表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第六章『草長の国』戦争~東部戦役~
73/110

第六十一話 正義、勇気、必要

「この子供が市長だと言うのか?」


 ボナパルトはいぶかしげに少女の左右に立つ男女に言う。


「王の友殿。彼女は東部地域の有力一族です」


 横から補足を入れたのはノルケトだった。ボナパルトにはこの世界の貴族や有力者の一族の判別がつかない。誰が誰と言われても勝手が分からない。


「ではなぜその一族がこないで小娘を寄越す?」


 その疑問にノルケトは答えられなかった。これでは埒が明かないとボナパルトは通訳の手を握りしめて自分の言葉を訳するように命じる。通訳はクルーミルの家臣で彼女と同じく触れた人間と会話する能力を持っていた。しかし、クルーミルの術に慣れているボナパルトにとってその通訳が流す言葉の感覚ははなはだ不愉快だった。術にも上手、下手あるようだ。


「貴殿はただの使いか。我々が闇討ちでもすると思っているのか?」


「先に申し上げました通り、私が市長です。この街の全権を握る者です」


「……では改めて伝える。我々は『草長の国』の女王クルーミルの名において、街に対して通行権、食料、飼料、その他軍需物資の供出を求める」


「先にお伝えした通り、我が街の都市参事会はそれを拒否します」


 都市参事会とは都市の組合の長をはじめとする有力者から成る議会で都市の運営を司っている集団である。どこの都市にも行政を担うそういった組織が存在する。


「私の背後には三万を超す軍勢が控えている。そのことはご承知か。我々は対等な交渉をしているわけではない。我々は要求しているのだ。素直に応じたほうが御身と住民のためだぞ」


「存じ上げています。ですが我々の背後にはダーハド王の十万を超す軍勢があります。我々はかつて王妹クルーミル様にお味方して戦いました。その結果、ダーハド王は街の要職にあった者たちを一族ごと処刑しました。もし市門を開ければ、戻ってくるダーハド王は再び同じことをするでしょう」


「市門を開けなければ私が同じことをすると言ったら? 私の軍隊は王都の城壁を難なく破った。貴殿らの都市の城壁など半時と持たんだろう」


 ボナパルトに対する男女は顔色を青ざめさせ、テーケルネトと名乗る少女は唇を固く噛み、両手を握りしめた。


「我々は女王陛下の為に戦いました。そのためにダーハド王の懲罰の対象となり、街の有力者ことごとく斬首され、市長は逆さ吊るしの呪いを受けたのです。我々を守れなかった女王が今更我らになんの権利を主張できましょうか!」


 控えている男が噛み付くように捲し立てた。


「境遇は気の毒に思うが、貴殿らの不幸話は私には関係ない。侵略者であるダーハドにこそ貴殿らは怒りをぶつけるべきだろう」


 ボナパルトはその燃え尽きた灰のような青灰色の瞳を細める。


「王妹殿の友、慈悲深き方、我々にどうかお情けを……この街を見逃してください」


 市長を名乗る少女はボナパルトの前に跪いて慈悲を乞うた。


「話にならない」


 ボナパルトは彼らに分からぬようフランス語で毒づいた。政治の場は利害が衝突する場所だ。可憐な少女が痛ましく許しを乞うさまは劇の舞台ならば観客の涙を誘い、許しが与えられるだろうが、現実には無意味だ。そんなことも分からず泣き落としで何とかなると思っているなら甘いと言うほかない。あるいは、それ以外には他に何もできることが無いのか。


 街の有力者ことごとく斬首に処されたと言う彼らの話は本当なのだろう。こんな少女を戴いて押し立てる他にないぐらいには、街をまとめられる人材が無いのだ。とボナパルトは推測した。


