよ蹄鉄砦の全貌が描かれましたが、確かにこれは対応に苦慮する要塞ですね。  …
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