 これがダーハド王のやり方か。敵対した者たちを処刑して、残った人間を震え上がらせる。この手法をボナパルトは良く知っていた。


「我々は進軍する。この街を支配下に置くのは既に決定事項だ。何か勘違いしているようだが、私は交渉に来たのではない。決定を伝えに来たのだ」


 ボナパルトはいっそ傲慢と言えるような態度で臨む。非力な者は、力ある者に振り回される他にないのだ。二頭の獅子が争う時、草花は踏み荒されるほかない。


 ……ゆえに、非力な事は罪なのだ。踏みつぶされるのが嫌なら、己の意志を通したいのなら力を持つ他ない。自分はそうしてきた。


「ダーハドは有力者一族を皆殺しにしたと言ったが、私はそれほど寛大ではないぞ。市内に兵がなだれ込めば、犬一匹生かしておかん。……返答を聞こう」


 テーケルネトはその言葉を聞いて目を見張り、背後の二人を振り返った。二人はもはや言葉もなく、少女に血の気の失せた顔を向けるばかりだった。


 ボナパルトは懐から懐中時計を取り出して確かめた。秒針が一周すれば、立ち上がって、そして攻撃を命じると決めている。


「……分かりました」


 少女の意志がボナパルトに伝わった。テーケルネトは震える両足で必死に立ちあがって毅然とした態度を取ろうとした。瞳は涙をこらえきれず、唇は歪み、しゃっくりのような嗚咽で喉が震えている。


「分かりました。市長テーケルネトの名において、市はクルーミル、女王に帰順致します。王の友殿におかれては都市、の治安を乱さないよう、配下の者に、徹底するようお願い致します」


「……」


「女王に降らなければ王の友殿が。女王に降ればダーハド王が我々を滅ぼします。都市参事会の決定を私の独断で覆し開城したことにします。私はダーハド王に忠誠を誓う参事会を裏切り、クルーミル女王に降伏して門を開け放ちます」


 ボナパルトは少女の紡ぐ言葉を待った。


「これなら、ダーハド王に処断されるのは我が一族だけですみます。……我が一族と言っても、残るは私だけです……どうか街にお慈悲を!」


 少女は自らを犠牲に街を開城させる決断を下した。ダーハド王にそのような形式上の小細工は通じまいな、と思いつつもボナパルトは椅子から立ち上がって応じる。


「よろしい。降伏すると言うのなら、我々も礼節を守り貴殿らの安全を保障しよう。……賢明な判断をした市長に貴殿らは感謝するべきだな。話は以上だ。我々は入城する」


 最後の一言は突き出される短刀のような鋭さを以って少女の背後で青ざめるばかりの二人に向けられた。


 ◆


 天幕を出たところで、ドゼーがボナパルトに問う。


「先ほどの態度にはいささか問題があるのではありませんか。交渉にしては高圧すぎます」


「ドゼー、分かっているはずだ。我々はこの世界に来てから本当は交渉など一度もしていない。これまでだって、我々に『引き下がる』という選択肢はなかった」


 ボナパルトは両手を背に回して握った。


「我々に対して門を閉ざすというなら、排除するしかない。こちらは要求を押し通すしかないんだ。これまで穏やかでいられたのは、女王が我々の求めに応じていたからに過ぎない。相手がそうでなければ、我々は道徳的な仮面をつけてはいられないぞ」


「脅迫して開城させたのは短慮だったのではありませんか? 我々はこれからさらにこの世界の奥へ奥へ行くことでしょう。恐怖によって従わせるのは得策ではありません。恐怖で押さえつけられるのは、武力が及ぶ範囲だけです。都市を焼くなど、本気ですか」


「本気だったとも」


 ボナパルトは言葉を吐き捨てて区切った。都市を焼く等、心地よい事ではないが必要が生じれば実行するのにためらいはなかった。


「クルーミルは王都に滞在している間に彼らに懐柔の使者を送っている。それが成果を上げないということは、温和な懐柔は通じないということだ。今のところ、大規模な敵は確認されていないが、我々の進軍を知ればダーハドは増援を送ってくるだろう。政治的にも、軍事的にも必要な事だからだ。敵が戦力を集中する前に東部地域を征服しておきたい。……疫病の事もある。増援の無いわが軍は瘦せ衰える一方だ。迅速な行動が必要になる」


 ドゼーにはボナパルトが捲し立てる態度が悪い事をした子供が必死に言い訳しているように思えた。


「あの少女は憐れでした。非力ながら一族の務めを、貴族の務めを果たそうと必死です。戦いを始めたのも、女王に味方したのも、戦いに敗れたのも、何一つ、あの少女には何一つ決められなかったでしょうに、重すぎる荷を背負って立った」


「さっきから何が言いたいんだ?」


「私が申し上げたいのは、力のある者はそうでない者たちの運命を定められるということです。閣下は征服者になれます。そして、解放者にもなれるのです。私は征服者ボナパルトより、解放者ボナパルトの将軍であることを望みます」


「それは理想論だな……私は必要ならなんでもやる。アレクサンドロスも、カエサルも、ルイ14世も、良心に従っていたら決して偉業は無しえなかっただろう」


「ですが閣下、正義や徳はただの建前ではありません。お分かりのはずです。わが軍が精強を誇るのは、兵士たちが己が旗の正義を信じているからです。自由と平等の護り手、解放者としての自分たちをです。もし閣下が都市の破壊をお命じになれば、兵士たちは罪なき者の血にまみれ、軍旗は汚されます。そんな自分を見て、兵士たちは自分が正しいのだと思えるでしょうか?」


「ドゼー、今更なぜそんな事を言うのだ?」


「あの少女を憐れむからです。そして、私は自分を正義の側に置きたいと思っているからです閣下」


「正義か。案外貴官も傲慢だな。()()など見方次第でどうにでもなる。私の行動の指針は必要か、そうでないかだけだ」


「閣下と同様です。()()などというものも、見方次第でどうにでもできます。閣下にはなるべく善き側にあってほしいのです。私は閣下の下で働いているのですから。圧政者ボナパルトの手先、などと呼ばれるのに、私は耐えられません。そうです、これが私の傲慢です。私は正義の人でいたい」


 ドゼーは色白い顔を少しだけ紅潮させ、しかし温和な、断固とした口調で言葉をつづった。


「閣下は何になりたいのですか」


 ボナパルトは過去を思わずにはいられない。自分の故郷(コルシカ)フランスに力づくで征服されたように、自分がコルシカを追われたように。非力な者は常に強者の都合に左右される。ドゼーのように正義に生きる事に希望を抱けようもない。それは幻想だ。なりたいものには、なれようもない。


 自分たち(コルシカ)は正義だったではないか。自分は信じていた正義に裏切られたではないか。結局のところ、力だけが、権力だけが全てではないか。ボナパルトは心の奥底に空いた空洞に潜む怪物が自分を見ているのを感じた。


 ◆


 交渉から数時間後、フランス軍は軍旗を先頭に整然と『金具の街』に入城する準備を整えた。ボナパルトは街の人々に姿を見せるため、馬車から降りて馬に跨っている。


 市門の大扉が開かれる。ボナパルトは門の横に立っている柱を見た。人間が逆さに括りつけられている。


「あれはなんだ」


 ボナパルトと(くつわ)を並べたテーケルネトが答える。


「あれは前の市長。私の父です。敵対した罰としてダーハド王は父の霊が精霊たちの元へ行けぬようにああして逆さにして括ったのです」


 死者の魂が祖先の元へ行くと信仰するグルバスの人間にとってそれは単なる死よりも恐ろしい罰だった。


「降ろせ」


「……」


「降ろして埋葬してやれ。貴殿は我々に降り、ダーハドが戻れば死が確定した身だ。今更何を恐れる? 毒杯をあおったなら、最後まで飲み干したまえ。己の運命を試みたのなら、その身は自由だ。それに、ダーハドが戻ることは決してない」


 テーケルネトは涙を流して頷き、父の亡骸に駆け寄ってその縄を解いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  最新話、拝読いたしました。  ドゼー将軍の言葉が、ボナパルトと同様に読者の胸に刺さるようです。  ドゼー将軍は史実ではナポレオン戦争期の初期の段階で戦死し、ナポレオンの戴冠を見てはお…
[良い点] 脅迫して、でも飴も与える。やり口はヤクザのそれで少しひどいなと思ったけど、親族の名誉の回復という飴は、それに見合う飴になっているんじゃないかとも思った。
[一言] ドゼーが信念にしたがって忠言しているのがエモい!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